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わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

オープンアクセス誌向けのソーカル事件

ポール・J・シルヴィア『できる研究者の論文生産術』(高橋さきの訳、講談社、2015)という本を読んでます。心理学者が書いた「論文をなかなか書かない学者」の言い訳を粉砕する本で、「一気書き」に逃げるよりも、きちんとスケジューリングして少しづつ書いていけよ、という主張はこう書くと当たり前みたいですが、具体例や心理学の著書の引用などが付いていると説得力が。本の語りかける対象が学者や大学院生と限定されていますが、自由業や趣味で何かを書きたい人なんかにももう少し広く役に立つ射程があるのではと。

ところで、少し旧聞ですが、この本とは全く関係のないやり方で、2013 年に、10 ヵ月で 157 報もの学術雑誌での採用を勝ち取った人物が話題になったことが。しかし、この論文は、実は一部のパラメータを変えただけで全部おんなじような内容で、しかもでたらめ。さらに、投稿した学術雑誌に共通点があって、全部オープンアクセスの雑誌。つまり、オープンアクセスの雑誌が、でたらめ論文を見抜けるかどうかテストして 304 の学術雑誌に投稿したら 157 誌が採用してしまったという結果が出てしまったのでした( 不採用にしたのは 98 で、残りは放置されたか査読中のママ待たされているもの)。

オープンアクセス誌というのは、学術論文を web 上でオープンにして誰でも読めるようにしようというコンセプトの雑誌のこと。普通の雑誌は、大学などが払う「定期購読料」によって成り立っていて、定期購読料を払っている組織に属している人たちしか読むことはできないのですが、オープンアクセス誌の場合は、論文の著者たちが論文が出版されるときに手数料を払い、それで成り立っているので、誰でも読むことができます。

科学的な成果に自由に誰でもアクセスできるようになるのは、研究者にとっては、もちろん、そうじゃない人にとっても利益があることだと思うので、学術出版全体の趨勢としてはだんだんオープンアクセス誌が主流になっていくという方向に向かうのだろうと漠然と思っています。PLOS ONE のような有力なオープンアクセス誌が増えていったり、既存の出版社がオープンアクセス誌を増やしていったり、従来の有力雑誌もオープンアクセスの記事や論文を増やしていったり、と。

しかし、オープンアクセス誌で問題になっているのは、論文の品質管理がきちんとできていないんじゃないかということです。

そこで、2012 年に J Bohannon という人がさっき書いたような囮捜査をして、オープンアクセス誌が Bohanon のでっち上げたインチキ論文にどれだけはまるかを調べました。その結果は、2013 年に Science に "Who's afraid of Peer-Review?"(『ピアーレビューなんてこわくない』)というタイトルの記事で発表されました。

こんな内容の記事です(Who's Afraid of Peer Review?

ピアーレビューなんてこわくない


John Bohannon


7 月 4 日、Asmara の Wassee 医学研究所の生物学者 Ocorrafoo Cobange の受信箱によい知らせが届いた。彼が二ヶ月前に the Journal of Natural Pharmaceuticals に投稿した、地衣類から抽出した化学物質の抗がん性について述べた論文が受理されたことを伝える正式な手紙だった。


実は、そいつは速やかに不採用になるべきだったのだが。高校以上の化学の知識があって基本的なデータプロットが理解できる能力があればどんな査読者でもこの論文の欠点がたちどころに見当がつくはずだ。その論文の実験にはどうしようもない間違いがあり、結果はまるで意味がないのだ。


私がなぜ知っているかというと、その論文を書いたのは私だからだ。Ocorrafo Cobange なんていやしないし、Wassee 医学研究所なんてのもありはしない。過去 10 ヵ月以上をかけて、私は夢のようなクスリについての 304 バージョンの論文をオープンアクセスジャーナルに投稿してきた。半分以上の雑誌が、どうしょうもない間違いに気づくことなく論文を採択した。この目立つ結果だけでなく、今回のおとり捜査によって学術出版に出現したワイルドウエストの正体が見えてきたのだ。


慎ましく、理想主義的な始まりから 10 年の時を経て、オープンアクセスの科学雑誌はグローバル産業へと大成長を遂げた。その原動力は著者の払う手数料であり、伝統的な定期購読料ではない。 ほとんどの場合、プレイヤーの姿はよく見えない。雑誌の編集者がどこの誰であるかは、出版社に金を出している連中と同様、しばしば故意に隠されている。しかし、 Science の調査によっていろいろなことが見えてきた。雑誌の編集者が送ってきた e-mail のヘッダーの IP アドレスを追跡した結果、彼らが所在地をごまかしていることが分かった。出版手数料の請求書によると銀行口座のネットワークはほとんどの場合発展途上国にあることが分かった。そして論文が受理されたか不採用になったかで、オープンアクセス科学産業のピアー・レビューの全容を垣間見えることができる。


The Journal of Natural Pharmaceuticals のピアー・レビューを信用していた人もいたかもしれない。曰く、「望ましい薬理学上の効果を持つ天然物に案する高品質な研究論文、速報、レビューの提供目指す査読付き雑誌」と言うのだから。編集者や顧問は世界中の大学の薬理科学の教授たちである。


この雑誌は Medknow という出版社によって発行されている 270 以上の雑誌の一つだ。 Medknow はインドの Mumbai にある会社で、世界最大のオープンアクセス出版社の一つだ。Medknow のウェブサイトによれば、毎月 2 百万もの論文が研究者たちによってダウンロードされているという。Medknow は 2011 年に Wolter Kluwer に買収されたが、買収額は公表されていない。この会社はオランダに本拠地を置く多国籍企業で世界の指導的な医学情報の提供者で年に 50 億ドル近い利益を上げている。


しかし キプロス の Gazimagosa にある Eastern Mediterranean 大学の 薬理学教授 IIkay Orhan がチーフを務める the Journal of Natural Pharmaceuticals の編集チームは架空の人物である Cobange にこの論文について表面上の変更-文献参照の形式を変えることと概要をもっとながくすることーを要求しただけで 51 日で受理してしまった。この論文の科学的な内容については全く気にもとめられていなかった。Science 宛のメールで、雑誌のマネージングエディターで、サウジアラビアの Al-Hasa にある King Faisal 大学の薬理学の教授である Mueen Ahmed はその年の末までに雑誌を拝観にすると告げた。曰く、「とても残念なことですが」。Orhan によれば、過去二年間の間、雑誌に関わる事務を Ahmed の率いるスタッフに丸投げにしていたという。(Ahmed もこれを認めた。)Orhan は「もう少し注意深くあるべきでした」と言う。


受理する方が普通で、例外ではないのだ。例の論文は巨大企業である Sage や Elsevier の主宰する雑誌にも受理された。論文は日本の神戸大学のような有名な大学の機関が発行する雑誌にも受理された。科学協会誌にも受理された。雑誌のトピックと全くふさわしくないような、journal of Experimental & Clinical Assisted Reproduction のような雑誌にも受理された。


不採用の理由はそれぞれだ。[論文の]質の管理がお粗末だと批判され続けていた雑誌で、一番厳密なピアーレビュを提供したものがあった。例えば、 Public Library of Science の最重要雑誌 PLOS ONE は例の論文に潜む倫理的な問題、実験用の細胞をつくるのに使った動物たちの扱いについての文書が欠けているなど、への注意を促した唯一の雑誌だった。PLOS ONE 誌は、査読に送る前に、架空の著者に対してあれやこれやの本当な科学研究に必要な条件を満たしているかどうかを確認してきた。PLOS ONE 誌は科学的な質を理由に二週間後に例の論文を不採用にした。

ウサギ穴に落ちる


物語は、2012 年の 6 月に Science 誌の編集スタッフが Pennsylvania 大学の生物学者 David Roos からの e-mail のスレッドを回してきたときに始まる。そのスレッドではナイジェリアの Port Harcourt 大学の生物学者 Aline Noutcha の[論文]出版にまつわる悲哀物語が詳しく説明されていた。彼女はその前の年の 1 月ににマリで Roos が主催した研究ワークシップに参加し、 Culex quinquefasciatus という西ナイルウィルスなどの病原体を運ぶ蚊についての研究を出版しようとしていた。


Noutcha はその論文を Public Health Research というオープンアクセス誌に投稿した、彼女は出版には費用がかからないと信じていたと言っていた、彼女の大学の同僚は同じ出版社、 Scientifiv & Academic Publishing Co. (SAP) から出ている別の雑誌にタダで論文を出版してばかりだったから。そしてその出版社のサイトには費用については何も言及がなかったから。 Noutcha の論文が受理されたあと、彼女が言うには、 $ 150 を出版手数料といて払うように要求された。ナイジェリア出身なので 50 % 割引だ。多くの発展途上国の科学者と同じように、 Noutcha はクレジットカードを持っていないので、インターネットバンクで送金することは面倒でもあり費用がかかることでもあった。彼女は最後にはアメリカ合衆国の友達に $ 90 まで負けさせた費用を払ってもらって、論文は出版された。


