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わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

アイン・ランドとナボコフ-奇妙なカップル

ナボコフ ランド

 先日、前々回のエントリーとの関係でナボコフサルトルについて調べていたら、二人の論争について書いている論文を見つけ、同じ人が、アイン・ランドウラジミール・ナボコフを比較研究した論文を見つけた。D. BARTON JOHNSON という人の「奇妙な同衾者-アイン・ランドウラジミール・ナボコフ(Strange Bedfellows: Ayn Rand and Vladimir Nabokov)」(Journal of Ayn Rand Studies,2000)だ。ランドとナボコフ、ロシア出身で革命を機に亡命し、アメリカで成功した作家という以外は、何の関係もないと思っていたが、意外な共通点の多さにびっくりした。(うらはらに対照的な点も多かった。)

 ナボコフは、このブログでも、今まで2回取り上げたことのある20世紀文学を代表する大作家のひとりだから説明は不要だろう。ランドの方は、ナボコフに比べると日本での知名度は遙かに落ちると思う。ナボコフとほぼ同時期に活動していたのに、著作の日本語訳が初めて出たのはやっと2004年だ。(『水源』(藤森かよこ訳、ビジネス社)(原著、1943))とはいえ、その後、順調に翻訳が進み、代表作『肩をすくめるアトラス』(2004、脇坂あゆみ訳、ビジネス社(原著、1957))、『われら生きるもの』(脇坂あゆみ訳、ビジネス社、2012(原著、1957))、「アンセム」(藤森かよこ訳、原著、1938)と殆どの小説作品が日本語で読める状況になっている。英語版の wikipedia のフィクションに関する selected works でも残っている作品は戯曲 "Night of January 16th"くらいだ。

 僕自身が、アイン・ランドの名前に初めて接したのは、初の日本語訳である小説『水源』が出版されたころだと思う。新聞やネット上でいくつか書評を読んで興味を持ったが、その後に翻訳が出た代表作『肩をすくめるアトラス』とともにあまりにも長大な本でかつ「アメリカの保守派の思想的バックボーンという意味では面白いが、小説としては退屈」という評価が多かったので買って読んでみるまではいかなかった。(他の2作もまだ読んでいない。)その後「NHKスペシャル マネー資本主義」にグリーンスパンとの関係で名前が出てきたりしていた。

 最近になって、Anne Conover Heller の"Ayn Rand and the world she made(2010,Ancor)"(『アイン・ランドと彼女の作った世界』)と、ほぼ同時期に出た Jennifer Burns"Goddess of the Market: Ayn Rand and the American Right"(2009,Oxford University Press)の紹介を含んだ町山智浩の記事「『ティーパーティの女神』アイン・ランドが金融崩壊を招いた」(『99%対1% アメリカ格差ウォーズ』(講談社,2012))を読んで、アイン・ランドのことを思い出した。

99%対1% アメリカ格差ウォーズ

99%対1% アメリカ格差ウォーズ

 町山著やインターネットなどで見た感想や書評で、アメリカ保守層に非常に広範な影響力を持つと伝え聞くアイン・ランドの、ロシア時代の生活まで考慮した初の本格的な伝記であるという本書に興味を持った。この著書以前には、Barbara Branden の "The Passion of Ayn Rand(1986)"という回想録がアイン・ランドの伝記的な事実を詳しく扱った唯一の著作であったらしいが、インターネット上で見つけた下記の書評によると、必ずしも公平な記述でないという非難がランドの近傍に会った人から出ているらしい。

http://www.institutional-economics.com/images/uploads/randreview.pdf

この紹介によって、ランドへの興味が再燃したのだが、全くランドの書いたものを何一つ読んでない状態で伝記を読んでも面白くないかもな、と思って短いエッセイ集を一冊買ってみた。アイン・ランドの遺著『哲学:それを必要とする者』だ。ランドの1960-1970年代のエッセイや講演を集めた本らしい。序文で、側近らしい編者が、「ランドは、哲学のセールスマンだ」とか「彼女は、何百万人もの人生を変えてきた。おそらくあなたの人生も変えるだろう」とか書いている。(これは、なかなかこわい言い方だ。ランドの人気がカルト的と言われてしまうとしたら、このような物言いにも原因があるだろう。)又、本を開いてすぐのページにあるコメント欄にアラン・グリースパンが同じような趣旨の次の言葉を寄せている。

