わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

Brandon Carter 「巨大数の一致と宇宙論における人間原理」(2)

 Brandon Carter 「巨大数の一致と宇宙論における人間原理」(1) - わが忘れなばの続きです。第二章と第三章を訳しました。

2.伝統的な種類の予測

Bondi のリストに挙がっている最初の「巨大数の一致」は、恒星の大きさや色には―白色巨星から赤色矮星まで(もっと最近では中性子星も)―さまざまな種類があるのに、その質量 M は必ず重力結合定数 m_{p}^{2}\sim 10^{-40}逆数と(10 の一乗か二乗の範囲内に収まるという意味で)同じケタ数を持つ、という観測事実だ。ただし、m_{p} は陽子の質量である。バリオンの総数を N \sim M/m_{p} と表したとき、この関係は次のようにあらわすことができる。

N \sim m_{p}^{-3}、 (1)

ここで、両辺ともに 10^{60} 程度の大きさである。Jordan(1947) はこの一致を説明するためには革命的な宇宙論的説明が必要だと考えたが、現在では拡散していたガス雲が凝集して恒星形成するという通常の理論によって予測できることを多くの人が知っている。基本的な考え方は次のようなものだ。恒星の原型は、不安定なので、分裂によって質量を失い続け、非相対論的なガスの圧力によって支えられることができる十分小さい単位に分かれるまで続く。そして、条件(1)が満たされたときそうなる。この点を超えると、恒星は安定になるので、これ以上の細分化は起きないのであろう。(私は、最近の記事 J.Phys.34,c7-39,1973. で、安定性の限界である式(1)を求めるための有名なスッテプを簡単にまとめておいた)


3. 弱い人間原理に基づく予測

二つ目の「巨大数の一致」は宇宙のハッブル膨張率が、10 の数乗の範囲で先ほどと同じ巨大数の逆数と等しくなるというものだ。つまり、

H \sim m_{p}^{3}。(2)

 Dicke (Nature 192,440,1961)は、もし宇宙の現在の年齢 t が純粋にランダムに決定されたものではなく、典型的な主系列星の寿命と同じケタ程度になっていそうであることを受け入れていたならば、この関係も予測することができていただろうと指摘した。これはもっともなことだ。なぜならもっと時間が過ぎれば、銀河にはエネルギーを生産する星がほとんどなくなってしまうし(しかも、残っているものも非常に少ないエネルギーしか生産しないだろう)、もっと前では(生命にとって不可欠に思える)重元素はできていなかっただろうからだ。太陽よりもいくらか大きい典型的な恒星では、冷却効率は Thompson 散乱によって決定し、光度は次の式でおおまかに推定できる。

L \sim e^{4}m_{e}^{2}m_{p}^{-1}

ただし、m_{e} は電子の質量で、m_{e}/m_{p}\sim 1/1830で、e^{2}\sim 1/137である。もし全質量エネルギーが利用可能なら、寿命はM/Lで与えられる。ただし、M\sim m_{p}^{2}である。実際に利用できるエネルギーの率 \sim 10^{-2} を考えると e^{4}(m_{p}/m_{e})^{2} は無視できるので、典型的な主系列星の水素が燃え尽きるまでの寿命が得られる。よって、宇宙の現在の年齢のおおまかな推定は、

t \sim m_{p}^{3}。 (3)

となる。この予測は、宇宙における我々の位置は、必ず、観測者としてのわれわれの存在を許すくらいに特権的であるという事実を考慮に入れておかなくてはならないという「弱い」人間原理(強調引用者)による予測のよい概観である。開かれた宇宙において(あるいは圧力が支配的な閉じた宇宙においても)式(1)によって与えられる質量を持った恒星は、Thompson 散乱の宇宙論によって、

H\sim t^{-1} (4)

となる。よって予測(3)からは(これ自体は、銀河の年齢の推定することで直接的に証明できる)、自然に(2)という宇宙論的関係が予測できる。

宇宙論の用語が分からなくて、訳すのに苦労しました。"Hubble fractional expansion rate"、"opacity"、"luminosity"の定訳をご存知の方、ぜひご教授ください!

次は、第四章を訳します。(全五章)

Brandon Carter 「巨大数の一致と宇宙論における人間原理」(1)

 人間原理を提唱した Brandon Carter の論文、"Large Number Coincidences and the Anthropic Principle in Cosmology - Springer"(1974)の序章("introduction")の翻訳です。ロバート・H・ディッケ 「ディラックの宇宙論とマッハ原理」―「物理学者を作るのに炭素が必要だということはよく知られているのだ」 - わが忘れなばのシリーズというつもりです

巨大数の一致と宇宙論における人間原理
Brandon Carter
Dept. of Applied Mathematics and Theoretical Physics, University of Cambridge, U.K.

1. 序章

Wheeler 教授は、私が一度(1970年のプリンストンでの Clifford 記念会議において)披露したことがあって、 Hawking と Collins が言及したことのある(Astrophys. J. 180, 317, 1973)ある着想について、記録のために何かを残しておくことを私に提案した。これは、私が潜在的にはたいへん実りのあるものだと信じている一連の思想のことであるが、もう少し発展させる必要があると感じていたために今まで書き残すことはなかったのだ。(実は、いまでもそのように感じている。)しかし、この機会に乗じて開陳してしまうのも、この考えが基本的に「コペルニクス原理」への行き過ぎた服従への反応であるのだから、悪いことではないはずだ。

 コペルニクスは、私たちが宇宙の中で特権的な中心位置を占めているということを、いわれなく仮定してはならないという非常に健全な教訓を教えてくれた。不幸なことに、これを、われわれの状況がどんな意味でも特権的でないという主旨のもっと疑わしいドグマに拡張しようという、強い(必ずしも無意識的ではない)傾向が今日まで続いている。このドグマ(これの極端な形式からは、定常理論の根拠となる「完全宇宙原理」が導かれるのだが、)は、(a) 我々の存在には、特別な好都合な条件(温度や化学的な環境など)が必須であること (b) 宇宙は進化しており、決して局所的なスケールでは空間的に均質であることはないことを受け入れれば、明らかに根拠が薄弱であることは、 Dicke (Nature 192,440,1961) によって指摘された。

 私自身のこの種のことに関する興味は、Bondi (1959)の著書 Cosmology を読んだことから始まった。そこでは、よく知られた「巨大数の一致」がいくつもの奇妙な理論(通常受け入れられている物理の保存側を破るようなものも含まれていた)を導入することの正当化として使われていた。その中には、例えば Dirac と Jordan の「変化する G」の理論があった。私は今では正反対のテーゼに同意している。即ち、これらの一致は、奇妙な理論の証拠となるようなものではなく、「通常の」(ビッグバン理論のような)物理学と宇宙論の内にあるものであり、原理的に観測に先立って予測できるものだ、というものである。しかしながら、これらの予測は、われわれが観測できると期待されるものは、観測者としてのわれわれの存在を可能にする条件に制限されるという人間原理と呼びうるものを必要とする。(われわれの状況は必ずしも中心ではないが、必ずいくらかは特権的である。)