Roos はこんなものは「科学研究のコミュニティに寄生する」詐欺的オープンアクセス誌の傾向の一部だと訴えていた。私は Scientific & Academic Publishing の調査をした。ウェブサイトによると、「SAP は世界の研究および学術コミュニティを提供し、専門的かつ学術的な科学者のための最大の一つ出版社になることを目指しています」ということだ。 200 近くの雑誌のリストの中から、たまたま目に付いたものをランダムに一つ選んでみた。 The American Journal of Polymer Science は「巨大分子の調整と性質に関する根本的かつ国際的な研究を入念なピアーレビュを通して普及させるための絶え間ない討論の場」と自己紹介している。この文章を検索エンジンに放り込んむと、たちまちこの部分が 1946 年創刊の Willy の権威ある雑誌 the Journal of Polymer Science のウェブサイトを切り貼りしたものだと分かった。


私は the American Journal of Polymer Science に関するものが本当にアメリカにあるのか疑いはじめた。 SAP のウェブサイトの主張によれば例の雑誌はロサンジェルスで刊行されているという。その住所はただの高速道路の交差点にすぎず、電話番号は全く記されていない。


私は雑誌の編集者や査読者に名前が挙げられている人たち何人かと連絡を取ってみた。返信のあったごくわずかな人たちが言うには、彼らはほとんど全く SAP と連絡を取ったことはないそうだ。 Maria Raimo というイタリアのナポリにある高分子科学技術研究所の化学者は、その時点から 4ヶ月前にレビューアーになってくれという e-mail を受け取った。この時点では、彼女は1通の論文を受け取っただけだったーあまりにも貧弱なので、「ジョークかと思いました」と言うことだ。


David Thomas という聞いたこともない組織に所属するチーフ編集者に抗議したにもかかわらず、その論文はその雑誌から出版された。Raimo によると彼女は発行人から外して欲しいと要求したそうだ。いまでは、それから1年以上経ったのに例の雑誌は Raimo を査読者としてオンラインでリストに載せている。


SAP の編集者たちに e-mail を送ってか1ヶ月以上経って、ついに返信を受け取った。Charles Duke と名乗る誰かはーブロークン・イングリッシュでー SAP はカリフォルニアに拠点を持つアメリカの出版社だと何度も繰り返した。彼の e-mail が届いたのは東部時間で 3 a.m. だった。


Noutcha の経験を再現するために、私は自分で論文を SAP の雑誌に投稿することにした、そして見えない出版界の地形を明らかにするためには、全オープンアクセス界に対してこの再現実験を仕掛けなくてはいけないのだろう。

標的

信頼できるオープンアクセス誌の紳士録といえば、the Directory of Open Access Journals (DOAJ) だ。10年前に Lars Bjornshauge というスェーデンの Lund 大学の図書館学者によって創られた DOAJ は急速に成長を続け、去年だけで 1000 タイトルも新たに追加した。自分の計画を打ち明けないまま、DOAJ のスタッフ数人に雑誌はどのようにしてリストに追加されるのかと尋ねた。DOAJ の Linea Stenson によると「最初に雑誌が候補に上がるのは、私たちのウェブサイトのフォーラムを通してです」ということだ。「雑誌の出版が十分でなければ、編集者か出版人に連絡を取り、十分な出版点数が溜まったらまた連絡してくれるようにお願いします」雑誌をリストに載せる前の段階では、出版社から提供された情報を基に審査をおこうなうのだ。2012 年の 10 月 2 日、私が囮捜査を始めたとにには、DOAJ には 8250 の雑誌とそれぞれについて大量のメタデータ、出版社の名前や URL 、創立年、関心範囲など、が含まれていた。


ここにもう一つの別のリストがあるー雑誌が恐れを抱く。それはデンバーコロラド大学の図書館学者 Jeffrey Beal が主催している。彼のリストは、インターネット上の一ページ上で彼が「プレデター」出版社と呼ぶ悪質な雑誌の名前を公表している。 ここには Beall が専門的な訓練がなされていないとみなしたものー不明瞭な手数料や貧弱な規定しかない編集体制から拙い英語までー、最後の基準は、アメリカ以外の出版社に不利であると批判されている。


バットマンさながら、 Beall は自分が守ろうとする人たちから不審の目を向けられている。コーネル大学の物理学者で、物理学の多くの分野で主要な出版プラットホームとなっているプレプリントサーバー arXiv を立ち上げた Paul Ginsparg は、「彼のしていることは、とてつもなく有意義なことだ」と言う。「しかし、彼は少し好戦的すぎるのだ」とも。


私は Beall にどのようにして学術犯罪との闘いを始めたのかと尋ねた。彼の答えは問題が「無視するにはあまりにも悪質になったらだけだ」。彼が言うには、昨年人口「爆発」が起きた。2012 年の 3 月には Beall が数えていたプレデターオープンアクセス誌は 59 だった。3ヶ月後には倍になった。そしてその比率は、 DOAJ の成長を上回り続けている。


私の調査に相応しい雑誌のリストを作るために、 DOAJ を篩にかけ、英語で出版されていないものと標準で手数料を要求していないものを除いた。 438 社が出す 3054 の雑誌が残った。Beall のリストには 2012 年の 10 月 4 日に引っ張ってきた限りで、 181 の出版社が名指しされたいた。オーバーラップは 35 社だった。つまり、 Beall の言う「プレデター」出版社の 1/5 が少なくとも一つの雑誌を DOAJ のリストに忍び込ませていたということだ。


私はさら科学、少なくとも生物、化学、医学のどれか一つにでも関心のない雑誌の出版社を削って、リストをさらに短くした。最終的な標的のリストは 304 のオープンアクセス出版になった: 167 は DOAJ に、 121 は Beall のリストに、そして 16 はどちらにも載っている。(すべての出版社、論文、責任者へのリンクはオンラインで http://scim.ag/OA-Sting から見ることができる。)

ワナ

目標は信用できそうだがありふれている科学論文をつくることだ。ただし、そこには深刻な間違いがあって力量のある査読者なら簡単に欠陥があって出版できないと気づきべき代物を。全く同じ論文を100単位の雑誌に投稿するのはトラブルを招きかねない、しかし雑誌同士の反応が比較可能であるくらいには論文はよく似ていなくてはならない。そこで私は科学論文版のマッドライブスをつくった。


その論文の形式はこうだ:分子 X は地衣類 Y から抽出されたもので癌細胞 Z の成長を抑制する。この変数に代入するために、分子、地衣類、癌細胞系列のデーターベースを作成し、数百の独自の論文を生成するコンピュータ・プログラムを書いた。これら以外の点においては、それぞれの論文の科学的内容は同一である。


架空の著者は架空のアフリカの研究所に属している。Ocorrafoo M. Cobange などの著者名は、オンラインデータベースから取ってきたアフリカのファーストネームとラストネームをランダムに突っ込み、ミドルネームのイニシャルをランダムに決めてつくった。Wassee 医学研究所のような所属に関しては、スワヒリ語の単語とアフリカの名前と一般的な研究所を表す言葉とアフリカの首都の市をランダムに組み合わせてつくった。私の意図は、発展途上国の著者と組織を使うことで、好奇心の強い編集者が著者や組織についてインターネット上に何も見つからなくても疑いを抱くことが少なくなるのではないかということだった。


論文では、テスト用のチューブの中で分子の濃度を上げていくにつれて、癌細胞の成長がゆっくりになっていくかどうかという単純なテストが記述されている。第二実験ではガンの放射線療法をシミュレートするために放射線照射の量を増加させて細胞を扱った。すべての論文のデータは同一なので、結果も同じである。つまり、分子はガン細胞の成長の強い抑制剤であるし、放射線治療の感度を増加させる、というものである。


論文には多くの[危険を知らせる]赤い旗がある。特に明らかなのは一つ目のデータのプロットだ。グラフの脚注では、「[放射線]量依存」のガン細胞成長の効果が示されているーこの論文の中心的な結果であるーと主張されているが、しかし、データが示しているのは明らかに逆のことなのだ。分子は、ピコモーラーレベルまで、10 の5乗の範囲に渡ってテストされている。そして、しかしながら、細胞への影響は大したものではなく、全ての濃度で同じくらいなのだ。


論文の実験方法を書いたセクションを見れば、なぜこのような変な結果が出たか一目で分かる。分子は通常では考えられない大量のエタノールを含んだバッファーに溶かされていた。大将軍となる細胞も同じバッファーに溶かすべきだったのに、そうはされていなかった。よって、観測された細胞増殖に対する「効果」は、よく知られたアルコールの細胞毒性以外の何物でもないのである。


二番目の実験はなおさらデタラメだ。対照とされる細胞は全然放射線にさらされていなかったのである。よって観測された「相互作用効果」なるものは、通常の放射線による細胞増殖の抑制以外の何物でもないのである。実際、こんな実験からではどんな結論も引き出せなかったろう。


論文がどうにも問題があることと投稿に問題がないことを確かめるために、ハーバード大学の別の二つのグループの分子生物学者に仮の査読者になってもらった。最初に、発展途上国の論文を査読した経験から、ネィティブの英語では怪しまれるかもしれないという反応をもらった。そこで私は論文を Google 翻訳でフランス語に直し、それを英語に真央すということをした、最悪の誤訳を直した後、文法的には正しいが、非英語圏の話者の言い回しを含んだ論文が出来上がった。


