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わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

若き日の花田清輝を自伝執筆のための秘書として雇っていたというイー・トンハ氏ってどういう人物?-『別冊新評 花田清輝の世界』感想

花田清輝

 花田清輝は、ぼくの大好きな批評家で、このブログの最初の記事でも『冒険と日和見』(増補版、1973年、創樹社)を取り上げている。一時期ちょっと読んでない期間があったけれど、最近になって、未読だった『近代の超克』や『恥部の思想』を読んだら、やはり、その鋭い批評精神と豊かなレトリックにしびれてしまった。たとえば、チャップリンの『ニューヨークの王様』を論じながら、天皇の戦争責任を追及するという一篇が素晴らしかった。

近代の超克 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

近代の超克 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

わたしが、かれら(武井・吉本・鶴見)の戦争責任のとりあげかたを感傷的だと考えているのは、そういう観点(罪即罰という観点)にわたしが立っているからではなく、かれらが天皇の戦争責任にたいしてほとんどくちをかんし、主として文学者の戦争責任などを問題にしているからだ。
(中略)
鶴見俊輔のいうように、いまになってふたたび戦争責任の追及を試みるのは、かれが、敗戦直後、アメリカのイニシュアティブのもとにおこなわれた国際裁判を、そのままの形で指示し、負けて平伏している者に対して追い打ちをかける、といったような傾向にまきこまれまいとつとめたためだったとすればーそして、わたしは、そういうかれの便乗拒否に心から同感するものでがあるがーしかし、それならばなおのこと、現在、かれはその当時、国際裁判の故意に無視してしまった天皇の戦争責任を、まず、まっさきにあきらかにしなければならないのではなかろうか。

 ところで、文芸文庫の年譜を見たら、次のような記述があった。(強調は、引用者。以下同じ。)

1933年(昭和八年) 二四歳
春ごろ上京。新聞広告をみて、朝鮮の独立運動の一員であった李東華の秘書となり、その自伝の口述筆記に従事。秋ごろ、母夕子も上京。
1934年(昭和九年) 二五歳
李東華の自伝を完成、その後、職を求めて職業安定所の行くが、紹介所のベンチの上でヴァレリーの『テスト氏』を読み、自分でもかけると思い、就職を断念したという(「私の読書遍歴」)。

(作成・日高昭二)

 この年譜には次のような付記があった。

本稿は、講談社版『花田清輝全集』別巻IIの久保覚氏による「年譜」および「著作年譜」等を参照して編まれたものである。

 花田清輝が、若いころにゴーストライト(? という言い方が適切かどうかこれだけの記述では分からないが、)していた本があったとは驚きだ。しかし、よく思い出してみると、花田が亡くなった後に編まれた『別冊新評 花田清輝の世界』(1977年、新評社)に花田の旧友によるもう少し詳しい記述があった。

 七高時代からの花田の友人である小島信之による回想文「若き日の花田清輝‐第七高等学校・京都大学・上京まで」だ。小島信之の肩書は、第一保育短期大学教授となっている。この文章は、旧制高校時代からの花田の奇抜さや才気が伝わってくるもので、面白かったのだが、最後の方にこんな記述があった。

 やがて花田とわたしは三浦(義一、引用者注)家を去り、しばらく辛島さん(花田の友人、花田と三浦義一や野溝七生子を引き合わせたりした人物)の下宿に同居した。辛島さんは京大の哲学科を卒業後東京の市役所に勤めていた。もちろん彼の下宿にそう長いあいだいるわけにはいかなかった。花田は新聞広告で李東萃(イートンハ)という朝鮮の人が秘書を求めているのを見て会いに行った。
 その仕事というのはかれの自伝を書くことであった。花田はすぐ採用されて、李氏の口述を筆記し、それをかれ一流の精彩を放つ文章にまとめるのであった。李氏はわたし達のために三軒茶屋に借家を見つけてくれた。花田の報酬は僅かだったが、それとわたしの母からの送金とをたして、どうやら暮らしていくことができた。

 まだ、文芸文庫の年譜が参考にしているという全集版の年譜を作った久保覚と福島紀幸が作成した別冊新評の巻末の年譜には、1933-年の項目に次のような記述があった。

1933年(昭和八年) 二四歳
 この年東京に移住、以後、医学文献の下訳、朝鮮人ジャーナリスト李東萃の秘書となり、その自伝の代作などで生計を立てる。職業紹介所のベンチでヴァレリーの『テスト氏』を読み、就職を断念。また、スエトーニウス『皇帝列伝』の翻訳を企てる。

 別冊新評の記述では、名前の表記が異なっている。しかし、まあ、これは新しい方の文芸文庫の方が間違いが、訂正されていて正しいと考えるのが普通だろうが、よくは分からない。名前の読みは、「若き日の花田清輝」のルビに従った。(あとで、図書館に行って、全集版の記述を確認してみたい。)

 武井昭夫が、花田について語った『社会評論』の記事が、検索すると出て来るが、ここでも朝鮮独立運動の一員の李東華であり、詳しいことは分からなかった。

 しかし、(まあ、そんなことはどうでもいい、というわけにはいかず、)これは気になる。朝鮮独立運動の一員でジャーナリストのイー・トンハとはどういう人物なんだろう? ググってパッと出てくる同姓同名の人たちは、台湾の歴史学者とかで別人みたいだ。また、国会と者間で検索しても、それらしい本は出てこなかった。せめて、その自伝ってタイトルとかわからないのだろうか?

 ぜひ、若い日に花田を援助していたというイー・トンハ氏についていくらかのことを知りたいし、花田「一流の精彩を放つ文章に」を読んでみたい!