わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

田中角栄について二点メモー田中の憲法・再軍備観とロッキード陰謀論

 ちょとしたきっかけで、田中角栄について、何冊か読み漁ったので、気になったことを忘れないうちにメモ程度にまとめておきたい。(最近読んだことをすぐ忘れる。)読んだのは、次の諸著作だ。

田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像 (中公新書)

田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像 (中公新書)

田中角栄についての本と言えば、いの一番に挙げなくてはいけない立花隆の一連の著作は入っていない。既に何冊かは読んでいたので、この機会に読みなおしたり、未読のものに手をつけようかとも思ったが、案外絶版のものも多く、本が手元になかったりしたので、今回は除いた。(しかし、『田中角栄研究全記録』(講談社文庫)も絶版なんだ。実は下巻を持ってなくて買おうとして気づいた。世の中間違ってるよ! まことに遺憾に存じます。)

 今回、気になったのは、まず、田中角栄の憲法観・再軍備観だ。実は、結構、どの著作にも田中の日本国憲法、もしくは再軍備に関する意見がちょこちょこと載っていた。
 
 例えば、田中の名物秘書だった東京タイムズ記者出身の早坂茂三の『オヤジとわたし。』によれば、彼と田中の最初の本格的な出会いも、憲法九条破棄をアメリカから外圧かけてくれや、という田中の放言を早坂がスクープして、野党にたたかれたことがきっかけだったそうだ。

昭和三十七年二月六日、ロバート・ケネディ米司法長官が東京・六本木の国際文化会館で自民党の若手代議士たちと非公式に懇談しました。ケネディ大統領の実弟で、に後に二人とも暗殺される、あのロバートです。田中、中曽根康弘宮沢喜一江崎真澄山中貞則らが出席した。そこで政務調査会長の角栄先生が「沖縄返還の前提といして米国が日本に憲法改正と再軍備することを提案してはどうかとやった。

 同じ話は、『田中角栄回想』にも出て来る。

 また、自民党の幹事長室室長を務めた奥島貞雄の回顧録『自民党幹事長室の30年』にも次のような、田中の核武装に関わる発言についての記述がある。

(昭和)四十一年ごろだったと思うが、米国のある上院議員が韓国訪問の帰路に訪日し主要政治家と会談を持ったことがある。当時幹事長だった田中とも会談した。衆院内三階の自民党総裁室だったことを覚えている。私は部屋の隅で二人の話に耳を傾けていた。
 内外の政治、経済情勢について意見交換するうち、話が安全保障に及んだ。すると田中は、突然こんなことを言いだした。
「わが国には核兵器を持つ技術的能力もある。今は持たないが将来は保有することになるかもしれない」
 私は、思わず耳を疑い、隣にいた後輩職員と顔を見合わせた。あまりにも唐突で大胆な発言だったからである。通訳を介してこの田中の発言を聞いた上院議員もさすがに驚いたのか、すぐには言葉を発せず(私には困惑の表情に見えた)、少し間をおいてから「ところで・・・・・・」と日本の国内問題に話題を変えてしまった。

 この発言については、奥野は、佐藤栄作がジョンソン大統領との1965年の首脳会談で「中国が核武装するなら日本も核を持つべきだ」と述べておたことを報じる東京新聞の記事を引用して、「当時の田中の発言はこうした佐藤の考えを下敷きにしていたのかもしれない」と述べている。

 一方で、佐木隆三の『越山 田中角栄』には、こんな演説の様子が描かれている。この、佐木によって再現された演説は、田中がロッキードで逮捕され、保釈中に無所属で臨んだ1976年の選挙のものだ。この選挙で、田中は17万票の得票で圧勝した。

「雪のふらないあっちは、明治から百年ずーっと陽が当たって、恵まれすぎるくらい恵まれておるのに不満があるのです。そしてねェ、連中は言うんだ、こうやって私が新潟県のすみからすみまで回っておるのをだね、土方田中はドサ回りをしておる、と。新憲法をよんでるのかなァ、こういう蔑視をする。蔑視をされると、ここの人は怒るわねェ。そうでしょ。こんな苦労をしたコメを、安く喰わせろなんてぬかしてねえ、なにをほざくかと、こう言いたいよなァ、こっちも。