研究者たちの助けによって科学的な間違いが微調整され、明らかかつ「どうしょうもなく悪質」なものになった。例えば、初期のドラフトでは、データは説明がつかないほど珍奇なものでなんだか「おもしろそう」だったーそれがもしかしたら科学的なブレイクスルーなのかもしれないと思わせた。それらを査読者が簡単に[出版を]止めさせられるようによくある間違いに調整した。


論文の最後の文章はそこまで読んだ査読者の気持ちを挫くようなものにした。「次の段階で、分子 X が動物と人間のガンに効果的であることを証明しようと思う。分子 X はガンの放射線併用つりょうの役に立つ新薬であると結論する」たとえ科学的な間違いにもかかわらず論文を不採用にしようと思わなかったとしても、これでは、あきらかになすべき臨床試験が無視されていることになる。

囮捜査

2013 年の 1 月から 8 月にかけて、一週間に 10 報の割合で論文を投稿した。つまり、各々の出版社につき1雑誌、一報である。論文の主題に一番近い雑誌を選んだ。まずは、薬学かガン生物学、そして一般的な医学、物理学、化学。最初は、いくつかの Yahoo e-mail アドレスを使い、その後はついに自動投稿のために、自分の e-mail サービスドメインである afra-mail.com を使った。


いくつかの雑誌は投稿前に手数料を要求してきた。そいつらは標的リストからは外した。その他はオープンアクセス誌の「理想」形だった。つまり、出版されれば、手数料を払う。


もし雑誌が論文を不採用にすれば、この工程は終わりだった。もし雑誌がレイアウトや形式を変更するように査読コメントを送ってくれば、直して再投稿した。もし査読が論文の重大な科学的間違いについて指摘してくれば、うわべだけ進歩させたー写真を少し増やすとか、形式を複雑にするとか、方法に余計な細かい説明をつけるとかーしかしどうしょうもない間違いは手をつけていない「改訂版」を送った。


雑誌に論文が採用されたら、ありそうな email を編集者に送った。「残念ながら、草稿を見直しているうちに、お恥ずかしい間違いを発見しました。今では、論文の結論を台無しにする実験場の間違いを見つけました」そして論文を撤回した。

結果

Science が印刷される時までに、 157 の雑誌が例の論文を受理し 98 が不採用にした。残った 49 誌のうち、 29 は放置したようだ。といのもウェブサイトを創立者たちが放棄しているからだ。他の 20 の編集者からは架空の責任著者に対して論文は査読中であるという e-mail を寄越していた。よって、これらも、また、今回の分析からは除外する。受理には平均で 40 日かかったのに対して、不採用には 24 日を使った。


受理または不採用に至る全編集工程を経た 255 報の論文のうちで、約 60% の最終決定がなんらの査読の形跡もなく行われた。不採用の場合は、これはいいニュースだ。つまり、その雑誌の品質管理能力は編集者が論文を吟味しただけで査読に送らないと決定できるほど高いということになるからだ。しかし採用の場合は、誰も論文を読まないで安易に採用を決めたのかもしれないということになる。


明らかに何かの査読を行った 106 誌のうち、 70 % が最後には例の論文を受理した。ほとんどの査読者が論文の体裁や形式、それに言葉についてばかり言ってきた。この囮捜査は多くのまっとうな査読者の時間を無駄にしたりはしなかった。 304 の投稿のうち 36 のみが論文の科学上の問題についてなんらかの理解をしている査読コメントを引き出した。そしてそのうちの 16 が査読者の要求に反して編集者によって受理された。


この結果から Beall がうまく品質管理がなっていない出版社を発見していることが分かった。彼のリストに載っていて査読プロセスを完了した出版社の 82% が論文を受理したからだ。もちろん、約 1/5 は彼のリストに載っていいても正しい仕事をしたということでもあるー少なくとも私の投稿に関しては。もっと衝撃なのは、DOAJ に載っていて査読を終了した出版社の 45 % がインチキ論文を受理してしまったことだ。「信じがたいことだ」と言ったのは、 DOAJ の設立者、Bjørnshauge。「これまで参入には新しい厳しい基準を設けようとコミュニティで頑張ってきたのに」一方、Beall は囮捜査の始まった年にこう注意している。「プレデター出版社とプレデター雑誌は急激なペースで増え続けている」


明らかになったオープンあくせす出版社、編集者や銀行口座の世界での分布は種劇的なものだ。ほとんどの出版運営者は本当の地理的な所在地をごまかしている。彼らは the American Jurnal of Medical and Dental Science とか the Europian Journal of Chemistry とかいう名前を雑誌に付けて、西側諸国の学術出版社のフリをー場合によっては文字通りニセモノをつくろうとーしている。しかし IP アドレスや銀行の請求書から明らかになった場所は大陸からして違った。その二つの雑誌は、それぞれ、パキスタンとトルコで出版されている。しかも、二誌とも受理した。The Europian Journal of Chemistry のチーフ編集者, Hakan Arslan はトルコの Mersin 大学で科学の教授を務めているが、この事態をピアーレビューの失敗ではなく、信用の破壊だと見なした。論文が投稿されたとき、彼の書いた e-mail にはこうあった。「あなたの論文は独自のものであり、提供された情報は[全て]正しいものだと信じています」The American JOurnal of Medical and Dental Science は e-mail に返事を寄越さなかった。


今回の囮捜査の標的になった雑誌の 1/3 がー明らかにしているものも編集者の居場所や銀行口座から明らかになったものもあるがーインドに拠点を置いていた。そこは世界最大のオープンアクセス出版業の拠点である。そして私のサンプルの中のインドに拠点を置いている雑誌のうち、64 誌がどうしょうもない例の論文を受理し、 15 誌のみが不採用にした。合衆国は次に多くのオープンアクセス誌を抱える国である。ここでは 29 が採用し 26 が不採用にした。(オープンアクセス誌の世界中の広がりは http://scim.ag/OA-Sting で見ることができる)


しかし編集者や銀行口座が発展途上国にある場合でも、最終的に利益を吸い上げる会社は合衆国やヨーロッパにあるのかもしれない。あるケースでは、学術出版の大ボスは鎖の頂点に鎮座している。


Elsevier, Wolters Kluwer, Sage から出ている雑誌はみんな私のインチキ論文を受理した。Wolters Kluwer Health は Medknows の雑誌の責任部署だが、「厳格なピアーレビューの工程と 医学雑誌編集国際会議と世界医学編集者協会の最新の勧告に従うことを誓う」と、Wilters Kluwer の代表者の姓名をe-mail で伝えた。「直ぐに対応し、the Journal of Natural Pharmaceuticals は廃刊します」


2012 年に、Sage は the Independent Publishers Guild のその年の学術及び専門出版者を受賞した。私のインチキ論文を受賞した SAGE の出版物は、 the Journal of International Medical Research だ。論文の科学上の中身を買えるような注文を全く付けずに、雑誌は受理したという知らせと $300 の請求書を送ってきた。「私はこのパロディ論文が編集工程をすり抜けてしまったことについて全責任をとります」と編集長で London の King’s College の薬学教授で王立精神分析協会のフェローである Malcom Lader は、 e-mai でl書いた。しかし、彼は、受理が必ずしも出版を保証していなかったかもしれないと注記している。つまり「出版社がお金の支払いを要求するのは、第二段階、つまり専門的な編集[の段階]が詳細かつお金が非常にかかるからです… 論文はこの段階でも、矛盾点が雑誌の満足いくまで明確にされなければ、まだ不採用になる可能性はあります」ということだ。Kader はこの囮捜査は、広範な、悪質な作用もあると論難する。「信頼という要素は不利な国々を含んで行うような調査には不可欠なものです。あなた方の活動はその信頼を傷つけるものです」と彼は、書いた。


Elsevier の論文を受理した雑誌、 Drug Invention Today は実は Elsevier の所有しているものではない、というのは、 Elsevier global corporate relations の副総裁である Tom Reller の言葉。「別の人のために出版しています」Science 誌への e-mail の中で、雑誌のウェブサイトに編集長として書かれている人物である、Raghavendra Kulkarn という、インド、Bijapur の BLDEA College of Pharmacy の薬学教授は 4 月、雑誌の所有者が「編集作業を始めめて」
以来「 Elsevier による編集過程には関わっていない」と断言した。「雑誌が Elsevier のプラットフォームに当たっては、一連の基準によって全ての雑誌が審査されます」と Reller は言っている。囮捜査の結果として、「これからは別の査定をします」ということだ。


The Kobe Journal of Medical Science の編集長、日本の Kobe University の教授である Shun-ichi Nakamura は e-mail に対してどれも返事を寄越さなかった。しかし彼の秘書, Reiko Kharbas が書いたところによると、 「受理の手紙を受け取ったことについてですが、 Dr. Obalanefah は論文を撤回しました」、これは論文を受理した雑誌に送った最終の e-mail についての言及だ。「よって、私どもの送った受理の論文は…なんの意味もありません」。