 Bondi の挙げた三つの独立した一致は、三つのクラスの理論的な予測を概観するのに便利である。
(1) 伝統的な類のもの-人間原理は使わない。
(2) 「弱い」人間原理のみを用いるもの。
そして、
(3) 拡張された(そのためにもっと疑わしい)「強い」人間原理の創設を必要とするもの。
これらの例を説明するにあたり、私は全ての物理量に対して、無次元の単位を使う。即ち、ニュートンの定数 G、光速 c、Dirac-Plank 定数 \hbar は1とする。

 次は、二章と三章(全五章)を訳す予定です。

ロバート・H・ディッケ 「ディラックの宇宙論とマッハ原理」―「物理学者を作るのに炭素が必要だということはよく知られているのだ」

 ロバート・H・ディッケの論文"Dirac's Cosmology and Mach's Principle" (Nature 192, 440 - 441 (04 November 1961), doi:10.1038/192440a0) の翻訳です。[]内は訳注です。

 論文といっても、 1 ページ強の「編集者への手紙」("Letter to editor")です。

 「人間原理」(the anthropic principle)のはじまりとなった論文として名高いものですが、もともとはポール・ディラックの「巨大数仮説」に反論した内容です。

この論文に関する日本語の解説としては、三浦俊彦『論理学入門』の第二部があります。

 「巨大数仮説」については、『ディラックの現代物理学講義』に、ディラックが1975年にシドニーで行った講演が入っています。

ディラック現代物理学講義 (ちくま学芸文庫)

ディラック現代物理学講義 (ちくま学芸文庫)

ディラックの宇宙論とマッハ原理

 {m_{p}}をなんらかの素粒子、[値を]確定するために、ここでは陽子の質量としたとき、無次元の重力結合定数[dimensionless gravitational coupling constant]

{\frac{G {m_{p}}^{2}}{\hbar c}\sim 5 \times 10^{-39}} (1)

は、あまりに小さな数値なので、その重要性[significance]が長く疑問視されてきた。 Eddington1は、これを含むすべての無次元の物理定数は簡単な数学的な表現で評価できるのではないかと考えた。Dirac2は、このような奇妙な数値は、必ずや他の同程度のサイズの数値と関係があり、宇宙の構造[structure of the universe]を特徴づけているだろうと考えた。しかし、大半の物理学者は(1)のような無次元の定数は、自然[Nature]によって与えられたものであり、[他の数値から]計算することはできず、どんな形でも他の数値とは関係していないと信じているようである。

 Dirac は大半の物理的、宇宙物理的な無次元の定数は、10^{40}という数値の(正または負の)整数乗のケタを持っていると指摘している。ここで、{m_{p}/m_{e}\sim 1,800}{\hbar c/e^{2}\sim 137}といった数値はヒトケタつまり10^{40}の0乗のケタだといえる。彼は、一見関係のない巨大な数が、偶然一致してあらわれるということはありそうもないと考え、なんらかの未知の因果関係[unknown causal connexion]が存在すると[いう説を]提案した。

 そのような巨大数[large numbers]の一つに

{T\frac{m_{p}c}{\hbar}}\sim 10^{42} (2)

がある。ただし、{T}は宇宙のハッブル年齢(the Hubble age of the universe)である。進化する宇宙では、{T}は時間とともに変化する。このことから、Dirac はすべての巨大数は、時間とともに、{T^{n}}の変化に対して、{(10^{40})^{n}}とともに変化すると考えた。Dirac[2] はこの着想に基づいて宇宙論を構築し、Jordan3 は、Dirac の宇宙論に対応する適切な相対性理論を導出した。

 三つの主要な巨大数[The three principal large number]は、式(1)、(2)および観測可能な宇宙の質量によって与えられる。[三つ目の巨大数である宇宙の核子数は]次のように、

{\frac{M}{m_{p}}\sim 10^{80}=(10^{40})^{2}} (3)

と表される。[M は観測可能な宇宙の質量である]Dirac の仮説のよれば、これらの三つの数値は、それぞれ時間の-1乗、1乗、2乗にともなって変化するはずだ。

 Dirac の仮説の正当化には、三つの数値(1)、(2)、(3)の間に関係があるということ以上の仮定が必要であることを指摘しておこう。加えて、三つの数値の見かけの相互関係[apparent interconnexion]が、時間とは独立であることも仮定しているのである。この仮定は統計的な考察によって検証しうるだろう。もし現在の{T}の値が概念的に、{T}の広い範囲の可能な値からランダムに選択したものだとみなすことができるのなら、この現在の「選択」の事前確率[a priori probability]は非常に小さなものであり、偶然に三つの数値の間に上で見たような関係が生じたというのはありそうにないといえる。三つの数字の相互関係がはっきりしていないときに、この種の考察で Dirac の仮説が支持されるためには、{T}が非常に広い領域から選ばれたものであり、事前確率が非常に小さいものであることが不可欠である。

 宇宙が進化していることを仮定すれば、{T}を膨大な範囲の数値のなかから選ぶことは許されず、人類の活動期という生物学的な要請を満たすように、ある程度限定された値しか取ることができないということを示そう。

 これらの(生物学的な)要請の内のうちには、宇宙は、つまりは銀河系も、水素以外の元素を存在させるのに十分な時間がたっていなくてはならないということが含まれる。物理学者をつくるのに炭素が必要だということはよく知られているからだ。 (強調、翻訳者)

 銀河系は、最初水素だけから成り立っていたことが分かっている。だから人類の活動期の開始までの最小の時間は、水素以外の元素が最短寿命の恒星の内部でつくられて、星の死によって[宇宙に]ばら撒かれるまでの時間によって決定される。

 人類の活動期の上限は、恒星を巡っている惑星が、人間が生存できるような環境にある時期によって決まる。この時間は恒星が、核反応によってエネルギーを生産できる最長の年齢によって決まる。比較的重くない恒星では、重力収縮は、中心温度が核反応が起きるまで高温になる前に、電子の縮退圧が開始することによって止まる。最も寿命の長い恒星の質量は、電子の縮退圧が核反応温度で起きると仮定することで計算できる。これによって、{M_{s}}の下限を決めることができる。ただし、{M_{s}}は恒星の質量である。

{\frac{M_{s}}{m_{p}}\sim 10^{-3}(\frac{\hbar c}{G{m_{p}}^{2}})}^{3/2}(4)

ただし、ここでも{m_{p}}は陽子の質量とする。前に述べたケタの定義によって、10^{-3}は1と等しいとみなされ、この数値は(10^{40})^{3/2}のケタである。

 上記の質量を持つ恒星の寿命は、

{T_{max}\sim (\frac{m_{p}}{m})^{5/2}(\frac{e^{2}}{\hbar c})^{3}(\frac{G{m_{p}}^{2}}{\hbar c})^{-1}\frac{\hbar}{m_{p}c^{2}}}(5)