 さて、本命、元朝日新聞の政治記者、早野茂の著書でも田中の憲法観については、「憲法観」という小見出し付きでページを割かれて記述されていた。ちなみに、日経新聞の2012年12月22日の「風見鶏」というコラムを読んだら、”早川茂三を通して田中角栄のアポをとったら、「朝日のハヤノさんに田中角栄のひととなりを聞いておくように」って言われた”という日経記者のエピソードが描かれていた。(結局、その記者は、田中の急病で会うことはかなわなかった。)これを読んだときは、田中ファミリーと著者の深い結びつきを感じた。

 角栄は憲法をどう思っていたのか。『田中角栄回想録』によれば、角栄もまた「国家に自由がないとき、主権の存在ぜざるときに憲法はつくれるものか。どうかね?」などと占領軍の指令でつくられた日本国憲法にいささかの疑問は抱いていた。日本が独立を回復したときに、「憲法を国民投票に付すべきだった」と考えたりもした。角栄自身が金権批判にさらされてからは「マッカーサはアゴが達者で人の悪口を言ってればメシが食えるる第四次産業まで作ってくれた。これも現行憲法によって作られた社会制度である」などと、憲法の「言論の自由」をくさしてみたりしたが、これはうっぷんばらしの冗談の域を出なかった。
 角栄は占領政策も、「主権在民への転換、農地改革、婦人参政権労働基準法などよかった。日本のエネルギーを全面的に解き放った」と、占領政策を大きく是認していた。「日本はここまできたんだから憲法改正に急ぐ必要はない」「具体的な各条項に触れるのは、まだちょっと早い」などと述べて、改憲に力むことは最後までなかった。それどころか、わたしがあるとき角栄に「改憲か護憲か」を単刀直入に聞くと、「キミね、憲法なんて一○○年変えなくていいんだよ」と答えたものだった。なんとかかんとか国家が転がっていくときは、憲法なんてそのままでいい、そんな言い方をしていた。

 田中角栄について今まで、たとえば中曽根等に対するのとは違って、タカ派とか改憲派という印象は特に持っていなかったので、早川著の憲法改正のため外圧をかけてくれという話や奥野著に出てくる核武装発言は、ちょっとびっくりした。早野著の評価は、少し田中を護憲よりに書きすぎていないか? (引用部分では再軍備核武装の話は出てこないし。)

 しかし、実際は、それほど積極的な改憲派ではなく、単に無定見で、自分にとって都合のいい時に護憲派的になったり、改憲派的になったりというのが真相なのではないかという気もする。(だからこそ危険ともいえるが。)

 それは、それとして、もう一点気になることがある。佐木や早野はともかく、田中シンパもしくは田中英雄神話の吟遊詩人と言うべき人(早川)がなんでこういう記述を積極的にするのだろう。普通に、重要なエピソードということもあるし、改憲派に阿っている事もあるだろうが、奥野の次の記述が一つのヒントだろう。

先の田中発言(核武装するかもしれない発言。引用社注)、そして「先を越された」米国に対峙するがごとき中国との国交回復。米国から見れば「田中は何をやるか分からない男」、もっといえば「米国を意に反さない危険人物」と映ったのではないだろうか。
 こうした米国側の評価が、田中がロッキード事件に巻き込まれていった原因になったのではないか‐これは政治に素人の私のうがった見方に過ぎないのかも知れない。だが、田中の核発言を聞いた時の上院議員のあな表情が、私の脳裏からどうしても離れないのだ。

 つまり、田中は改憲派自主憲法成立派だ->田中は対米従属を打ち破ろうとした->田中は、アメリカのトラの尾を踏んだ->ロッキードは、アメリカの陰謀だ、という連想ゲームで、ロッキード陰謀論につなげて、田中を擁護したいのだ。

 いまどき(渡辺昇一が、立花隆に『論駁』(朝日新聞社)であれだけこてんぱんにやられたのに)”ロッキード裁判陰謀論”や”ロッキード裁判批判”にはまる人なんてそうそういないだろうから、これは空しい努力だなあ、と思ってしまいそうだが、実は、案外いた。

 例えば、スガ秀実呉智英の対談「『文春』vs『朝日』論争はどちらに軍配が上がるのか」(『保守反動思想家に学ぶ本』、JICC出版局、1985)でスガ秀実はこんなことを言っている。

スガ 簡単に言えば、すでに明らかなように、『朝日ジャーナル』=立花隆は、基本的に『文春』=渡部昇一(石島泰・井上正治)に負けているわけですね。しかも、反動的な役割を演じている。