他の出版社は幸いにも弾丸を避けることができた。「これでわれわれのシステムが正常に働いていると信用できるでしょう」と Hindawi という Cairo のオープンアクセス誌の戦略部長である Paul Peters は言う。Hindawi はとてつもない組織である、 1000 人の頑強な編集者たちが 559 の雑誌から出る 年間 25,000 以上もの記事を切り盛りしている。 Hindawi が 2004 年にオープンアクセス事業を始めた時には、「素人みたいでした」と Peters は認めている。しかしそれ以来、彼が言うには、「出版倫理」が彼らのマントラであったのだ。Hindawi の雑誌である Chemotherapy Research and Practice は明らかな間違いを見つけて例の論文を不採用にした。ある編集者は HIndawi の別の雑誌、 ISRN Oncology にも試してみるように勧めてくれた。そして、そこもこの投稿を不採用にした。

最終楽章

囮捜査を始める時に、私はオープンアクセスに深い関心を持つ科学者の少人数のグループと協議をした。オープンアクセスモデルそれ自体がこの Science の調査によって明らかにされた品質管理のまずさの責任を負うのではないという人がいた。もし私が、伝統的な、講読料で成り立っている雑誌を標的にしても、Roots は「君は同じような結果を得たんじゃないかと疑われてならないんだよ」ということだ。「しかしオープンアクセスによって低層の雑誌が増え、そこから出てくる論文も増えた。誰でもオープンアクセスがいいことだというのは賛成している。問題は、どうやって達成するかだ」と Roos は言う。


科学雑誌の一番基本的な責務はピアーレビューをすることだと、 arXiv の創設者である Ginsparg は言う。彼は大部分のオープンアクセス科学者が「明らかにそうしていない」と嘆く。雑誌が義務を果たしているという保証が科学コミュニティの成立の必要条件である。「雑誌が質の管理ができていないのでは、破滅的です。得に政府や大学が科学的にいかがわしい人がたくさんいるような発展途上国においては、です」と Ginsparg は言う。


Alime Noutcha から出版手数料を巻き上げようとした出版社については、 Scientific & Academic Publishing の e-mail の IP address からこの組織が中国に基盤があると分かった。そして彼らが私に送ってきた請求書には $200 を香港の銀行口座に送るように指示してあった。

請求と一緒にすてきなニュースが届いた。科学的な査読抜きに、ある雑誌- the International Journal of Cancer and Tumor - が例の論文を受理した。著者 Alimo Atoa のふりをして、撤回の要求をした。私は架空のキャラクター同士のシュールなラブレターのような最終メッセージを受け取った。

Alimo Atoa さま、


あなたの選択に心からの敬意を示し、論文を撤回いたします。


もしあなたが論文を出版する予定がおありなら、ぜひご連絡ください、私はいつでもあなたの力になります。


心からの敬意を込めて、 Grace Groovy


今読んでも、なかなか面白い記事だと思ったので紹介してみました。っていうか、話題になった時は、流し読みでちゃんと読んでなかったナ。

といっても、中でも指摘があるように、オープンアクセス誌の問題というより、ピアーレビューの問題かもしれないですね。従来型の「定期購読」制の雑誌でも同様の試験をして比べてみないとオープンアクセス特有の問題かどうかということは判断できないんじゃ?

この記事を思い出したのは、最近も社会学分野でソーカル事件みたいなことがあったという記事を読んだので、いままでソーカル事件類似事件ってどんなのがあったのかちょと調べてみようと思ったからでした。

So-kalled research: French sociology journal retracts hoax article - Retraction Watch at Retraction Watch


できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか (KS科学一般書)

できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか (KS科学一般書)

『アメリカン・スナイパー』感想

 だいぶ時間が経ってしまったが、 2 月 22 日にクリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』を見たので、その感想をまとめておこう(といっても twitter に投稿したものをまとめ直しただけですが...)。

 (一応、ネタばらしがあるので、注意喚起しておきます。)















 映画が公開された頃の Twitter や雑誌の記事・パンフレットなどを見た段階では、「単純な戦争賛美映画ではない」、「むしろ反戦映画」という評価が多かったけど、自分は「うわー、おもったより露骨に右翼っぽい映画だなー」と思ってしまったし、厭戦観や戦争が主人公にもたらした傷とかは描いてるけど、反戦映画とまでは思えなかった。

 少なくとも、弟を虐めた奴をぶっ飛ばして父親に褒められた少年時代、30 近くまでカウボーイ気取りで恋人に裏切られた時にちょうどアメリカの大使館が襲撃されたニュースを見て軍隊に志願し、シールズに入るためのの娑婆っ気を抜かれるシゴキを経て、ナイスな恋人を見つけ、911 を経て、結婚直後に戦地に赴く(「ここは、現代の『西部』だ!」みいたいな上官のセリフが)導入部までなら完全に右翼映画・英雄映画として通用すると思う。

 もちろん、その後戦死した友人が直前に厭戦的な手紙を送っていたとか、戦地から帰ってきても戦場での記憶(たとえば、戦場の音)がよみがえってしまったり、犬に殴りかかったり、看護師(?)に怒鳴ったり、と暴力衝動的なものが出る PTSD 描写や、戦傷を負った元軍人に銃を指導する活動をして小康を得たところで、戦争帰りの青年(いかにも”病んでる”感じの描写)に射殺されてしまうラストなどは皮肉というか、運命的な響きがあるけれどもこれは戦争に反対しているわけではないと思う( PTSD 描写こそが、この映画のメイン! 的な評言を見たような記憶があるが、そうは思わなかった)。

 四度も戦場に赴く動機も「アメリカを守るため」、「仲間の復讐」(イラク側のスナイパー<シリア出身の元オリンピアンでメダリストのような描写が、相手にも子供がいてライバルっぽく描かれている>に殺された)として書かれている(としてしか書かれていない)のも、 主要な”敵”として描かれるのが、ザルカゥイの副官通称”虐殺者”で、イラク人の情報提供者の親子も虐殺し、ネジロには拷問して殺した捕らえたアメリカ人兵士が吊るされているというような強い嫌悪感を抱かせる奴になっていた(IS のイメージと重なる? )こととともに引っかかるところ。

 軍人や、自爆テロをしようとする人やその協力者などの主人公に殺される人たち以外のイラクの市民の描写が、”虐殺者”に殺される情報提供者や”虐殺者”のネジロ襲撃後に起きた暴徒たちぐらいしかなかったのも気になるところ。

 主人公たちアメリカ人兵士が、イラク人を barbalian 呼ばわりし続けていたのも気になったし(映画の主張とは限らないが、否定するような表現はなかった)、最後にカイルを射殺した帰還兵の青年も barbalian と書かれていたのも気になった。
 
 この内容では、戦争の背景の説明や戦争で被害を受けた人々の描写はなしに反戦映画になる映画ではないと思うし、「羊を守る番犬であれ」という主人公の価値観は、否定されていないと思う。

 「仲間の復讐や祖国を守るために戦ったが運命的な最後を迎えた男」という風に描かれていて、主人公の価値観や戦いを批判するような内容には思えなかったがなあ。

(アメリカの)保守派は(アメリカの)リベラルより事実を曲解する度合いが強いという研究の紹介の紹介

クリス・ムーニーというアメリカ合衆国のジャーナリストの Salon.com の少し古い記事( 2012/8/27 )が面白そうなテーマだったので、読んでみた。

このコラムの内容は、ある共和党下院議員のとんでもない暴言(2012)をマクラにして、人は一般的に自分の信念に整合するように事実を捻じ曲げて理解してしまう傾向を持っているが、政治的保守派のほうがリベラルよりもその傾向が強い、という主張の論文を紹介したもの。(ただし、後半部では、保守であったり、リベラルであったりすることは、偏向の程度には関係ないということを示唆する別の研究者も紹介されていている)

右派は事実を曲解するという研究


新しい論文によると保守派の方がリベラルよりも事実を信念にあうように捻じ曲げる傾向が強い


先週、この国はミズーリ州の共和党下院議委員 Todd Akin の言った女性はレイプされても、特別な体の防衛機構によって妊娠することはないという間違った意見に対する怒りで震えた。 Akin の主張は極めて不快なので目立っているが、キリスト教保守派は自分たちの道徳的信念を正当化するために同様の怪しげな”事実”を持ち出してきた数多くの事例があることを思い出そう。例えば、妊娠中絶は乳がん精神障害の原因となるという主張。ヒトの進化の否定。両親が同性であると子供が傷つくという誤った主張。ゲイであることは個人の選んだことであり、セラピーによってその選択を覆すことができるという主張。レイプされた女性は生理学的な防衛機構があるので妊娠しないという馬鹿げた主張は、キリスト教右派の科学に対する道徳的感情的戦争におけるながながと続いてきた誤った信念のほんの一つでしかない。


実際、 Akin が軽蔑と怒りの嵐という報いを受けている頃に、ある科学論文が絶妙なタイミングで the journal Social Psychological and Personality Science に発表された。その論文では人々が自分の心の底からの信念や道徳システムを正当化するために事実を捻じ曲げる時に実際にどのようなことが起きているのかを明らかにした。おそらくもっとも興味深いことは、この論文によって Akin のような保守派はリベラルよりもはっきりと多くこのようなことをすようだと示唆されたことである。


