わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

アラン・ウッド、碧海純一訳『バートランド・ラッセル―情熱の懐疑家』(1978、木鐸社)感想(2)

 『バートランド・ラッセル―情熱の懐疑家』の感想続き。

 ウッドが、ラッセルの発想法や研究・執筆態度について述べている章「天才のしごと」で興味深い指摘があった。ラッセルは、最初に書いた原稿ですでに完璧な文章になっていて、ほとんど全く推敲というものを必要としなかったらしい。

すぐれた著作というものは丹念な苦吟・推敲の結果であると考えていた私に、例外がありうるということをはじめて教えてくれたのはラッセルであった。というのは、かれの原稿や手紙は、いくらページを繰ってみても、不思議なほど、ほとんだ人間わざと思えないほどきちんと書きつづられ、一字の抹消や、訂正もないからである。ラッセルは、ひとたび想がまとまって書きはじめると、あたかもすでに書いてあるものを筆写するかのように筆がうごくのだ、とみずから説明している。かれによれば、同じ抹消するなら紙の上でやるよりも頭の中でやるほうが簡単だから、何事にもよらずまず頭の中で全部書いてみるのだという。話すときも、かれはひとつの文章をはじめるときにはかならずその結末をはっきり頭の中で考えているのである。かれのばあい、夢の中でさえも、あらゆる対話は構文上完璧である。
(ウッド著、pp.69-70)

 また、ラッセルは「聴覚的人間」で、目で見たイメージよりも耳で聞くイメージを使ってものを考えていたそうだ。

 ラッセルのばあい、重要と思われる点がひとつある。かれは目よりもむしろ耳で、つまり、視覚像よりもむしろ聴覚像を通じて、しごとをする。かれはひとに本を朗読してもらうのが好きである。ラッセル自身も、自分は、何か読めと言われたとき、ひとりの心の中で朗読してみないとよくわからず、自分の記憶は、紙の上の活字の格好よりは、むしろ、話しことばの発音にたよってはたらくのだ、と言っている。かれは、ベルグソンに対する批判の一つの点として、ベルグソンが「視覚人」であることを指摘し(もっとも、ベルグソンはこれを否定した)、また、視覚像だけにたよってものごとを考える人は抽象物について考えるのに困難を感ずるだろう、とも言っている。たとえば、論理学で用いる諸概念や、四次元の世界などは、視覚像ではあらわせない。
(ウッド著、pp.67-68)

 そのせいかどうかは分からないが、ラッセルは「詩と音楽については鋭敏な観賞力を示すかれも、美術についてはさほどではない」そうだ。

 これを読んで、ラッセルを宿敵視していたある作家が、全く対照的とも言うべき創作態度をインタビューで披露していたことを思い出した。「ロシアで生まれ、イギリスで教育を受けた、アメリカの作家」ウラジミール・ナボコフは、インタビューと書簡や雑誌記事を集めた本 "Strong Opinions"(1973) で次のようにラッセルについての敵愾心をむき出しにしている。

「ロンドンタイムズ」(1962 年、5 月 30 日)

エジンバラ国際フェスティバルのプログラムを見て、作家会議の招待者一覧にぼくの名前が記載されているのを発見しました。同じリストに載っている作家のなかには、ぼくが尊敬する人たちもいましたが、ぼくがどんなフェスティバルや会議にでも同席する意思のない作家の名前が載っていました―イリヤ・エレンブルグバートランド・ラッセル、J・P・サルトルです。言うまでもないことですが、その会議で議論されることになっている「作家の問題と小説の未来」とやらには、ぼくは全くの無関心です。
 ぼくとしては、このことをぼくの名前が載ったプログラムが出る前にもっとそっとフェスティバルの委員会にお伝えしておきたかったのですが。
("Strong Opinions"、p.212)

 この会議については、こんな本が出ていた。

Amazon.co.jp: The Novel Today: Edinburgh International Festival 1962: Programme and Notes, International Writer's Conference: Andrew Hook: 洋書

 プログラムや招待作家一覧も web 上で見られるみたい。これですね。

 ここでは、ナボコフの名前はもう削られているみたい。しかし、サルトルの名前もないぞ? ナボコフが尊敬している作家は、このなかでは、メアリー・マッカーシーとかアラン・ロブ・グリエとかか。

 ラッセルがナボコフのことをどう思っていたかはよく知らないが、ナボコフがラッセルを敵視するのは多分、保守派であるナボコフには、ラッセルの政治的な意見が気に食わないとかそんなところなのだろう。

 ナボコフ翻訳を多く手掛ける英米文学者の若島正の tweet でもこんな記述が。

『アーダ』を読んでいて、どうもバートランド・ラッセルをけなしているらしい個所を発見。なんでラッセルなん?と思ってふと気がつく。ベトナム戦争ホー・チ・ミンの肩を持ったのがきっとナボコフの癪にさわったんだな。ナボコフの小説にも妙に生臭いところがあるという実例。

Twitter / propara: 『アーダ』を読んでいて、どうもバートランド・ラッセルをけなし ...