アイン・ランドの書いたものは、何百万もの人生を変更し形作ってきた。このエッセイ集は、彼女の最良のものの見本だ。―Dr.アラン・グリーンスパン

Philosophy: Who Needs It

Philosophy: Who Needs It

 今回のエントリーでは、D. BARTON JOHNSON の記事の紹介と、『哲学:それを必要とする者』(の表題作、まだそれしかちゃんと読めてません。。。。。。)の感想を書いてみたい。

 まずは、エッセイ集の感想から。

 冒頭の表題作は、アメリカの陸軍士官学校(通称、ウエスト・ポイント)での講演(1974)で、陸士の学生に、「哲学」の必要性を解くという内容だ。ランドの主張は、「哲学は万人に不可欠です。そこに選択の余地はありません。どのような哲学を選びとるかだけです。」というものだ。最初に全体的な感想を言うと、ランド、話は確かにめっちゃ上手いと感じた。SF 小話から初めて、日常的な台詞を過去の哲学者の主張と結びつけたり、哲学は探偵小説のようなものです、と言ったりして、最後は特大ヨイショで締める。学生たちが、話に引き込まれ、拍手喝采する姿が目に浮かぶようだ。いまなら、白熱教室とか主催できそう。あるいは、NHK教育の TED とかで喝采されそう、と思った。そういう、巧さ、説得力のようなものを感じたと同時に、この文章だけでも深く反発するところを感じた。それは、ランドの強烈なアメリカ賛美に関するものだ。

 では、詳しい内容を見てみよう。まず、冒頭部分はこんな感じだ。

 わたしは、作家ですから、小咄(short short story)から始めさせてもらいましょう。あなたは、宇宙飛行士です、あなたののる宇宙船は、制御不能に陥り、見知らぬ惑星に不時着しました。あなたが意識を取り戻し、深刻なけがを受けていないと確認した後に、浮かんでくる最初の三つの疑問はこうでしょう。私はどこにいるのか? (Where am I?)どうやってそれを知ることができるのか? (How can I discover it?)私は何をしたらいいのか? (Where am I?)。

 ランドによると、この三つの問いは、哲学の基本的な分類に対応している。即ち、「形而上学」(where am I)、「認識論」(how to know it)、「倫理」(what should I do)だ。この他に、応用的な哲学として、「政治哲学」、「美学」を挙げている。

 ランドが日常的なせりふを取り上げて、以下に哲学が(あるいは抽象的な思考が)日常生活をも支配しているかを、説得している箇所を引こう。

 あなたたちは、-大部分の人たちがするように‐哲学なんかに影響を受けたことはないよ、と主張するかもしれません。この主張が正しいかどうかチェックしてみましょう。あなたは、今までに、こんなことを思ったり、言ったりしたことはありませんか? 「そんなに信じ込むな―確かなことなんて何もないんだから。(Don't be so sure-nobody can be certain of anything)」これは、デヴィット・ヒューム(やそれ以外の多くの哲学者)の言葉です、あなたが彼の名前を聞いたことがなかったとしても、あなたはこの考えを彼に負っているのです。あるいは、「理論的には正しいかもしれないけど、役に立たないよ。(This may be good in theory, but it doesn't work in practice.)」これは、プラトンです。「馬鹿馬鹿しいことだった、でもそれが人間なんだ。完璧な人間なんていないよ。(That was a rotten thing to do, but it's only human, nobody is perfect in this world.)」これは、アウグスティヌスです。あるいは、「それは、君には真実だろうけど、僕にとっては、真実でないよ。(It may be true for you, but it's not true for me.)」これは、ウィリアム・ジェィムズです。「僕は、役に立たないよ! 誰も彼のしている事を助けられないよ。(I couldn't help it! Nobody can help anything he does.)」これは、ヘーゲルです。あるいは、「証明は出来ない。でも真実だと感じるんだ。(I can't prove it, but I feel that it's true.)」これは、カントです。あるいは、「確かに論理的だ。だが、論理と現実は何の関係もない。(It's logical, but logic has nothing to do with reality.)」これは、カントです。あるいは、「邪悪なことだ。なぜなら、利己的だからだ。(It's evil, because it's selfish.)」これは、カントです。現代の活動家がこんなことを言っているのを聞いた事はありませんか? 「まず行動しろ。考えるのは後だ。(Act first, think afterword.)」これは、ジョン・デゥーイです。
 こういう人もいるでしょうね。「確かに、僕はそういうことをいろんな場面で行ったことがある。でも、そういうことをいつでも信じている必要はないんだ。昨日、それは真実だったかもしれにけど、今日はそうじゃない。(Sure, I've said those things at different times, but I don't belive )」これは、ヘーゲルからきているのです。こうも言うでしょうか。「一貫性なんて頭の悪い子鬼だよ。(Consistency is the hobgoblin of little mind.)」これは、非常に頭の悪い(a very little mind)エマソンのものです。こうも言うでしょうか。「でも、人は時機に応じて、妥協したり、他の哲学者の考えを借りたりできないものか? (But can't one compromise, and borrow different ideas from different philosophies according to the expediency of the moment?)」これは、リチャード・ニクソンであり、彼は、これをウィリアム・ジェイムズに負っています。