近年、道徳心理学の分野では「道徳的直観主義」として知られる理論が強力な影響力を振るっている。この理論のチャンピョンは Virgina 大学の心理学者 Jonathan Haidt である。人は本来合理的に行動するものであるという見解に一撃を加え、 Haiat はその代わりに我々の正邪の判定は本能的な感情に由来していると仮定する。感情は、何かの道徳的状況やジレンマに遭遇したときに思考よりもはるかに早く動き出す。よって、私たちが事実や意見や新しい情報を評価するのは、潜在的にもともとの道徳的感情に導かれて行われる。このことの意味するところは、ーHaidt の有名な公式によればー私たちの根深い道徳や信念にとって重要な事実を評価することになると、私たちは科学者のようには振舞えないということである。それどころか、私たちは、弁護士のように振る舞う。つまり、道徳に関する主張を支持するように証拠を曲解するのである。


しかし私たちは同じ程度で弁護士として振舞っているのか? この新しい論文で、 California 大学 Irvine 校の心理学者 Brittany Liu と Peter Ditto は実はそうではないと言っている。


この研究において、 Liu と Ditto は 1,500 人を超す人々に四つの意見の分かれる政治的な問題についての道徳的および事実についての見解を質問した。そのうちの二つー死刑と水責めなどを用いたテロリストの取り調べーはリベラルが例え(犯罪を抑止するとか、さらなるテロリストの攻撃を防ぐための情報を得られるとかの)効果があるとしても質問の中の行為が道徳的に受け入れられないと考える傾向にあるものである。他の二つー性教育における避妊の知識の提供や ES 細胞の研究ーは保守派が例え(望まない妊娠を減らすとか、難病の治療につながるとかの)利益があるとしても受け入れがたいと思うものである。


この実験では、被験者はまず自分の絶対的な道徳上の信念について質問される。例えば、死刑は例え他の人犯罪から守られるとしても悪か? などである。しかし被験者はまた事実に関する各トピックの質問も受ける。 死刑は犯罪を抑止するか? 避妊具によって妊娠は避けられるか? ES 細胞によって医学は進歩するか? などである。


もしある人がある行為を絶対的に悪であると考えているなら、それで十分である。その行為が損害をもたらすとか利益をもたらすとかは考える必要がない。それは道徳的判断にとっては重要なことではないはずである。しかしデータを解析すると、Liu と Ditto は、 すべての話題について、あるものー例えば死刑ーが道徳的に間違っていると考えることと、そのことのもたらす利益が小さい(例え犯罪を減らさない)またはもたらす損害が大きい(多くの無実の人が死刑に処されている)と信じることには強い相関があることを見出した。つまり、リベラルと保守派は同様に道徳的信念に合わせて事実の評価を調整するという評価法を共有しているということである。 Liu と Ditto が倫理的見解と事実に関する見解の「道徳的一貫性」とよぶものである。「である」と「べき」を混乱している(道徳哲学者はこのように言うだろう)ということではどちらの陣営も無実ではない。


しかしながら、すべての人が同程度にこのように振舞ってしまいやすいわけではない。それどころか、研究者たちは、自分の道徳観に都合のいいように事実を曲解してしまう人間の標準的な傾向を悪化させる三つの危険要素があることを見出した。そのうちの二つは特に驚くようなものではない。即ち、その話題について強い道徳観を持っていることと、そのことについて多くの知識があることは同様に、「道徳的一貫性」への傾斜を悪化させると分かった。(いろいろな研究によると、知識[を増しても]は私たちは単に既に信じていることをよりうまく弁護できるようになるだけであるようだ)しかし三つ目の危険因子は極めて論争的である。つまり三つ目の要因は政治的保守主義である。


この研究において、 Liu と Ditto は、保守派は事実に対する見解を自分の道徳的信念に沿うように曲解することをリベラルがやるよりも、すべての課題について、より多く行ったと報告している。そしてこれはリベラルが反対する項目(死刑)でも保守が反対する項目(ES 細胞の研究)でもそうなのである。 Liu はあるインタビューで「保守派は、四つの項目すべてについて、リベラルよりも大きな程度でこのようなことをしている。二つはリベラルサイドに属する信念で、保守サイドではないのに」と答えている。


リベラルー保守派の心理学的な相違については長きにわたる(論争的ともいえる)研究の蓄積があり、そこからなぜこのような結果になるかの答えが得られそうだ。Liu の書いていることによると、保守派は認知的閉鎖欲求という特質で高いスコアを付けている。認知的閉鎖欲求とは不確かさを嫌い断固とした信念を持つことを欲する感情を意味する。認知的閉鎖欲求は人を首尾一貫した整合性のある信念を保持したいという思いに向かわせる。そして曖昧さに対して耐えがたいという気持ちにさせる。 同じようにして自分の事実と道徳的見解の間の「道徳的な一貫性」を達成したいという欲求も説明がつく。この解釈に従えば保守派は事実と自分の道徳体系が完全に一直線上にあるという信念を自然に抱きやすいということになるだろう。対して、リベラルはもっと矛盾している。ES 細胞の研究は支持しているが、私たちが十年ほど前に散々聞かされた科学上の約束が果たされるかについては疑いを感じてもいる。


何が事実として真であるかについての感情的な推論についての左派ー右派の明らかな違いについて述べる中で、この新しい論文は Yale の研究者 Dan Kahan が「イデオロギーの非対称性」と名付けた進行中の議論に踏み込んでいる。これは政治的立場のある一方は、もう一方の立場よりも、事実の判定にバイアスをかけるという考えで、 Kahan が批判している見解である。実際、彼の最近の別の研究によれば、リベラルも保守派も同じように偏向していることが見出された。ただし、調査は政治的な事柄についてではないが。


なぜある研究では左派ー右派の非対称性を示す仮説が支持され、別の研究ではその反対が示されるのかはまだ分かっていない。しかし Liu と Ditto の論文によって確かに研究は進んだと言えるだろう。実際、 Kahan は既にこの論文についての議論に参加していて、この論文が非対称性を支持する証拠を与えていることは認めている。しかし、彼の立場から見れば、他の研究によって得られた非対称性反対する証拠ももっと重要なのである。


結論は、今のところ、全ての人が目的指向の思考に引き付けられて、自分の道徳観と信念の体系に従って事実を捻じ曲げることは否定しがたいということである。しかし、全ての人が自分の信念や感情によって偏向しているとしても、一部の人はさらに偏向しているというのも真実かもしれない。


参照されている B. Liu & P. Ditto の論文はこれWhat Dilemma? Moral Evaluation Shapes Factual Beliefだろう。


Dan Kahan のこの論文に関する議論はココ。www.culturalcognition.net - Cultural Cognition Blog - Motivated consequentialist reasoning


Jonathan Haidt の「有名な公式」として リンクされている論文は、http://www.motherjones.com/files/emotional_dog_and_rational_tail.pdf


クリス・ムーニー(1977-)は、アメリカ合衆国のジャーナリストで、The Republican War on Science (2005) や Storm World, Politics, and the Battle Global Warming (2007), The Republican Brain (2013) といった著書がある。もともと American Prospect というリベラルな雑誌のライターをしていて、その後フリーランスのライターとして、Slate や Salon.com や Washington Post などの雑誌に寄稿していたらしい。(<- 以上 Wikipedia 知識)現在は、 Washington Post のスタッフ・ライターとしてエネルギーや環境に関する問題を担当しているそうだ。Big News: I’m Moving to the Washington Post


単著の邦訳はないみたいだけど、Michel E. Mann 著, 藤倉良・ 桂井太郎訳『地球温暖化論争ー標的にされたホッケースティック曲線』(化学同人,2014)に The Republican War on Science が引用されていた。(立ち読みですが...)