 ところで、ナボコフが、サルトルを攻撃した記事は"Strong Opinions"に他にも載っていて前にブログ記事にしたことがあった。

ナボコフによるサルトル『嘔吐』(英訳)書評の感想-(V. ナボコフ, "Strong Opinions" から "SARTRE'S FIRST TRY") - わが忘れなば

 ナボコフは、ラッセルとは対照的に、1962年のインタビューでは、自分が文章をいかに推敲するか、頭の中のイメージを文章として表現するのがいかに難しいかを語っている。

”考えることは天才的、書くものは並はずれた作家のもの、喋ると子供みたい”-V. ナボコフ, "Strong Opinions" の感想 - わが忘れなば(<―こっちの記事に詳しく書いてます! )

  • 「えー」とか「あー」が非常に多いですね。お歳のせいでしょうか? 

V.N. 違うよ。話が下手なのは昔からだ。僕の語彙は、精神の奥深くに潜んでいてそれを引き揚げて物理的な状態に定着させることができるのは紙の上だけなんだ。得意即妙の応答なんて僕には奇跡に見えるよ。これまで出版した本も一語一語何度も書き直したんだ。僕の場合、鉛筆の方が消しゴムより長持ちするんだ。
("Strong Opinions"、p.4)

 しかも、ナボコフは音楽に対してはぜんぜん感受性のない人物で、あるインタビューでは、「ぼくが社会に望むことはたった三つだ。死刑の禁止、拷問の禁止、音楽の禁止(コンサートホールでやる分には許すが)」とか答えていたり、『ナボコフの文学講義』(2013、河出文庫)で音楽は「文学や絵画よりも芸術の価値尺度上より原始的で、より動物的な形式に属するものである」なんて書いたりしている。

 ナボコフが、「聴覚的人間」ラッセルに対して「視覚的人間」であったかどうかは、「視覚的人間」という概念自体まあ適当なところもあるので、よく分からないが、ナボコフの小説にあらわれるイメージ喚起的な描写や 1962 年に行われた次の BBC のインタビューから判断して、そんなふうに言ってみてもいいのではないか。

 色。ぼくは画家に生まれついたんだ、と思う、―本当だよ! ―14 歳までは毎日絵を書くことに一日の大半を費やしていたからね。そのころは、画家になるつもりだった。でも、画家になるだけの才能はなかったんだと思う。でも、色彩に対する感覚、色彩に対する愛、これを失ったことはない。また、ぼくには文字の色を感じるという変わった才能があるんだ。色を聞くというんだ。たぶん、千人に一人くらいいるんじゃないかな。でも、心理学者たちの言うところによるとこどもにはみんなこの能力があるのにそんなことは―A は黒、B は茶色―無意味だと聞かされて育つのでその能力を失ってしまうのだそうだ。
("Strong Opinions"、p.17)

 でも、ラッセルとナボコフ、政治上の意見の相違の前に体質的にも合わなそうだ二人だったんだな。(ラッセルがナボコフについて何か言ったのかどうか知らないけど。ご存知の方がいたら御教授ください! )

 しかし、アラン・ウッドの記述を読むと意外なところで共通点めいたものもでてきそう。先に挙げたインタビューのなかでナボコフの「共感覚」に関するやり取りがあった。

 いわゆる共感覚というものをナボコフが持っていたらしいことは有名で、次の本にも、息子のドミートリー・ナボコフが一文を寄せている。(そこだけ、立ち読みしました。。)

共感覚―もっとも奇妙な知覚世界

共感覚―もっとも奇妙な知覚世界

 アラン・ウッドは、ラッセルについて音についての共感覚だったのでは? (ともとれる)という推測をしている。

ことによるとラッセルには、敏感な耳と微妙な調子をもつ話し声をもっているために、音をきいて、その中に高さとか、音色とか、音量などの余分の「次元」を感ずる能力があるのかもしれない。
(ウッド著、p.68)

 まあ、これは、ウッドの推測にすぎないようだけど、共感覚かどうかは日記(あるとして)や書簡を丹念に調べれば分かることもあるんじゃないかと思う。(もう、分かってるのかも!? )

 共感覚かどうかってことにも、共感覚じたいにも、実は正直、あんまり関心はないのだけれど、ラッセルとナボコフが政治的な意見だけでなく、創作態度や思考法まで対立している風なのは少しおもしろかった。

 ところで、ナボコフはケンブリッジ大学の出身だから、ラッセルやラッセルの友人の哲学者たちとニアミスしててもいいはず。でも、"Strong Opinions"でうかがいしれるナボコフのケンブリッジ大学の哲学者への態度は次のようにそっけないものだ。

  • ゼンブラの言語とウィットゲンシュタインの「私的言語」は、関連があるように思うのですが? 大学で哲学科との交流は? 

V.N. 全くない。彼の仕事については何も知らない。名前を知ったのも 50 年代にはいてからだよ。ケンブリッジではサッカーをしてロシア語で詩を書いていた。
("Strong Opinions"、p.70)