となる。ただし、{m}は電子の質量である。'1とみなせる数値'['unity factor']を無視することにより、

{\frac{m_{p}c^{2}}{\hbar}T_{max}\sim (\frac{Gm_{p}^{2}}{\hbar c})^{-1}}(6)

となる。これは、式(1)および(2)と整合的である。同様に、星の安定性という要請から、{T_{min}}も決定でき、同じケタの数値となる。よって、われわれのもともとの仮定に反して、Tは可能な広い領域からの'ランダムな選択'ではなく、物理学者の存在という基準によって制限されるのである。

 二つの問題が残っている。なぜ重力結合定数はこんなに小さな値なのか? なぜ式(3)の平方根は式(1)の逆数とほぼ一致するのか? この二つの疑問はマッハ原理の導入によって解決される。マッハ原理による説明4-6によれば、重力結合定数は固定された値ではなく、宇宙の質量分布によって、次のように定まる。

{\frac{GM}{c^{3}T}\sim 1}(7)

式(7)と(6)を組み合わせることで、式(1)と(3)を組み合わせた表現が得られる。

 重力定数が小さいことへの答えは、宇宙には非常に多くの物質があるということである。これは十分な解答ではないかもしれない。完全に十分な回答が得られるためには、質量の生成が解明されることが必要である。

 Dirac の宇宙論には、統計的な支持がないことが分かった。しかしながら、現在物理学者が存在していることとマッハ原理の正当性を支持することで、三つの式(1)、(2)、(3)によって与えられる数値のケタの関係という要請を満たすには十分である。

R.K.DICKE

 Palmer Physical Laboratory,
Princeton University,
New Jersery.

[1] Eddington, A. S. , Theory of Protons and Electrons (Cambridge Univ. Press, 1936).
[2] Dirac, P. A. M. , Proc. Roy. Soc., A, 165, 199 (1938).
[3] Jordan, P. , Schwerkraft und Weltall (Braunschweig, 1955).
[4] Sciama, D. W. , Mon. Not. Roy. Astro. Soc., 113, 34 (1953).
[5] Dicke, R. H. , Amer. Scientist, 47, 25 (1959).
[6] Brans, C. , and Dicke, R. H. , Phys. Rev., 124, No. 3 (1961).

 続けて掲載されたこの論文に対するディラックの応答です。

 Dicke は三つの宇宙論に関わる数値について議論している。(1)は、重力結合定数を決定する。(2)は宇宙のハッブル年齢を決定する。(3)は、宇宙の粒子数である。これらは次のような関係にある。(1)はおおまかに(2)の逆数である。(3)はおおまかに(2)の二乗である。私は、これらの関係は自然の基本的な何か[something fundamental in Nature]に対応しているのではないかと考えた。宇宙の進化に伴って、(2)は時間と共に変化するので、(1)や(3)も時間と共に変化するはずであろう。

 Dicke は、(1)と(3)の間の基本的な関係はマッハ原理に従うものであると考えている。しかし、(2)は独立であり、(1)と(3)はおそらく定数であると考えている。そして、彼は、惑星が[人間にとって]生存可能であるという条件を考慮すれば、(2)がおおまかに現在の値を取らなければならないことを示した。この仮定の下では、居住可能な惑星が存在するのは非常に限られた期間だ。私の仮定の下では、将来まで[居住可能な惑星は]存在し、生命は終わるとは限らない。

 これらの仮定からどちらかを選択するための決定的な説明はない。私としては終わりなき生命の可能性を許容する仮定の方を好む。いつの日にか誰か、直接的な観察によって疑問が決着することを望む人もいるだろう。そのためには、{10^{10}}分の{1}の精度で(1)を測定し、数年後にまた測定を繰り返し、値の変化を調べる必要があるだろう。

P.A.M. Dirac

St. John's College,
Cambridge.

「物理学者をつくるのに炭素が必要だということはよく知られている」のところで、笑いました。

小田実『何でも見てやろう』からクレア・ゴルのエピソード

小田実『何でも見てやろう』より引用。

 戦後とみに威勢のあがらなくなった反動もあって、ヨーロッパ人は、一言にしていえば、かわいそうなほど、私のようなアカの他人にまでいささかソクインの情をもよおさしめるほどに、アメリカ、アメリカ人、アメリカの事物、その他アメリカに付随するもろもろの現象、要するにアメリカ的なもの一切をバカにする。(・・・)
 たとえば、「私はアメリカにいた」と一言いえば、「あそこにはお金以外の何ものもないでしょう」とたいていの人が同情してくれる。ずいぶんインテリの人でもそんなふうに言うのである。その口調は軽蔑と羨望の入り混じった複雑なものであった。
(・・・)
 これが一般庶民のアメリカ人に対する反応であろう。しかし、ものの判ったインテリだってあまり変わりはないのである。私は詩人イバン・ゴルの未亡人クレア・ゴルによく会った。クレア・ゴルは彼女自身詩人で小説家で、それに少しセンチメンタルではあるが、なかなかに感じのよいオバアチャマであったが、彼女はずっとアメリカに暮らしていたので、(・・・)アメリカ文学に博識で、アメリカの作家・詩人に知己も多いのであった。一夕、彼女とともに、パリ在住のメキシコの女流劇作家の家に招かれたことがある。
(・・・)
 さて、宴はてたのち、私はクレア・ゴルといっしょになった。(・・・)私は何気なく訊ねた。(・・・)あなたはアメリカの詩について、ほんとうのところはどう思っているのであるか、ことにフランスの詩と比較して。彼女は無下に答えた。判り切ったことをきくな、とでもいうふうに次のように言いきって、それから無造作に笑った。<>
 それは、やっぱり、私にとっては意外な答えであった。あれだけクレア・ゴルは熱情をこめて語り、賞賛のコトバさえそこにはあったのだから、私がバアチャマから予期したのは、まさか<>ではなかった。フランス人のフランス文化、ことに文学に対するたぶんにショービニスティックな熱情に悩まされていた矢先だったから、私としてもさっきのメキシコ人女流劇作家でのバアチャマの話を額面どおりに受け取るほど無邪気ではなかったが、それにしても<>くらいの答は予期していたのだろう。ほんとうに<>と思うか、私は念を押した。その通りだ、と言い、言ってからクレア・ゴルのバアチャマはこう付け加えた。「必要があれば、われわれはなんでも(原文傍点)読むのである」
(pp.231−233)

 中学の時に読んだこのエピソードがキョーレツな印象として残っていたので、J.W.シーザー『反米の系譜学』、内藤陽介『反米の世界史』を図書館で借りてきて、『反米の系譜学』から読み始めている次第。フィリップロジェ『アメリカという敵: フランス反米主義の系譜学』も読みたい。