 相手役の呉智英は、この件については、ただフンフン聞いているだけだが、実は後の宮崎哲弥との対談本『放談の王道』(時事通信社、1999)では、立花隆を讃える宮崎の発言を受けて、こんなことを言っていた。

 俺は、宮崎君ほど、立花先生の著作は読んでないからよく分からないけどね、『ロッキード裁判批判を斬る』なんてのは、『朝日ジャーナル』に連載されてたときに読んでて、それなりに啓蒙されるところがあったんだよね。さっき宮崎君が言ったように、なかなか論証が精密でね、確かロッキード裁判を批判していた渡部昇一先生が杜撰な論理展開をなさったんで、論破されてた。

 この立花‐渡部論争の評価自体は、大賛成だけど、そう思ったんなら 1985 年の時点で、スガに反論してよ! という気持ちだ。

 さらに言えば、スガ秀実、1985年から20年以上たったので、考えが変わったかと言うとそんなことはないようだ。『反原発の思想史』(筑摩選書、2012)では津村喬の意見を肯定的に紹介する次のような記述があった。

アメリカ新戦略の意を受けた検察は、田中的「戦後」を清算すべく、田中逮捕に踏み切ったというのが、津村の論点である。

また、歴代総理大臣を点数付で採点したという(『作家の値打ち』に続く)趣向の福田和也の『総理の値打ち』では、田中角栄の項にこんな言葉があった。

 多分に陰謀の匂いのするロッキード事件の被告とされてからは、派閥の増強に腐心して、宰相にあらずして、国事のほぼすべてに絶大な影響力を持った。

 こういう発言をちょくちょく目にして、立花隆の一連の著作(『ロッキード裁判とその時代』、『ロッキード裁判批判を斬る』など)を、きっちり読まなくてはいけないと思った。(実は、通読していないので。)

 さいごに、本多勝一ロッキード疑獄で保釈中の選挙を新潟三区の山村で取材したレポート「田中角栄を圧勝させた側の心理と論理」を紹介したい。これは、早野著でも言及されている傑作ルポだ。

 当時は、大都会を中心とした世論では、「田中を当選させたら新潟第三区住民の恥」と言われていた。しかし、それは、本当に「恥」なのか。それは、都市部や革新・エリートの持つ傲慢ではないのか、というのがこのルポの主題だ。

 本多は、田中を十七万票で当選させた新潟三区の中でも、特に「豪雪」と「過疎」に強く苦しめられ、「出稼ぎ地帯」、「嫁不足地帯」、「自殺地帯」である山村部のうち、北魚沼群守門町の二分という地域を取材した。

 本多は、自殺率の高さや雪による苦しみ、出稼ぎの必要などを村人の発言を紹介しながら叙述し、田中角栄の圧勝を次のように結論する。

「角栄」を圧勝させたもの。それはもはや政党レベルや汚職次元の問題ではなかった。明治以来の「東京政権」下にあって、「陽の当らない場所」でありつづけ、戦後さらに「高度成長」の犠牲にされてきた地方の、中央に対するイナカ、「表」にたいする「裏」、都市的・秀才的・エリート的な「陽のあたらない場所」の怒りと痛み・恨み。それを「田中」という現象に託して反撃に出たのが、こんどの「十七万票」だともいえよう。「田中」以外に、だれにこの反撃を託すことができようか。具体的に、第三区のだれが、かれらの怒りと恨みを実際に行動であらわしてくれる可能性があるだろうか

 もちろん、本多は、田中を含む自民党政権が地域格差を作って来たのだから、田中のやっている事はマッチポンプじゃないか、あるいは、田中の行う「日本列島改造」という公共事業による再分配政策ももたらすのは結局のところ「大企業の繁栄」と「人間破壊」・「文化破壊」ではないのかという指摘も忘れていない。

 何冊か読んで、ぼくの中での田中角栄観をまとめると、田中は、大都市(東京)・「表」・エリート支配の日本を覆し、再分配を行う役割を担うことが期待される人物であったが、具体的には、建設関係の公共事業によるバラマキ的な政策までしかできず、本当に意味のある再分配・日本の格差構造の是正は出来なかった。基本的には護憲派であったとしても、信念として強く持っていたかどうかは怪しい。さらに、ロッキードで逮捕された後は、自分の失墜を恐れるあまり、権力の掌中に力を尽くし、政治腐敗を進行させてしまった。ついでに、田中角栄にまつわる陰謀論は意外に根が強い、というものだ。

 今後、立花隆の著作なども読んで、イメージを修正していきたい。