 最後に、リチャード・ニクソンが出てきたのが、なんか落ちって感じ。しかし、このレトリックは非常にうまい・面白い言い方だろう。挙げられてる哲学者は、プラグマティズムの人が多いかなって印象。何回も言及されているヘーゲルとカントは、ランドの主要な攻撃対象となっている。

 ランドは、この講演では、自分の哲学(「客観主義(objectivism)」という)の主張については抑え気味だが、一部積極的に述べているところがあり、それは、強烈なアメリカの個人主義賛美になっている。それがゆきすぎて、アメリカを護る軍隊賛美にまでつながっているのは恐ろしいと感じた。

 さて、こんなランドとナボコフの共通点と相違点を研究した論文が、D. BARTON JOHNSON の「奇妙な同衾者-アイン・ランドウラジミール・ナボコフ」だ。ちなみに、D. BARTON JOHNSON は、亡命ロシア人作家の研究者らしく、"Nabokov Studies"という雑誌の創刊者でもあるらしい。(この雑誌の創刊号に「ナボコフサルトル論争」という論文を寄せていた。)

 アイン・ランドウラジミール・ナボコフ、かなり共通した文化的背景を基ながらある意味では対照的な存在でもある二人を、伝記的・文学史的に追っている内容だ。まずは、冒頭部分の引用を。

 アイン・ランド(旧姓アリサ・ローゼンボウム)とウラジミール・ナボコフ(筆名ウラジミール・シリーン)は、帝政ロシアのセント・ペテルスブルグにそれぞれ、1905 年と1899年に生まれ、1950年代後半にアメリカでベストセラー作家になった。名作『肩をすくめたアトラス』(1957)と『ロリータ』(1958)は、ほとんど同時期のベストセラーだった。同国人、同時代人、そして同じく作家、ロシア革命によって亡命を余儀なくされたこと、ランドとナボコフは非常に多くの共通点を持っているが、共通の文化的遺産の産んだ全く異なった側面を見せてくれる。イデオローグ、ランドと芸術家ナボコフは、ニューヨークタイムズ誌のベストセラーリストで奇妙な出会いをした。実人生の方では、このイデオローグと芸術家はおそらく出会ったことはなかっただろうが、アリサ・ローゼンボウムとナボコフの三歳年下の妹オルガ・ナボコフは級友でもあり、親友でもあった。1917 年には、アリサは11か12歳、ウラジミールは18歳だった。でも、彼等は、10年代にナボコフ家で、50年代にマンハッタンでお互いをちらりと見たことぐらいはあったかもしれない。

 ランドとナボコフの妹が親友だったというのは、ちょっとびっくり。まずは、ランドとナボコフ、それぞれのロシア時代からアメリカで作家として成功するまでの伝記をまとめてみよう。(伝記的事実は、基本的にはランドについてはBarbara Brandenを、ナボコフについてはBrian Boid を参考にしているとのこと。)

 アイン・ランドことアリサ・ローゼンボウムは、ユダヤ系ロシア人のブルジョワの家に生まれた。ペテログラード大学で歴史学を専攻し、卒業後の1926年アメリカへ渡った。このころはまだ英語は不得手だったらしい。まずは、映画業界でさまざまな職業に就いた。最初の職業は、Cecil B.DeMille の『キングオブキングス』のエキストラであったという。英語での執筆も初め、最初の成功作は戯曲"Night of Jaurnary 16th"(1935)。この作品は、ある殺人事件を巡る裁判が舞台で観客のうち12人が陪審員役を演じ、その評決によって異なるエンディングを演じるという趣向の作品だったという。ブロードウェイでロングランになった、と。1936年に『われら生きるもの』を発表。ランドの長編小説で唯一、ロシアを舞台にした作品であるそうな。
 1938年に、ディストピア小説『アンセム』を発表した。『アンセム』は、何かの自然災害後に誕生した未来の全体主義的社会が舞台。その社会では個人に名前がなく「平等 7-2521」の様に番号で呼ばれる。主人公、「平等 7-2521」が、古い書物を読んで"I"(わたし)という言葉を発見するという物語だという。このなかなか面白そうな小説は、ザミーチャンの『われら』の影響下で生まれたと考えられている。1921年に書かれた『われら』は、ランドのいたころのペテログラード大学で回し読みされていたそうだ。また、草稿段階では、『エゴ("Ego")』というタイトルであったそうな。ちなみに、ナボコフも『われら』を読んで賞賛しており、1935-36年発表の『断頭台への招待』も『われら』の影響があると指摘されている。(Brian Boidによる。)