 「戦後とみに威勢のあがらなくなった反動もあって、」とありますが、しかし、それだけだないみたいですね。ヨーロッパの思想家の反米意識は。

文芸批評家や哲学者、そしてポストモダン思想家を自称する連中から、今やアメリカを奪還すべき時である。彼らこそ、まさに『アメリカ』という言葉を、グロテスクで、淫猥で、怪物的で、無能で、矮小で、平板で、精彩を欠き、破壊的で、奇形で、無教養で、そして(つねに括弧つきの)『自由』ものを示す、一つのシンボルに転化して来たのである。
(・・・)
過去二○○年間以上にも遡れる潮流の中で、ヨーロッパの最も傑出した思想家のうちには、『アメリカ』という言葉をとらえて、単なる場所や国以上のものに仕立て上げた者もいた。彼らはこの言葉を、哲学上の概念や文学上の修辞以上に転化してきたのである。ドイツではヘーゲルから(シュペングラーとユンガーを経て)ハイデガーに至る人々が、フランスではビュフォンから(ド・メーストルとコジェーブを経て)ボードリヤールに至る人々が、新たなアメリカを創出してきた。
(J.W.シーザー『反米の系譜学』、原著1997、邦訳2010、p.I)

岡崎英生『劇画狂時代―「ヤングコミック」の神話』

 いま、岡崎英生『劇画狂時代―「ヤングコミック」の神話』(飛鳥新社、2002)を読んでるんだけど、「宮谷一彦は、自分の熱烈なファンだった女子高生と恋愛した。この女子高生は、ある右翼の大物の娘で、恋愛中は宮谷は父親の反対で大変苦労したが、反対を押し切って25歳のときに結婚した」という内容の記述があった。 (twitter にも書いたので、下のリンクにぶら下がってるのを読んでくらはい。)

https://twitter.com/kohaku_nanamori/status/378734704188346368#

岡崎英生『劇画狂時代』。宮谷一彦は、「『日本及日本人』という右翼思想雑誌を発行しているその世界の有力者のお嬢さん(当時女子高生)(p.39)」と反対を押し切って強引に結婚したとある、この右翼だれ?

 へぇー、この右翼だれかいな? と思って検索してみたら、宮谷の離婚した奥さんが右翼の大物の娘だという記述は、 wikipedia にもあったので有名な話だった模様。ただ、誰なのかは書いてなかった。

 しかし、『日本及日本人』を発行していた右翼とあるから、ちょっと調べれば見当がつくだろうと思ったが、そうでもないかな? 

cinii によれば、「日本及日本人」の出版元は、「金尾文淵堂→政教社→日本新聞社→日本及日本人社→J&Jコーポレーション」と移り変わって、通巻1650号 (2004.1)にて休刊。

http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN0037526X

 ということは、日本及日本人社かJ&Jコーポレーションの関係者かしら? 西山広喜かな? 猪野健治『日本の右翼』(ちくま文庫、2005)に、「西山広喜(日本及日本人社会長=当時)」(p.238)とあるが。

http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/51153072.html

 このブログのコメント欄には、「『四元義隆センセイ』って、宮谷一彦の義理のお父さんでしたっけ?。奥様のご実家は右翼の大物の建設会社とか説明されていたような。氏の作品に義理の父として時々出てきたような気が。娘さんが成人されたので、離婚されたとか何処かにありましたが。」とあるから、おっ、これかなとも思ったけどまだ確信は持てない。「宮谷一彦 四元義隆」でググってもあまり出てこないしね。

宮谷一彦 四元義隆 - Google 検索

 また気が向いたら、調べてみますです。宮谷がその奥さんとのヌード写真を載せたという COM の増刊号でも見れば書いてあるかもしれないし。

”ぼくがキライなドクターは四人、Dr. フロイト、Dr. ジバゴ、Dr. シュバイツァー、Dr. カストロだ! ”―『ストロング・オピニオンズ』 よりナボコフの1968年のインタビュー

 V.ナボコフの『ストロング・オピニオンズ』("Strong Opinions"、1973)から、1968年9月3日に行われた Nicholas Garnham によるインタビューを紹介。(以前のナボコフや”ストロング・オピニオンズ”間連のこのブログの記事はここに。"ナボコフ" - 記事一覧 - わが忘れなば今回のインタビューについても、少し触れてた。”考えることは天才的、書くものは並はずれた作家のもの、喋ると子供みたい”-V. ナボコフ, "Strong Opinions" の感想 - わが忘れなば

 このインタビューは、収録されているもののうちでも特に短いものもひとつだが、ナボコフ・インタビューの特徴(”フロイト嫌い”、”新作の紹介”、”ナボコフのいう現実とは主観的なものだという意見”、”ドストエフスキーへのイヤミ”など、この本のいろいろなインタビューで繰り返される)が詰まっているという印象を持った。

 では、Strong Opinions のインタビュー・パートより9番目のインタビュー。(BBC、1968)

 (ちなみに、原文は、ここNabokov's interview. (09) BBC-2 [1968]でよめます。誤訳などのご指摘をくだされば幸いです。ブログのコメント欄か、プロフィールに書いてあるメール・アドレス(fromambertozen[at]gmail.com)もしくは、twitter(kohaku_nanamori)に頂ければ、反応できます。)

  • あなたは、ご自分の小説には「なんの社会的な目的も道徳的メッセージもない」とおっしゃいましたね。あなたの小説に特別な役割とは何ですか? また、普通の小説はどんな役割を持っているものでしょうか? 

VN ぼくの全小説の持っている役割の一つは、普通の小説なんてものは存在しないということを証明することだ。ぼくの作った本は、主観的で特別なひとつの事件だ。ぼくは、文章を創ることに対してそれを創る以外の目的を全くもっていない。ぼくは、完全な所有の感覚と喜びを手に入れるまで、懸命に・長い時間、文章を練り上げる。そして、読者が読むときにはーーもっともっと、(そういう努力が必要)だ。芸術は、困難なものだ。簡単な芸術が見たかったら現代美術館に展示してある作品やら落書きやらを見ればよいよ。

  • あなたは、本の序文でフロイトのことをいつもウィーンの魔術師と揶揄していますね。

VN なんだってぼくの心の傍らにいる赤の他人を大目に見なけりゃいけないんだ? 前にも云ったかもしれないが、もう一回言っておくよ。キライな Dr は一人じゃなくて四人なんだ。 Dr. フロイト、Dr. ジバゴ、Dr. シュバイツァー、Dr. カストロだ。もちろん、最初の奴は、服は着ている。他の連中は解剖室で話している。ぼくは、オーストリアの変人が古い雨傘について抱いた、くすんだ中産階級の夢についての夢を見る気はない。あと、フロイトの信者どもが倫理的に危険な影響を起こすかも知れないとも指摘しておこう。例えば、サナダ虫並みの脳みそを持った不潔な殺人者に、そいつの母親がわが子をひっぱたきすぎたとか、ひっぱたかなさすぎたとかーどちらもでいいんだ、精神分析にとってはーそういう理由で軽い判決が下されるとか。

  • あなたが現在取り組んでおられる小説は、どうやら、”時間”に関するものですよね? あなたは、時間というものをどのように捉えておられますか? 