書評などを読むと、米の保守派の地球温暖化否認論や進化論否定への傾きを批判するというのが主な執筆テーマのようだ。


The Republican War on Science (『共和党の科学への戦争』)は、 2005 年のベストセラーだとか。

ぼくが、ムーニーの名前を知ったのは、 twitter やブログの記事で The Republican Brain (『共和党脳』)の紹介を読んだから。

ウソの自白に関する本二題ー『自白の心理学』と『本当は間違っている心理学の話』

 冤罪の発生、とりわけ犯人でない人がウソの自白をしてしまう現象について、心理学的に考察した本を二冊読んだ。

  • 浜田寿美男『自白の心理学』(岩波新書
  • スコット・O・リリエンフェルド、スティーヴン・ジェイ・リン、ジョン・ラッシオ、バリー・L・バオアースタン著 八田武志、戸田山和久、唐沢穣監訳『本当は間違っている心理学の話 50 の俗説の正体を暴く』(化学同人)

 『自白の心理学』では、自白にまつわる三つの問題について、現実の冤罪事件に沿って解答を与えている。即ち、

  1. なぜ犯人でないのに、死刑の可能性が高い事件で、ウソの自白をしてしまうか。
  2. あまつさえ、なぜウソの犯行の詳細を、取調官の要求を満たすよう作り上げてしまうのか。
  3. 自白調書の分析(「無知の暴露」の発見等)によって、自白がウソである=冤罪の可能性を示すことができるか。

である。

 この本で詳しく取り上げられている冤罪事件は、宇和島事件(窃盗)、甲山事件(殺人が疑われたが事故死の可能性大)、仁保事件(強盗殺人)、袴田事件(殺人放火)の四つの事件だ。最初の三つの事件に関しては、冤罪が証明され確定したが、袴田事件は、本書でも示されるように、冤罪の可能性が極めて大きいにもかかわらず、袴田さんは 2014 年に再審請求が認められるまで、死刑囚として拘束されていた。

 甲山事件において、「なぜ犯人でないのに、死刑の可能性が高い事件で、ウソの自白をしてしまうか」という問題が検討されている。取り調べの現場で、捜査員たちが被疑者にされた保育士の女性に与える、(ウソの)自白へ向かわせられる圧力は、「親もお前を疑っている」と(虚意の)情報を与えるなどによって膨らまさせられる精神的な孤立感や「同僚へ疑いが向くのでは」という思いや事故死した児童への責任感からくる罪悪感を利用したものである。それらに加えて、非人間的な取り扱いや暴言によって、取調官は場を支配し、女性は、彼らの気に入るような発言をしなくてはいけない心理に誘導されてしまった。誘拐犯や立てこもり犯に捕らわれた被害者が犯人に親近感や恭順の意を示すことをストックホルム症候群というが、類似の心理的力学で説明できるのかもしれない。また、このような立場にさらされた人たちは、真犯人でないため、刑罰への現実感が薄く、予想される刑罰の大きさが自白をためらわせる方向に働かないという事情もあるらしい。

 仁保事件においては、事件と全く関係ない人が、自白し、ウソの事件の詳細を語ってしまう=作り上げてしまうという問題が検討されている。このような場合、被疑者は、取調官の気に入るように(それは、言い換えれば、取調官の知っている証拠と矛盾のないように、)供述を変遷させながら、話を作っていくので、最終的にまとめられる調書は一見検察官の満足のいくものであるらしい。仁保事件の被疑者にされた男性の「犯人になってやる」というその場を体験していない者にとっては、衝撃的な心理状態の告白を含む取り調べの状況を映したテープ・レコーダを文書化した引用はぜひ読むべき内容だ。

 袴田事件においては、第一、第二の問題点を踏まえて、袴田さんの”自白調書”を検討している。

 本書を読んで、冤罪であることを示す沢山の情報があったのに、それらを無視して犯人と決めつけてしまう「取り調べの心理」についても詳しい研究を読んでみたいという感想をも抱いた。しかし、本質は心理というより(そのような心理を可能にすることも含む)制度的な問題であろう。

 たとえば、警察官向けの教科書や袴田事件の調書には、被疑者が否認しても冤罪である可能性を考えてはいけない、という意味の文言がある。

頑強に否定する被疑者に対し、『もしかすると白ではないか』との疑念を持って取り調べてはならない。

 これは、増井清彦『犯罪捜査101問』(立花書房)の『自白の心理学』からの孫引きだ。(イヤハヤ、いったい、どういう理路でそのような主張が教科書に載るのか? いつか『犯罪捜査101問』を確認しなければ… )

 本来、難事件ではないはずなのに、捜査員・取調官の「思い込み」が難事件を作っている、とも指摘されていた(つかこうへい『熱海殺人事件』を連想した)。

 『本当は間違っている心理学の話』は、「50 の俗信の正体を暴く」という副題の通りに世間的に信じている人が多かったり、一般向けの本に書かれているが、間違っていたり、根拠がなかったりする心理学的な俗説(「人は脳の 10% しか使っていない」とか「トラウマ的な出来事の記憶は抑圧される」とか)を大量の学術的な論文を調べて検討した本だ。

  その 46 番目の俗説が「自白する人は実際に罪を犯している」だ。(8 ページの論考で、 21 もの参考文献が付いている! )

 こちらの本で取り上げられている事件は、主にアメリカ合衆国のもので、参照されている知見も欧米の研究者のものだが、冤罪発生のメカニズムについての見解は、『自白の心理学』とよく一致しているように思えた。取り上げられてる事件は、「セントラルパーク・ファイヴ」事件(五人の少年が犯罪を自白したが、13年後に DNS 鑑定により冤罪であったと判明した 1989年の事件)、エディー・ジョー・ロイド事件(警察に思いつきの犯罪解決法を電話する行為を繰り返していた人物がレイプを自白したが、18 年後にやはり DNA 鑑定で冤罪であったと判明した 1984 年の事件)など。(ジョン・ベネ・ラムジー事件や「ブラック・ダリア」事件やリンドバークの息子の誘拐事件で、明らかに犯人でない人物(ときには何人も)が自白した事例が挙げられているが、これはちょっと種類が違う。あと、ヘンリー・リー・ルーカスが「おそらく、もっとも多くの嘘の自白を行った人物」として言及されていた。)

オスカー有力候補のドキュメンタリー作品、5人の少年達がえん罪になったレイプ事件とは? - ANAPエンタテインメントニュース - ANAP HOLIK <- 「セントラルパーク・ファイヴ」事件は、ドキュメンタリー映画の題材になっているようだ。)

 いくつかの心理学の実験が紹介されているのだが、その中で、『自白の心理学』よりも踏み込んでいると思えるものを挙げると、

  • 警察官は、大学生よりも自白が真実かどうか見破る能力が高いわけではないのに、高いという自信を持っている。「要するにどうやら警官には、その人が無実の場合でも有罪だとみなすようなバイアスがかかっている」のだ。

(Kassin, S. M., Meissner, C. A., & Norwich, (2005). “I’d know a false confession if I saw one”: A comparative study of college students and police investigators. law and human behabior, 29, 211-227.
http://psycnet.apa.org/journals/lhb/29/2/211/



  • 多くの人がウソの自白を行いやすい傾向がある。研究者が実験参加者に押してはいけない禁止キーを押して、機械を故障させてしまったと信じ込ませる実験で、65 % が(自分が壊していないのに)自白書にサインし、35 % が自分が機械を壊したという詳細を作り上げた。

(Kassin, S. M., & kiechel, K. L. (1996), The social psychology of false confession: Compliance, internalization, and confabulation. Psychological Science, 7, 125-128.
http://web.williams.edu/Psychology/Faculty/Kassin/files/kassin_kiechel_1996.pdf

(Saul Kassin という人は、「ウソの自白」研究のパイオニアであるらしい。Saul Kassin | Professor of Psychology


 警察官が、被疑者を有罪だとみなすバイアスを持っている、というのは、アメリカ合衆国の研究だけれども、『自白の心理学』の記述と合わせると日本の警察官にも存在するのではないかな? (増井著の記述は、その心理が規範化? )


 さらに、別の研究による、ウソの自白をしやすい人の傾向というのも紹介されていた。


 ここらへんの「警察官には、被疑者が有罪であると信じ込むバイアスがある」、「ある状況に置かれれば、多くの人がウソの自白をし、そのうえウソの詳細を作り上げる人もいる」、「ウソの自白をする人の傾向」という研究は、日本でも追加研究をしてみたらどうだろう? と思う。

自白の心理学 (岩波新書)

自白の心理学 (岩波新書)

本当は間違っている心理学の話: 50の俗説の正体を暴く

本当は間違っている心理学の話: 50の俗説の正体を暴く

「男大空ハイライト」を発掘

今はなきとあるサイトの「雁屋哲アラカルト」というコーナにあった『男大空』というマンガのあるシーンのセリフをまとめたページを webarcheives から発掘してきました。

このページは、すごくナイスだと思うのになくなって読めなくなってしまうのは残念だったので発掘しました。

『男大空』は、少年サンデーに連載されて、小学館の新書版・メディアファクトリーの復刊・コンビニ本での復刊と知ってる限り三回出てます。コンビニ本は、最近の出版だからまだ手に入りやすいかも。

ぼくは、メディアファクトリーの版で読みました。

このマンガは、原作雁屋哲・作画池上遼一コンビの『男組』に続く作品で、ストーリーの大枠やキャラクターの設定をかなり前作から受け継いでいます。しかし、ただの二番煎じではなく、『男組』でやりのこしたことをやろうという作者の意志が感じられます。

その前作ではやれなかったことの一つが、この発掘したのシーンによく出ているように思います。

まあ、読んでいただければ、分かるのですが、実在した政治家兼軍人兼とある宗教の教祖(かな?)であった人物をモデルにした人物が出てきて、彼に対する当てこすりとなっています。

鬼堂凱というのが、『男組』の神流剛次に当たる人物で、大財閥の跡取りで、支配階級の頂点に立って日本を自分の思うままにしようと願う野望の持ち主です。

鬼堂軍四郎というのは、彼の父親で、大財閥の現当主です。凱の野望のために、日本を代表する名家である寿羅木家の娘と結婚させようとしているのが以下のシーンです。(軍四郎と凱は、『男組』の「影の総理」と神流の関係とは違って仲良し親子です。軍四郎が人質に取られたときに、凱が”その老人からはもう全てを受け継いだ。父にはもう用はない”とか言ったら、軍四郎が”よくぞ、言った、凱よ! それでこそ、わしの息子だ!! ワハハハハ!!!”とかいってコトキレたという心温まるエピソードも出てくるくらいの仲良しさです。<-記憶で書いているのでちょっと違うかも。。。)