 この小説は、以下のサイトで日本語訳が公開されている。

http://www.aynrand2001japan.com/anthem.html

 1943年。出世作『水源』を発表。出版社の"Indianapolis firm of Bobbs-Merril"は、偶然にも、1938年にナボコフの『マルゴ』を出版したところだった。『水源』は、批評家には不評で会ったが、大いに売れ、1945年1月までニューヨークタイムズのベストセラーリストに載り続けた。1949年に映画化された。(D. BARTON JOHNSONは、ハンバート・ハンバートとローが旅行中にこの映画を見たかもしれないと書いている。)1957年に1,200ページ超の大作『肩をすくめるアトラス』を出版した。

 あと、この『水源』の映画化『魔天楼』については、町山智浩の以下の記事が詳しくかつ面白い。

http://www.shueisha-int.co.jp/machiyama/?p=146

 ナボコフは、裕福な貴族(ただし爵位は持っていない)の長男として生まれた。弟妹は、4人いた。1919年にロシアを離れ、ヨーロッパに亡命。1922年にケンブリッジ大学を卒業した。当時、亡命ロシア人が多く住んでいたベルリンの映画業界でエキストラの仕事から始め、舞台や映画の脚本を書き始めた。映画の影響を受けた小説としては、『カメラ・オブスキューア』がある。アルフレッド・アペル Jr が場面転換をカメラの切り返しを意識して書いたように、「映画のような小説」を施行したものだと指摘しているそうだ。1940年、アメリカに渡った。1948年に書かれた小説『ベンドシニスター』は、ソ連を思わせる架空の独裁国家で苦悩する知識人クルグを主人公にしたものだが、出版社探しに苦労したそうだ。1958年、最初パリのオリンピアプレスで出版した『ロリータ』をアメリカで出版した。ベストセラーになり、キューブリックによって映画化された。

 このような二人の人生行路の共通点をD. BARTON JOHNSONは、次のようにまとめている。

  1. 幼少時代、サンクトペテルブルグで裕福で幸せな生活を送った。
  2. ロシア革命を機に亡命した。
  3. WWII で親族を失っている。(ランドは両親を、ナボコフは弟のセルゲイを。)
  4. 英語で、執筆を行い英語作家として有名になった。
  5. 作品の映画化とプレイボーイのインタビューで名声を拡大した。
  6. 生前は、故郷に帰ることはなかったが、現在は作品が故郷に帰還している。(ロシアで翻訳が出ている。)

 さて、伝記上多くのの共通点を持つ二人だが、文学的な評価や主張は、正反対といっていいくらい、ぜんぜん違う。ランドは、「客観主義」という自分の哲学を表現するために小説を書いていたが、主張はともかく、小説としては退屈という評価が多い。ナボコフは、「政治小説ほど、僕を退屈させるものはない。」とインタビューで言っているし、小説の内容でなくスタイルを重視する作家だ。

 ナボコフの言葉は、一般論として言ったものだが、ランドについて聞かれても同じようなことを言ったかもしれない。ランドは、ナボコフについてもっとはっきりした意見を書いている。1964年の Alvin Toffler によるインタビューだ。(因みに、ナボコフも Alvin Toffler のインタビューを受けている。)D. BARTON JOHNSON の論文から孫引きする。

わたしは、彼の小説は1冊と半分しか読んでいません。その半分というのは。『ロリータ』です。これを読み終えることはできませんでした。彼は、優れた文体を持っていて、美しい文章を書きますが、彼の扱う主題や人生観・人間観は余りにも邪悪で、芸術として正当化できるものではありません。