VN ぼくの新作は、(現在800ページのタイプ原稿になっているが、)ある家族の年代記で、ほとんどの出来事は夢の中のアメリカで起こる。五つから成る章のうちひとつは、ぼくの時間に関する観念についてのものだ。ぼくは、時空間に対してメスをふるって、腫瘍である空間を切り取ってしまった。ぼくはたいした物理学の知識があるわけではないが、アインシュタインの巧みな公式は拒否している。しかし、無神論者になるのに、神学について知っておかなくてはならないわけではないからね。ぼくの作り出した二人の女性には、アイルランド人とロシア人の血が混ざりあっている。一人の少女は、700ページ生きて、若くして死ぬ。彼女の姉妹はハッピーエンディング、つまり95本のろうそくがマンホールの蓋の大きさのケーキにともされるまで、ぼくと共に在る。

  • あなたが心酔する作家とこれまでに影響を受けてきた作家をお教え下さい。

VN まずは、ぼくが一目見てきらいになる現代作家どもの本について話した方がいいだろう。マイノリティーグループについての生真面目なケース・ヒストリー、同性愛者の悲哀を扱ったもの、反米親ソのお説教、子供のわいせつ行為が書かれた悪漢小説。これは、私的な分類のいい例だ。いっしょくたに扱われ、タイトルは忘れられ、作者も混ざりあうよ。影響ということだが、誰である特別の作家に影響を受けたことはないし、どんなクラブや運動にも参加したことはない。実際、ぼくはどんな大陸にも属していない。ぼくは、アトロンティス大陸の上空に浮かぶ羽根だ。とても明るくて青いプライベート・スカイにいて、鳩の巣穴や土くれのような鳩どもを見下ろしているよ。

  • チェスやポーカーといったゲームのパターンは、あなたにとって魅力的であるばかりか、あなたの運命論者的な人生観とも関わっているようですね。あなたの小説における運命の役割についてご説明頂けますか? 

VN ぼくはそういったなぞなぞの答えは学問的な注釈者のために取っておいてある。誰が見ても、いわゆる中心的なアイデア、例えば運命とか、をぼくは自分の小説の中に見出すことができない。少なくとも数語やそこらでぼくの小説を表現する言葉はない。あと、ぼくはそういったゲームに興味がない。ゲームというからには他人に参加が必要だ。ぼくの興味があるのは一人で出来るものだ。例えば、詰めチェスを作るとき、ぼくは凍りついたような孤独の中にある。

  • あなたの小説にはいつも映画やパルプ・フィクションへの言及があります。あなたは、大衆文化の雰囲気がお好きなようですね。そういった作品を実際に楽しまれているのですか? また、御作とそれらの関係は? 

VN いや、大衆小説なんて大っきらいだ。ゴーゴーギャングも嫌いだし、ジャングル・ミュージックも、サイエンス・フィクションも、そこに出て来る小娘や小僧っ子も、サスペンスもサスペンソリーも嫌いだ。下品な映画がことのほか嫌いだ。

  • ロシアからの亡命は、あなたにとってどのような意味がありますか?

VN 生まれた教区から一歩も出たことがなくても常に亡命者であるようなタイプの芸術家に、ぼくは親近感を感じるが、もっと言葉通りの意味で言えば、亡命したことで芸術家の受ける唯一の影響は本が発禁になることだ。ぼくが43年前にドイツの下宿屋の虫食いだらけのカウチで初めて書いた小説以来すべての作品は、ぼくの生まれた国では禁止されている。これはロシアの損失であって、ぼくの損失ではない。

  • あなた全創作において、想像上の存在の方が、古くて退屈な現実よりもずっと真実であるという感じがあります。あなたは、想像と夢と現実のカテゴリーをどのように捉えておられるのですか? 

VN 君の使う”現実”という言葉は、ぼくを当惑させるね。確かに、平均的な現実というものはある、我々みんなに知覚されるものだ、しかしそれは、真の現実ではない。それは単に一般的な意味での現実、単調で古めかしい形式でしかない。君が「古い現実」ということばをいわゆる昔の「リアリズム」小説ーバルザックやサムセット・モームD.H.ロレンスの陳腐な作品ーの意味で言ったのなら、平凡な登場人物によって演じられた現実は退屈なもので、対して想像の世界が夢のような非現実的な面を持つという意味なら正しい。逆説的だが、唯一の現実的で、確実な世界は、非現実的に見えるのだ。

  • あなたが、生をとても喜劇的で残酷なジョークだとみなしていると言ったら、正当でしょうか? 

VN 君の言う「生」という言葉は、ぼくには受け入れられないような意味で使われているね。誰の生だ? 何の生だ? 誰のものでもない人生なんてものは存在しない。レーニンの人生はジェイムズ・ジョイスの人生とは、何百もの墓穴とブルー・ダイヤモンドが違うくらいに全然違う。二人ともスイスに亡命し膨大な量の言葉を紡いだが。あるいは、オスカー・ワイルドルイス・キャロルの運命を取り上げてみよう。一人はひけらし屋のハデな倒錯者で、獄に繋がれた。もう一人は、自分のつつましやかな、しかし、もっとずっと邪悪な小さな秘密を現像室の感光乳剤の中に隠した、そして全ての時代において最も偉大な子供の物語の作者になって生涯を終えた。ぼくはこういう実人生のファルスには何の責任も持たない。ぼく自身の人生については、ジンギス・カンのそれと比較にならないくらい幸福で健康だ。彼は最初のナボク(Nabok)の父親に当たる人物だといわれている。(ナボクは、)12世紀のタタールの小国の王子で、ロシア人の娘と結婚した。ぼくの作品の登場人物の人生について言えば、全部が全部グロテスクで悲劇的なわけではない。『賜物』のフョードルは忠実な愛に恵まれて、早くから自分の才能を自覚している。『青白い炎』のジョン・シェイドは、強烈な内的な実存を導くし、君のいうジョークとは遠く隔たっている。君は、ぼくとドストエフスキーを混同しているにちがいないね。

 簡単に注釈&感想を。

 ナボコフが自分の小説に「なんの社会的な目的も道徳的メッセージもない」と言ってるのは、1962年のインタビュー(BBC)のこの箇所のことだろう。

  • あなたはなぜ『ロリータ』を書いたのですか? 

VN それが面白かったからだよ。ほかの本だってどんな理由で書くというんだい? それが悦びだから、それが困難だからだ。ぼくには社会的な目的なんかないし、道徳的なメッセージもない。展開しようという一般論も持っていない。ぼくは、ただパズルと素敵な解答を作るだけだ。

 あるいは、1962年の別のインタビューでも同じようなことを言っている。

  • -インタビュアーたちは、あなたを掴みどころのない人物だと考えています。どうしてですか?