最後の方に出てくる祭俵太というのが、『男組』の流全次郎に当たる本作の主人公で、凱の野望を打ち砕くために凱と闘います。(天涯孤独の少年刑務所受刑者の流全次郎と違って、俵太は新興財閥の当主の末息子です。日本の支配階級と闘おうとした俵太の父親は、物語の冒頭で鬼堂財閥によって暗殺されてしまいます。この関係は、『男組』とかぶります。)

≪男大空≫ハイライト (http://web.archive.org/web/20080913010142/http://mitleid.cool.ne.jp/suragi.htm)

 
鬼堂軍四郎「ハァー フゥー・・・」
 
鬼堂凱「父上、大丈夫ですか?」
 
軍四郎「まだ、急には死なん・・・ だが、長くはない。
わしは死ぬ前にもうひとつ——
お前のためにしておかねばならんことがあるのだ・・・
わしはお前に、巨大な額の金と力を残してやった。
しかし、ひとつだけ欠けているものがある!
それをお前はどうしても手に入れねばならんのだ!!」
 
「父上、私はもうこれ以上のものは、
必要ありません。」
 
軍四郎「凱っ! 何を子供じみたことをいうかっ!!
寿羅木家の力を侮ると、命取りになるのだぞっ!!」
 
「は、はい・・・ それは分かっておりますが・・・」
 
軍四郎「いや、まだよく分かっておらん・・・
凱、ようく聞け!
 
寿羅木家はたしかに一宗教の宗家にすぎない。
だがこの宗教、入門して宗徒たり得る者は、
政財界の実力者のみ!
 
しかも、日本でもかなり古い宗教のひとつに入る。
宗家の寿羅木家は、日本で最も古い家系のひとつだ。
 
日本史をひもとけば、
藤原時代から鎌倉、室町、戦国、徳川の各時代を通して、
時の権力者、実力者は、すべてこの宗教に入門して、
教皇から宗徒証状をもらうのがきまりだった。
 
つまり、寿羅木家の者と結婚し、
寿羅木一族と血縁関係を結ぶことによって
自らの地位を高めてきた。
それは、明治、大正、昭和の世になっても変わらん!
 
寿羅木家と縁戚関係を結んでおらぬ者は、
日本の政財界では一流とみなされない。
こうして、日本の政財界の実力者たちは、
寿羅木家を介して複雑に結びつく形になっている。
 
最初は飾り物としての意味しか持たなかった寿羅木家は、
支配階級と密接に結び付いた結果、
大きな力を持つようになってしまった。
寿羅木家の存在ぬきにして
日本の支配階級を語れぬまでになっている。
 
 
・・・わしの祖父の時に、寿羅木家の一族から嫁を迎えた。
しかし、本家の娘ではなかったし、
あまりそのことで寿羅木家と縁が濃いとはいえぬ。
 
だから今、新たに寿羅木家の者を鬼堂家に迎え、
日本の支配階級の中でも
鬼堂家の地位を名実ともに最高のものに、
不動のものにせなばならぬのだ!」
 
「・・・分かりました。」
 
軍四郎「凱、これがうまくいけば、お前に欠けるものは
何ひとつなくなる!」
 
「日本の支配階級の者すべてが憧れ崇め奉る
寿羅木家の力を借りて、
私の意図することができるのですからね。」
 
軍四郎「そうだ、そしてこれがわしのお前への
最後の贈り物となるだろう。」
 
「父上、それほどまでに私のことを・・・」
 
軍四郎「凱、お前はわしの希望、わしの誇り、
わしの夢を成し遂げる英雄。
わしのすべてなのだよ。」
 
 
寿羅木君彦「なるほど・・・
あなたのところと・・・私のところは、
遠い親戚関係にあるけれど・・・
それをもっと深いものにしたい
というのか?・・・
 
軍四郎「さようでございます、教皇さま。」
 
寿羅木君彦「きみは何をしたいのか?」
 
「私ほどの若さで、これだけの力と金を持った者は、
日本の歴史上でもはじめてだと思います!
上限なしの金と力で、人間は一体何ができるのか、
試してみたいのです。」
 
寿羅木君彦「それは大変すてきなことですね・・・」
 
「法律も私が作りたい。刑罰も私の思うとおりにしたい。
経済も私の思うとおりに動かしたい。
人間——どれだけ巨大になれるか、
やってみたいのです!」
 
寿羅木君彦「あ、ああ・・・
それはほんとに、すてきなことですね。」
 
「ところが、そのためには邪魔者を倒さねばなりません。
たとえば、祭家の兄弟たち・・・」
 
寿羅木君彦「祭、祭、祭・・・・・・
知りませんね。
うちとは何の縁もありません・・・
何でも好きなようになさればいい。」
 
軍四郎「しかし、やり方はかなり手荒なものになります!
倒すのは祭家だけではなくなります!
だが、私ども鬼堂家が・・・
教皇さまと最も近い縁続きということになれば、
誰も文句はいえなくなります・・・」
 
寿羅木姫子「お父様、注射をして差し上げましょう。」
 
寿羅木君彦「あ、あ、姫子、
ありがとう・・・ ありがとう・・・
(バッ)
よおしっ、鬼堂凱といったな。
お前の嫁に、この私の末娘の姫子をやろうっ!」
 
軍四郎教皇さま、かたじけのうございます。
この感激、何と申し上げたらよいか・・・」
 
寿羅木君彦「ことばで礼をいってくれんでもよいわっ!
礼の手始めに姫子の体重と同じ重さの
プラチナと金塊を届けるのだっ!
本当の礼はそれからしてもらうっ!」
 
軍四郎「いかようなお礼でも・・・」
 
寿羅木君彦「これでお前たちが何をしようと、
支配階級の者たちは何ひとつ文句をいわんだろう!!
ブツ・・・ ブツ・・・ ブツ・・・」
 
寿羅木姫子「どう、私をお嫁さんにもらえてうれしいでしょう?
さあ、早く答えてよ。
私と結婚できてうれしいでしょ?」
 
軍四郎「凱・・・!!」
 
寿羅木君彦ブツ・・・ ブツ・・・ ブツ・・・
私はもうろくしてないぞ・・・
断じてもうろくはしていない・・・
 
ブツ・・・ ブツ・・・ ブツ・・・
世間はみんな私のことをもうろくしていると
思い込んでいるが、私ほど狡猾な人間はいない・・・
 
ブツ・・・ ブツ・・・ ブツ・・・
自分の身を守るために、すべての責任から逃れるために、
そのようなふりをしてきたのだ。

[<- ここがハイライト中のハイライトと思う。強調発掘者]
 
 
「寿羅木・・・・・・
父上のソファーに座り、父上のグラスで
父上の愛用の酒を・・・」
 
寿羅木君彦「あ、ああ・・・ 凱くん・・・
立派な屋敷ですね・・・
こ、こんな屋敷を頂いて悪いですね・・・
何もかも頂いてしまって・・・」
 
「おのれ・・・・・・
日本最古の家柄という権威を道具に
政財界の有力者たちと親戚関係を結び、
寄生虫のように生き延びてきた寿羅木家の
正体はこれかっ!」
 
祭俵太「これが寿羅木か!
この薄汚い老人が・・・
けっ、日本の政財界の有力者たちもどうかしてるぜ、
こんなみっともねえ老人をありがたがるなんてよ・・・」

責任を逃れようとする狡猾な人物として描ているのが凄い思うマス。

男大空 1 (My First WIDE)

男大空 1 (My First WIDE)

マンガ 日本人と天皇

マンガ 日本人と天皇

ショーは終っテンノー (天皇制論叢)

ショーは終っテンノー (天皇制論叢)

旧軍隊で行われた私刑

古山高麗雄『二十三の戦争短編集』を読みかえしていたら。

 若い人のために、旧軍隊で行われた私刑についても、説明しておこう。
 とても全部は書ききれないが、ビンタにも、対向ビンタといって、上級者は自分では手を下さず、二人を向かい合わせて、互いに殴らせるというのがあった。整列ビンタといって、一列横隊に列ばせて、一人一人順次に殴って行くというのもあった。鶯の谷渡りというのは、寝台の下を潜らせて、寝台と寝台の間から首を出させ、ホーホケキョと言わせる。内務班のずらりと並んだ寝台を次々に潜らせて、ホーホケキョを繰り返させるのである。蝉というのは、柱に抱きつかせてミンミンだとか、ツクツクボウシだとか、言わせるのである。自転車というのは、部隊によっては、郵便局だの電報配達だのと言っていたようだが、テーブルとテーブルの間で、テーブルに手をついて体を宙に浮かせ、自転車のペダルを踏むかたちで、両足を交互に漕ぐのである。私刑の施工者は、速力を上げろだの落とせだのと号令をかけて、面白がるのである。女郎屋というのは、銃架を遊郭の格子に見たてて、ちょっとお兄さん、寄ってらして、ちょっと、ちょっと、などと言わせるのである。
 そのほか、旧軍隊では、汚れた雑巾で自分の顔をふかせたり、靴の裏を舐めさせたりした。私たちいわゆる戦中世代の者は、そのような醜いことをして人を愚弄したり、愚弄されたりしたのである。
(「戦友」p.248)