 それ以外にも作家に対する評価でも、多くの対照的な点がある。例えば、ロシアの二大文豪、ドストエフスキートルストイにしても二人の評価は、対照的だ。ランドは、ドストエフスキーを賞賛しているが、ナボコフドストエフスキーに点が辛いのは有名だ。一方、ランドは、「トルストイを読んだことは、今までで行った文学的義務の中で一番退屈なものだった。」(『アイン・ランド書簡集』,1955,D. BARTON JOHNSONの論文から孫引き)と書いている(激しく共感!)が、ナボコフはロシアの散文作家の中で唯一「A+」という評価をしている。

 また、19世紀ヨーロッパ文学についても、ランドのお気に入りはユーゴーナボコフフローベールで、これは二人のスタイルをはっきり反映しているといえよう。現代文学についても、ナボコフが『ユリシーズ』や『変身』を高く評価するのに対して、ランドはWWI以降の小説にはあまり関心がなかったらしい。(ミッキー・スピレインが好きとだとか。)

 なぜ、このような二人が生まれたのか? D. BARTON JOHNSONによれば、これは必ずしも突然変異的なものでなく、20世紀のロシア文学史の伝統にその原因を見つけることができそうだ。
 20世紀初頭のロシア文学には、二つの潮流があった。社会主義リアリズムと象徴主義だ。社会主義リアリズムは、チェルヌイシェフスキーの『何をなすべきか』(1863)を祖母に、ゴーリキの『母』を母にして生まれたものだ。D. BARTON JOHNSONは、社会主義リアリズムとランドの小説観に共通していると指摘する。ランド自身の言葉を借りればそれはこういうことだ。

(芸術の)根源的な価値は(読者に)あるべき世界の住人としての生を体験させることだ。
(『ロマンティックマニフェスト:文学の中の哲学』、D. BARTON JOHNSONの論文から孫引き。)

 社会主義リアリズムとランドでは、その思想は真逆だが、何らかの理念から導き出されたあるべき世界を描くことを理想とする点では共通している。このことをD. BARTON JOHNSONは次のよう皮肉っぽくまとめている。

 ランドのハワード・ロークもジョン・ガルトもチェルヌイシェフスキーの主人公たちも(作者同様に)『何をなすべきか』に悩んだりしない。

 一方で、ナボコフが影響を受けたのは、ロシア象徴主義だ。ナボコフとロシア象徴主義の関係については、沼野充義ナボコフはどこまでロシアの作家か? 」(「ユリイカ‐特集ナボコフ 亡命の20世紀」)にも詳しく書いてあったのでここも参考にした。具体的には、詩人アレクサンドル・ブローク(1880-1921)や作家イワン・ブーニン(1870-1953)、アンドレイ・ベールイ(1880-1931)といった面々だ。

実は、ロシア象徴主義の作家たちについて僕は全然知らなかったのだが、日本語版wikipediaにも立項されていたくらいなので、結構有名なのかもしれない。。。。。。生年、没年はそこを見た。

 それぞれ何作か翻訳も刊行されている。

アレクサンドル・ブローク
『薔薇と十字架』 

薔薇と十字架 (平凡社ライブラリー)

薔薇と十字架 (平凡社ライブラリー)

イワン・ブーニン
ロシア出身の作家で、初めてノーベル文学賞をとった作家らしいので翻訳もたくさんあるみたい。
『暗い並木道(英語版) イワン・ブーニン短編集』

暗い並木道―イワン・ブーニン短編集

暗い並木道―イワン・ブーニン短編集

群像社からはたくさん出てるみたいだ。

たゆたう春、夜 (ブーニン作品集)

たゆたう春、夜 (ブーニン作品集)

呪われた日々、チェーホフのこと (ブーニン作品集)

呪われた日々、チェーホフのこと (ブーニン作品集)

アンドレイ・ベールイ

サイモン・カリンスキーは、ベールイの『ペテルスブルク』について「これなくしてはナボコフの文学的起源を想像することは難しい」と書いている。

ペテルブルグ〈上〉 (講談社文芸文庫)

ペテルブルグ〈上〉 (講談社文芸文庫)

ペテルブルグ (下) (講談社文芸文庫)

ペテルブルグ (下) (講談社文芸文庫)

 特に、ロシア象徴主義の指導的な詩人だあったアレクサンドル・ブロークの影響は大きかったらしく、ナボコフは自伝で三回も言及しているという。僕は、『ナボコフ自伝』は持っていないので、引用できないが、『ナボコフ=ウィルソン往復書簡集』(サイモン・カーリンスキー編 中村紘一 若島正訳、作品社、2004、原著 1979)にも彼らへの熱烈なる言葉がいっぱい見られた。