VN ぼくは自分が公的な主張を一切持たない人間であることを誇りに思っている。今までの人生で酔っぱらったことは一度もないし、男子生徒たちが使う四文字言葉子使ったことも一度もない。事務所や炭鉱で働いたこともない。クラブや集団に属したこともない。どんな宗派や学派にも一切影響を受けたことはない。政治小説と社会的な目的をもった小説ほど僕を退屈させるものはない。
(『ストロング・オピニオンズ』p.3)

 ナボコフフロイト嫌いが話題になっているけれど、ナボコフはロシア語時代の自作の英訳版の序文にいつもフロイトの悪口を書いていた。例えば、『ディフェンス』(ロシア語原書1930、英訳版1964、日本語訳1999)から、

ロシア語で発表した小説の英語版(これからも何冊か出る予定)に最近付けている序文では、私はウィーンからの派遣団に対して歓迎の言葉を述べるのを決まりにしている。本書のまえがきもその例外ではない。精神分析にたずさわる医者や患者なら楽しんでいただけると思うのは、ルージンが神経衰弱になってから受ける治療の詳細であり(たとえばチェス選手は、自分のクイーンにママの、そして相手のキングにパパの面影を見るといった暗示療法)、さらに鍵穴式(ピックロック)携帯盤をこの小説を解く鍵だと誤解するフロイト派の小僧は、漫画的にとらえた私の両親や、恋人や、一連の私自身と登場人物たちを同一視することをきっとやめないだろう。そうした探偵諸君のためを思って告白しておくと、私がルージンに与えたのは私のフランス人女家庭教師と、私の携帯用チェスセット、私の優しい気質、それに我が家の壁に囲まれた庭で私が拾った桃の種であった。

(『ディフェンス』、若島正訳、河出書房新社、1999、p.9)

ディフェンス

ディフェンス

 さらに、『キング、クイーン、そしてジャック』(ロシア語原書1928、英語版1968、日本語訳1977)から。

 例によって、言わせていただきたいのだが(そして、例によって、ぼくの好きな感受性に富んだ読者は機嫌を損ねると思うが)、例によってウィーンからの派遣団はご招待しないことにする。しかし、もし果敢なるフロイドの信奉者が、なんとかまぎれ込み得たなら、彼または彼女に、この小説には随処に意地悪い穽(おとしあな)が仕掛けてある、と警告しておかなければならない

(『キング、クイーン、そしてジャック』、出淵博訳、集英社、1977、p.8)

 ついでに、『断頭台への招待』(ロシア語原書1938、英語版1959、日本語訳1977)からも。

この小説は虚空で奏でられるヴァイオリンなのだから。(・・・)意地の悪い人間は、エミーのなかに、ロリータの姉妹を認め、さらぬヴィーンの妖術師(フロイトのこと)の弟子たちは、罪悪の共有と進歩主義的(プログレシヴィノエ)教育から成り立っている彼らのグロテスクな世界にあって、これを読みながら忍び笑いをすることだろう。

(『断頭台への招待』、富士川義之訳、集英社、1977、p.221)

 ナボコフフロイトへの悪口がしつこすぎて、後年のインタビュー(「ナボコフ・ラストインタビュー」『ユリイカ 特集ナボコフあるいは亡命の二十世紀』)ではこんなこと聞かれちゃってる。

ロバート・ロビンソン フロイトの学説がお嫌いのようですが、お話をうかがっていますと、裏切られた者の怒りがこもっているようにも聞こえます。したたかな奇術師にスリーカード・トリックでまんまといっぱい食わされた人ならさもあらんというような。ひょっとしたら、以前はフロイトの熱烈なファンでいらしたとか。

ウラジミール・ナボコフ これはまたずいぶんとおかしなことを思いつくものだな! 正直いって、あのウィーン野郎の雄叫びにはうんざりだよ。そりゃあ私だって、かつてはフロイトを追って思考の小暗い小路をたどってみたことはある。だが、酔っぱらって傘の先でドアの鍵を開けようと必死になっているといわんばかりの学説は、もう二度とごめんだ。

(『ユリイカ 特集ナボコフあるいは亡命の二十世紀』、1991、p.76)

 ところで、キライな四人のドクターのうち、フロイトについてはいつも言ってるから、まあ、分かる、『ドクトル・ジバゴ』も否定的な評価を『ストロング・オピニオンズ』のインタビュー22でしている。けれど、シュバイツィアー博士は、なぜ? あと、Dr. カストロってフィデル・カストロのことなのか? 彼は、Dr. なのか? 日本語と英語の wikipedia をちょこっとみたけどよく分からなかった。もし、フィデル・カストロがドクター付きで呼ばれる理由、もしくは他のカストロ博士に心当たりがある方がいたらご教授ください! 

 このインタビューで話題になってる新作は、『アーダ、あるいは情熱-ある家族の年代記』で間違いないだろうけど、現在、若島正による新訳が進行中(『アーダ』翻訳をめぐって - Togetter)とのこと。年内に訳了するかもしれないようなので、これは楽しみ。(最後にちらっと言及されているラッセルへの悪口が気になる! ぜひ確認しておこう。)

 ナボコフが”現実”について語るのは、『ストロング・オピニオンズ』ではここだけではなく、また、『ナボコフの文学講義』でも似たような見解を披露している。それについては、前にブログ記事(『ナボコフの文学講義』と"Strong Opinions"からナボコフの現実に関する意見 - わが忘れなば)にしたことがある。

 ルイス・キャロルについては、ナボコフは『不思議の国のアリス』をロシア語に訳している。下のリンクを参照。

Льюис Кэрролл. Аня в стране чудес(”Алиса в Стране чудес”というのがロシア語のタイトルのようです。)


 ナボコフ、最後にお得意のドストエフスキーへのイヤミを披露しているけれども、ナボコフドストエフスキー嫌いについては、最近、秋草俊一郎「ナボコフがつけなかった注釈」という論文(http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/15494/1/SLA0230004.pdf)を読んだけど、なかなか単純でない関係があるみたい・・(この論文、面白かった。結構、ナボコフ観を、変えてしまう・・・ )

 ちなみに、ナボコフは『二重人格』が一番好きなそうな。

VN ドストエフスキーでは、『二重人格』が一番ましかな、恥ずかしげもなく、露骨にゴーゴリの『鼻』のまねだけどな。
(『ロリータ』の注釈をつくった、ナボコフの教え子でもあるアルフレッド・アペルJrによるインタビュー。)

(今後、書き加えたりするつもりです。)

石橋政嗣『非武装中立論』と松元雅和『平和主義とは何か』‐感想

 石橋政嗣非武装中立論』(社会新書、1980)を再読しました。twitter での感想。kohaku(@kohaku_nanamori)/「非武装中立論」の検索結果 - Twilog

 最近、松元雅和『平和主義とは何か』(中公新書、2013)を読み、ここでの「現実主義と対話(対決)しながら平和優先主義を説く」理路が、石橋の非武装中立論と似ているな、と感じたのが読み返したきっかけです。(松元著には、石橋への直接の言及はありません。)

非武装中立論 (1980年) (社会新書〈3〉)

非武装中立論 (1980年) (社会新書〈3〉)