あっ、「蝉」と「自転車」って藤子不二雄 A の『黒ベェ』で陰険な軍隊帰りの会社社長が新人社員を軍隊式社内合宿でイビルのにやってたな、と思い出した。

あと、最近少し読み返した『右向け左!』でも、「バイク」という似たようなシゴキがあったな。

二十三の戦争短編集 (文春文庫)

二十三の戦争短編集 (文春文庫)

黒ベエ 第1巻 (藤子不二雄Aランド (Vol.008))

黒ベエ 第1巻 (藤子不二雄Aランド (Vol.008))

新装版 右向け左!(1)

新装版 右向け左!(1)

新無神論者たちのイスラモフォビア

CJ WERLEMAN (1) という批評家のアメリカ合衆国における新無神論ムーブメントに関する記事を Salon.com というオンライン雑誌でいくつか読んだら、面白かったので、ちょっとまとめてみマス。


無神論ムーブメントというのは、911 以後米国で活発になった世俗主義の動向で、2004年のサム・ハリスの『End of Faith』を皮切りに、ぞくぞくとそれに関する著作が発表され、ベストセラーになったことから始まる(ソウデス)。ハリスの本の他にリチャード・ドーキンス『神は妄想である』(2006)、ダニエル・デネット『解明される宗教』(2006)、故クリストファー・ ヒッチンス『God is not Great』(2007)が代表的な文献だそうだ。(ヒッチンスには『アメリカの陰謀とヘンリー・キッシンジャー』というキッシンジャーぶっ叩き本と『トマス・ペインの「人間の権利」』 の邦訳が ) ちなみにこの四人のイデオローグは、ヒッチンスが生きていたころは、「黙示録の四騎士」をもじって「四騎士」と呼ばれていたとか。(2)四騎士以外の著作では、ビクター・ステンガー『God: the failed hypothesis』(2007)というのも有名だそうだ。ステンガーには、『宇宙に心はあるか』という邦訳本も(無神論ムーブメント以前だけど)(3)


WERLEMAN によるとアメリカで、新無神論者のグループは、近年もっとも速い速度で勢力を伸ばしているグループだという。(そして、その主流は、中流のノンポリ白人男性。この中流・白人・男性という構成の傾向は、リバタリアンと重なるらしい)(4)


WERLEMAN は、一連の記事で、指導的無神論者たちのうちハリスやドーキンス(やビル・マー)は、政治学の成果や歴史的背景を軽視して、テロリズムの要因を宗教、とくにイスラム教に押し付けていると批判している。そして、一般の無神論者たちには、信仰者を子どもっぽい存在に思い描いて馬鹿することで満足するようなヒネタ態度を止めて、よりよいアメリカを作るために大人になりなさいと説く。そのためには、格差や社会正義について価値観を共有できる宗教コミュニティーとも協調し、貧困や格差問題に熱心に取り組むフランシスコ教皇の言葉にも耳を傾けナサイ、と書いている。(4,5,6,7)


具体的には、「ビル・マーのような無神論者と中世十字軍の共通点」(5)・「ドーキンス、サム・ハリス、そして無神論者たちの醜いイスラモフォビア」(6)という記事で、次のように批判している。


1981年から 2006 年までの中東における全ての自爆テロを調べたオーストラリアの Flinders University の自殺テロデーターベースの研究によると彼らをテロに駆り立てた原因は、宗教的な熱狂ではなく政治的な理由であるという。また、1980 年代から現在までの2,200 件の 自殺テロを調べたシカゴ大学の Robert A. Pape と James K. Feldman も、90%のテロが占領軍を追い出すためであり、イスラムが問題の根源だという見方を退けている。(6)


無神論者が、政治的・歴史的要因を無視して、中東のテロリズムの原因はイスラム教だと信じているさまは、まるで、キリスト教原理主義者が地球が7,000年前に誕生したと信じるようなモノダ、どちらも科学と理性を拒絶しているのではないか、と著者は皮肉っている。


WERLEMAN に言わせれば、米国が中東に占領軍を置くことや専制政府を支援してきたことが、経済的な圧迫をもたらし、イラクの囚人への拷問や虐待も含めた残虐行為という結果を引き起こしているのであって、ドーキンスやハリスたちのようなテロの原因は政治ではなくイスラム教にあるという世界観は、科学(Robert A. Pape らの研究)も理性も証拠も無視しているもので、中東での新しい誤った戦争へ駆り立てることにつながる危険なものだということになる。(6)


また、『イスラム恐怖症産業: いかにして右派はイスラムの恐怖を捏造するか』(The Islamophobia Industry: How the Right Manufactures Fear of Muslims)という著書のある Nathan Leanも、サム・ハリスやリチャード・ドーキンスのような無神論者たちは、イスラムフォビアの新しいグループになっている、と批判しているそうだ。(6)


さらに、中流のノンポリ白人男性が主流を占める一般の無神論者に対しては、無神論が中流白人の非政治的な運動にとどまるのなら、マイノリティや貧困層無神論から遠ざかるだけでなく、無神論者が目標とするよりよいアメリカを作ることもできないだろうという。「なぜ無神論者はフランシスコ教皇に耳を傾けるべきか」という記事では、教皇トリクルダウン理論を批判し、貧困問題に積極的に取り組んでいるのに、無神論者がそういうことに対して何もしないで広告を出すとかそういうことに金を使うばかりなら、人々はカトリックをヒップ(魅力的)だと感じ、無神論者のことはアス・ホールだと思うようになるだろうといっている。(4,7)


さらに、共和党員の無神論者(リバタリアン無神論者)については、「無神論者は共和党員になれない」(4)という記事で、故クリストファー・ヒッチンスが、無神論者の強みは、証明されていない断言を受け入れることを拒否することができることだ、といっているが、それならば、創造論などよりいっそう危険な神話である(共和党の政策でもある)トリクルダウン理論を信じてはいけないゾ、と書いている。証拠に基づいて判断する無神論者なら地球温暖化にも、トリクルダウンにも、イラク戦争でも、ブッシュ減税でも間違ってい(る/た)今日の共和党の党員にはなれないはずである、と書いている。


ちなみに実は、CJ Werlemanも著名な無神論者で、『God Hates You. Hate Him Back』という聖書のストーリをコミカルに風刺したベストセラーや「キリスト教右派とウオールストリートの不浄な同盟」という副題のある『Crucifying America』という作品があるらしい。最新作は、保守派の無神論者を非難した『Atheists cant be repyblicans』(Salon.com の記事と同じタイトル)。


WERLEMAN の評価がどこまで妥当なのか、ドーキンスやハリスの主張をしっかり把握しているわけでもないし(四騎士の無神論関係の著作は、『神は妄想である』の邦訳を何年も前に読んだくらい)、米国特有の事情もよく知らないので、判断つかない所もあるのだけれど、最近ドーキンスtwitter上で頻繁に炎上しており(8,9,10)、しかもその内容があまり(にも)共感できない感じなので、WERLEMAN の批判が気になってしまった。


それに科学的な態度・懐疑的精神・証拠を重視する態度をウリにする論者が、オトクイの分野ではない分野(テロリズムや貧困)では、さっぱり科学的でも証拠を重視してもいなくて、それどころか、ややもすれば体制的・保守的立場に、専門分野で培った権威を使ってお墨付きを与えているっていうのは、結構普遍的な構図なんじゃないかと思えてしまうので、WERLEMAN の批判には説得力を感じてシマイマス。

(1) http://www.salon.com/writer/cj_werleman
(2) http://en.wikipedia.org/wiki/New_Atheism#Four_Horsemen_of_the_Non-Apocalypse, http://www.newstatesman.com/blogs/the-staggers/2011/12/richard-dawkins-issue-hitchens
(3) Massimo Pigliucci (2013). New Atheism and the Scientistic Turn in the Atheism Movement. Midwest Studies in Philosophy 37 (1):142-153.
(4) http://www.salon.com/2013/10/26/atheists_cant_be_republicans
(5) http://www.salon.com/2014/09/04/what_atheists_like_bill_maher_have_in_common_with_medieval_christian_crusaders_partner
(6) http://www.salon.com/2014/09/06/richard_dawkins_sam_harris_and_atheists_ugly_islamophobia_partner
(7) http://www.salon.com/2013/12/12/why_atheists_should_listen_to_pope_francis_partner/
(8) http://www.independent.co.uk/news/people/news/richard-dawkins-muslim-jibe-sparks-twitter-backlash-8753837.html
(9) http://www.telegraph.co.uk/health/healthnews/11047072/Richard-Dawkins-immoral-to-allow-Downs-syndrome-babies-to-be-born.html
(10) http://www.salon.com/2013/09/11/richard_dawkins_doesnt_get_to_define_sex_abuse

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