ナボコフ=ウィルソン往復書簡集 1940‐1971

ナボコフ=ウィルソン往復書簡集 1940‐1971

アレクサンドル・ブローク

ブロークは読者の身体に入り込んでくる詩人で、そうするとすべてがブローク的ではなく平凡に見えてしまうから。たいていのロシア人と同様に、私もそういう段階を25年ほど前に経験したことがる。

この言葉の前半は、ナボコフとナボコビアンの関係についてもあてはまりそうだ。

プーシキンが海なら、チュチェフは井戸だ。口当たりはいいが本物だ。ブロークは、ランボーの「酔いどれ船」に出てくる子供がどぶに浮かべる羽根のついた小舟だ。

アンドレイ・ベールイ

おそらくいかなる言語であれ詩について書かれたものとしては最高傑作であるアンドレイ・ベールイの論考『ポエチカ』

(引用者注:サイモン・カーリンスキーによると実際にはそういう題でなく『象徴主義』(1910)の一連のエッセイのことを言っているらしい。)

また、

1905-1917年にかけてロシア文学が「衰退」したというのはソヴィェトのでっちあげだ。ブローク、ベールイ、ブーニンたちはそのころに彼らの最高傑作を書いた。(中略)私はその時代の産物で、当時の雰囲気を吸って育った。

とも書いている。

 つまり、まとめるとランドは社会主義リアリズムのナボコフはロシア象徴主義の系譜をそれぞれ引いているので、同じような社会・時代的な背景を背負っていてもこんなにも違う作家になったということだ。

 といっても、勿論、これは単純化した言い方で、ランドも実は象徴主義の詩人アレクサンドル・ブロークがお気に入りだったということだ。面白いことに、ランドのブローク評は、ナボコフ評によく似ていて素晴らしい詩人だが、人生観に賛成できない、というものだったらしい。これらの発言からするに、ランドは必ずしも前衛文学オンチというわけではなく、それなりに鑑賞眼を持っていたが、思想的にのめりこまなかったということかもしれない。

 また、ナボコフにしても、 チェルヌイシェフスキーの伝記を書いたりしている。(『賜物』中の主人公の創作として。)

 というわけで、意外に共通点が多いことや、今まで知らなかったロシア象徴主義の作家に興味を持てたので面白かった。

 この論文には、他にもナボコフやランドのサブカルチャーに与えた影響や彼らの作品から派生して出来たスピンオフ作品な紹介などをしていて、いろいろと面白い興味の広がるものだった。

 例えば、カナダのロックバンドRushの「2112」は、ランドのアンセムの影響を受けた作品だそうだ。

 また、サイモン・アンド・ガーファンクルの歌詞にもアイン・ランドの名前が出てくるとか。

 スピンオフ作品としては、ナボコフのものとしては、Pia Pera の"Lo's diary"(ドロレス・ヘイズは実は生きていて、ロリータの視点からハンバート・ハンバートとの生活をつづったという趣向の作品。)が挙げられていた。若島正の『ロリータ、ロリータ、ロリータ』所収のコラムに詳しい解説があった。

ロリータ、ロリータ、ロリータ

ロリータ、ロリータ、ロリータ

 僕が見つけた最近のものでは、Paul Russell という人の"The Unreal Life of Sergey Nabokov"というのが面白そうだ。これは、ナチスの収容所で亡くなったナボコフの弟セルゲイを語り手とした作品だそうで、題名は勿論、『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』から来ているのだろう。

The Unreal Life of Sergey Nabokov

The Unreal Life of Sergey Nabokov

 ランドのスピンオフ小説は、Mary Gaitskill の "Two Girls, Fated and Thin"(1991)とGene Bell-Villada の "The Pianist Who Liked Ayn Rand"(1998)が挙げられていた。

 あと、Stephen Goldstein という人の"Atlas Drugged”という風刺作品が最近出たらしい。スティーブン・コルベアがビル・オライリーにしたことをアイン・ランドにしたそうだから、結構強烈な風刺作品なのだろう。

Atlas Drugged: Ayn Rand Be Damned!

Atlas Drugged: Ayn Rand Be Damned!

 今度、ランドの伝記や作品、またナボコフに影響を与えたロシア象徴主義の作家たちの作品を読んだらまた感想を書いてみたい。