 感想をメモ程度に簡単にまとめます。

平和優先主義と非武装中立論の類似点

 『平和主義とは何か』については前に簡単に感想を書いた事があります。twitter からですが、

松元雅和『平和主義とは何か』。読了。アンスコムとか石橋正嗣とか読んでたこともあって、とてもおもしろかった! 平和主義に向けられる典型的な疑問にこたえる形で、平和主義を絶対平和主義と平和優先主義に分けて説明を精緻化していく前半も正戦論・現実主義・人道介入主義と対決(対話)して後半も面白かった。

とかきました。kohaku(@kohaku_nanamori)/「平和主義とは何か」の検索結果 - Twilog

 このように、『平和主義とは何か』の前半は、いわゆる平和主義を、義務論を基礎にする絶対平和主義(トルストイが代表)と帰結主義を基礎にする平和優先主義(バートランド・ラッセルが代表)に区別し、平和優先主義を平和主義に寄せられる典型的な批判に対抗できる立場として擁護するという内容になっていました。

 後半において、正戦論、国際関係論における現実主義、人道介入主義という代表的な平和主義への批判者たちとの対話(それらの立場からの平和主義への批判に対する反論など)を行っています。

 このうち、現実主義(マキャベリ・モーゲンソー・ウォルツが主に参照されている)という立場からの平和主義/平和優先主義への批判とそれへの応答、また現実主義に対する平和優先主義からの反批判に、石橋の「非武装中立論」と共通するものがあると思うので、それを見ていきます。

平和優先主義からの現実主義への二段階の批判

 松元著のまとめによると、マキャベリを遠い祖先に持ち、第二次世界大戦後にモーゲンソー(古典的現実主義)、ウォルツ(構造的現実主義)などによって築き上げられた「国際関係論における現実主義」という立場は、次の四つの命題を基本的な見方としているそうです。(ただし、現実主義といっても「多種多様」なので、「戦後アメリカの比較的限定的された現実主義のタイプ」(松元『平和主義とは何か』p.140)が対象だそうです。)

1)世界は中央政府が存在しない無政府状態である
2)国際関係におけるアクター(行為主体)は国家である
3)無政府世界において、国家の最大の目的は生き残りとなる。したがって、国家安全保障は国際関係の最優先課題となる
4)パワーは、この目的を達成するための重要かつ、必要手段である
(松元『平和主義とは何か』(p.140)、番号は引用者がつけた。)

 
 このうちの最初の二つについては、平和優先主義においても認められています。

 平和優先主義からの現実主義への批判は、二段階に行われています。即ち、

a: 1)、2)という見解を共有したうえで、3)に対して疑問を提出する。
b: 1)、2)、3)まで認めたうえで4)に対して疑問の提出を提出する。

の二段階です。

 石橋の非武装中立論は、「国家の最優先事項は、安全保障である」という立場に立っているように見えるので、(少なくとも、その主張を仮に受入れたうえで論を進めているので)、松元著でいえば二段階目の現実主義への対話と対応します。

 まず、松元著でのb)「現実主義の基本的主張1)、2)、3)まで認めたうえでの4)に対する批判」をまとめてみます。この批判自身も二つの批判から成ります。即ち、

I: パワーによる安全保障の不完全性を指摘する
II: 非暴力的な手段による安全保障の可能性を提出する

です。

 まず、I)ですが、現実主義において、パワーによって安全保障が可能になるという理路は、国々の間に「勢力均衡」の状態を作り出すことによるそうです。つまり、戦争をすることがお互いに不利益になるような状態を作っておくということでしょう。

 しかし、パワーによって戦争に備えることによって、反って安全保障から遠ざかってしまうことが考えられます。各々の国は、他国の軍事力を脅威に感じるので、軍拡に歯止めがかからないのです。これを、「安全保障のジレンマ」というそうです。

 基本的には、この「安全保障のジレンマ」が表す軍事力による安全保障の難しさが、平和優先主義の「現実主義の見解4)」への批判です。(とはいえ、「安全保障のジレンマ」の指摘や研究は、平和主義独自のものでなく、現実主義の枠内で行われていることのようですが)

 松元著は、現実論の立場の一つである「構成主義」(ウェントなど)からの「安全保障のジレンマ」への解法を、平和優先主義にとって魅力的な手段として挙げています。(後述参照)

 次にII)ですが、松元著は、戦後の平和主義者たちが目指していた「世界政府」的な主張(リーヴス『平和の解剖』(1945)など)は、「国連第一主義も確立していない」現状では「拙速」だとして退けています。

 そして、さきほどの「構成主義」の考え方を援用して、国と国との関係を「敵同士」(ホッブス的文化)・「競争相手」(ロック的文化)から「味方」(カント的文化)に徐々に変えていくことを「中・長期的目標」として挙げています。

 さらに、短期的には、現在の国と国との関係が「敵同士」である状況下において、侵略が実際に生じた場合、「市民的防衛」が有効であると示唆しています。「市民的防衛」とは、具体的には、「パレードや監視のような非暴力的プロテスト、ボイコットやストライキのような非協力、非暴力的選挙や第二政府の樹立のような非暴力的介入」(p.166)です。

 これらの防衛は、「侵略国が被侵略国を新たな統治形式に組み込もうとしている場合」には有効な手段となる、と述べられています。ただし、「市民的防衛」が効果を発揮するためには、被侵略国の側が「ある程度の社会的な結束と規律」を保っていることと、侵略国の側にも「戦争規則の遵守の姿勢」があることが条件となる、と留保されています。

 石橋の『非武装中立論』も基本的に、I)軍事力に基づく安全保障の不完全性(危険性)のこと挙げと、II)平和的手段による安全保障の可能性の提出を柱としています。ただし、石橋は、もっと積極的に平和的手段による安全保障の優位性を論じています。
 
 石橋は、「安全保障は相対的なものでしかない」と言い、1970~1980年代の日本の置かれている状況においては、最善の安全保障は、「非武装中立」(を中・長期的目標に掲げる政策)であると語ります。

なぜ非武装中立なのか、批判に対する反論も含めて、私の考えを述べてみようと思うのです。その前提として、安全保障に絶対はない、あくまで相対的なものに過ぎない、われわれは、非武装中立の方が、武装同盟よりベターだと考えているのだということをもう一度申し上げておきたいと思います。
(石橋『非武装中立論』p.64)

 石橋は、松本著と比べて、1970~1980年代の日本の置かれた状況にフォーカスした立論をしています。

まず第一の理由として周囲を海に囲まれた日本は、自らが紛争の原因をつくらない限り、他国から侵略されるおそれはないという点を指摘したいと思います。
(pp.64-65)

第二は、原材料の大半、食糧の六○%、エネルギー資源の九○%余を外国に依存し、主として貿易によって、経済の発展と国民生活の安定向上を図る以外に生きる道のない日本は、いかなる理由があろうと戦争に訴えることは不可能だということです。
(p.65)

また、次のような「安全保障のジレンマ」につながりうるような指摘もしています。

軍事力は、いかにそれを自衛力と言おうと、抑止力といおうと、他国にとってはそのまま脅威と映ることを忘れてはならないのです。要するに、自国の軍事力は自衛力といい、抑止力と称し、他国の軍事力は脅威と名付けているにすぎないのです。こうした奇妙な論理から抜け出すためにも、われわれは軍事力を前提としない世界をつくり出すために、力をつくさなければならないのです。
(pp.76-77)

 非武装中立によってこそ、日本の安全を保障できるという主張については、スイスの例を、

 また、世間には、スイスのような中立国でさえも武装しているではないかといって反論する人もいます。軍隊があり、抵抗の姿勢を示しているからこそ、中立も保たれているのだというわけです。しかし果たしてそうでしょうか。スイスに侵略するものがないのは、この国の軍隊を恐れるからではないはずです。どこの国とも仲良くしようという熱意と誠意を基礎にした外交、これを一致して絶対に支持する国民、そして、これらを暖かく見守る国際世論と環境、それらが相まって、スイスの安全は保障されているのだと思います。
(p.68)

と引きながら、「攻めるとか、攻められるとかいうような、トゲトゲしい関係にならないように、あらゆる国、とくに近隣の国々との間に友好的な関係を確立して、その中で国の安全を図るのだ」(p.69)と述べています。これは、松元著の国と国との間に「味方」(カント的文化)の関係を結んでいくという「中・長期的目標」に対応していると思います。

 さらに、実際に侵略が起こった場合については、1945年の敗戦の例を引いて、「降伏した方がよいばあいがあるのではないか」(p.69)と述べています。そして、その場合の非軍事的な手段による抵抗については次のよう述べています。

もちろん、われわれとても、軍事力による抵抗をしないからといって、何をされても、全てを国連に委ねて無抵抗でいるといっているわけではありません。相手の出方に応じ、軍事力によらない、種々の抵抗を試みるであろうことは必然であります。それは、デモ、ハンストから、種々のボイコット、非協力、ゼネストに至る広範なものとなるでありましょう。
(p.70)

 また、『平和主義とは何か』との比較からは離れますが、興味深いので、石橋が説く非武装化への具体的なステップについてもまとめてみます。

 石橋によれば、現状の日本にとって、「非武装中立」は好むと好まざるとに関わらず目標もしくは理想です。非武装を実現するためには、具体的な課程を経て軍事力(自衛隊)を解消する必要があります。

 石橋の述べているステップは次のようなものです。

  1. 院内・院外において、安定的な勢力を持った政権を樹立すること
  2. 隊員を掌握すること
  3. 平和中立外交を進展させること(具体的には「日本の中立と不可侵を保証する米中ソ朝等関係諸国と、個別的ないし集団的平和保障体制を確立すること」)
  4. 国民世論の支持

(石橋『非武装中立論』pp.81-83 を基に。)

 これについては、「なるほど、これは説得的だ、これが実現できるなら非武装中立絵空事ではない」という思いと、「実際にこんなことが一段階でも実現するためにはどれくらいの月日がかかるのか」という思いを同時に抱きました。

 石橋自身も次のように述べています。

 ところで、縮小される自衛隊の規模や装備は、どのような段階を経るのか、最終目標としての非武装に達するのには、どの程度の期間を必要とするのかという問題ですが、それらはいずれもめいかくではありません。四つの条件を勘案しながら縮減に努めるという以上、何年後にはどの程度、何年後にはゼロというように、機械的に進める案をつくるということは、明らかに矛盾することであるばかりか、それこそ現実的ではないのではないでしょうか。
 重要なことは、どんなに困難であろうと、非武装を現実のものとする目標を見失うことなく、確実に前進を続ける努力だということです。
(石橋『非武装中立論』p.84)

 ところで、平和優先主義と非武装中立論の関係はどうなっているのでしょうか。石橋は、「非武装中立の方が、武装同盟よりもベター」と言っていますが、松本著にはそこまではっきりした文言はありません。これは、石橋著が1980年代の日本の取るべき政策という具体的なものを論じているのに対して、松本著が一般的な話をしているからということもあるのかもしれません。また、松元著には、次のような一節があります。

真の国家存亡の危機に直面した平和主義の一部が『深慮』の観点から武力行使を例外的に容認してもあながち不当とはいえないだろう
(p.165)

 つまり、平和優先主義は幾段階もの留保を取り去った先には軍事行動を行う立場も、自分たちの一部だと認めてはいます。やはり、非武装中立論とは完全には一致しないようです。平和優先主義の極端なバージョンが、非武装中立論だ、くらいはいえるでしょうか。

まとめ

 twitter では、「しかし、これ(『平和主義とは何か』)を読むと平和優先主義は、絶対平和主義より正戦論との距離の方が近いように、ぼくには見える。。。」と書きましたが、『非武装中立論』と『平和主義とは何か』から各立場の”非武装”に対する態度の強度を軸にまとめてみるとこんな感じでしょうか? あくまで僕の印象ですが。

絶対平和主義 >> 非武装中立論 > 平和優先主義 〜 正戦論 > 現実主義

 このように平和優先主義/非武装中立論は、現実主義に抗して(対話して)、その立場を主張できる魅力的な立場と感じました。
 
 ただ、あえて言えば、一抹の不安/不満を感じないでもありません。

 平和優先主義/非武装中立論は、(これらの著作にあらわれている範囲では、)ちょっと現実主義の土俵に乗りすぎじゃないでしょうか? 

 もっとも強力な平和主義の批判者になりうる存在と真正面から対峙する、という意義はよく分かりますが、もう一層深いところで、「安全保障に資する(可能性がある)」以外の”非武装”の価値を確認しておくことが必要なのではないか?、という気がしています。

 平和優先主義者が、『12人の怒れる男たち』のヘンリー・フォンダような立場に立たされて、一人で非暴力を主張しなくてはいけなくなったとき、簡単に説得されてしまわないで、非暴力を主張し続け、全員を翻意させることができるでしょうか? 

 実際の場面で、熱っぽい正戦論者に押し切られてしまったり、口八丁・手八丁(失礼! )の現実主義者に丸め込まれてしまわないか心配なのです・・特に平和優先主義者に関しては、正戦論者や現実主義者との間の壁がどれだけ厚いのか、気になります。

おまけ

 石橋の本には、「七六年のことですが、プリンストン大学の学生が、春の期末試験で「核爆弾設計の基本」という論文を書き、「評点A」をとって国防総省をびっくりさせる事件」(p.205)があった、とかいてあります。

 これは、その学生ジョン・アリストートル・フィリップスがその時の騒動を共著『ホームメイド原爆』にまとめています。ちなみに「評点A」を付けたのは、ダイソンだそうです。

 このサイトホームメイド原爆に委しい感想が載っていました。

 この人は、その後、「2007年の時点で、データベースはおよそ1億7500万人の米国有権者の詳細な情報を持っており、これを100人の従業員(..)で扱っている」ジョン・フィリップス (企業家) - Wikipedia
という会社の経営者なのだそうですよ。