わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

Brandon Carter 「巨大数の一致と宇宙論における人間原理」(1)

 人間原理を提唱した Brandon Carter の論文、"Large Number Coincidences and the Anthropic Principle in Cosmology - Springer"(1974)の序章("introduction")の翻訳です。ロバート・H・ディッケ 「ディラックの宇宙論とマッハ原理」―「物理学者を作るのに炭素が必要だということはよく知られているのだ」 - わが忘れなばのシリーズというつもりです

巨大数の一致と宇宙論における人間原理
Brandon Carter
Dept. of Applied Mathematics and Theoretical Physics, University of Cambridge, U.K.

1. 序章

Wheeler 教授は、私が一度(1970年のプリンストンでの Clifford 記念会議において)披露したことがあって、 Hawking と Collins が言及したことのある(Astrophys. J. 180, 317, 1973)ある着想について、記録のために何かを残しておくことを私に提案した。これは、私が潜在的にはたいへん実りのあるものだと信じている一連の思想のことであるが、もう少し発展させる必要があると感じていたために今まで書き残すことはなかったのだ。(実は、いまでもそのように感じている。)しかし、この機会に乗じて開陳してしまうのも、この考えが基本的に「コペルニクス原理」への行き過ぎた服従への反応であるのだから、悪いことではないはずだ。

 コペルニクスは、私たちが宇宙の中で特権的な中心位置を占めているということを、いわれなく仮定してはならないという非常に健全な教訓を教えてくれた。不幸なことに、これを、われわれの状況がどんな意味でも特権的でないという主旨のもっと疑わしいドグマに拡張しようという、強い(必ずしも無意識的ではない)傾向が今日まで続いている。このドグマ(これの極端な形式からは、定常理論の根拠となる「完全宇宙原理」が導かれるのだが、)は、(a) 我々の存在には、特別な好都合な条件(温度や化学的な環境など)が必須であること (b) 宇宙は進化しており、決して局所的なスケールでは空間的に均質であることはないことを受け入れれば、明らかに根拠が薄弱であることは、 Dicke (Nature 192,440,1961) によって指摘された。

 私自身のこの種のことに関する興味は、Bondi (1959)の著書 Cosmology を読んだことから始まった。そこでは、よく知られた「巨大数の一致」がいくつもの奇妙な理論(通常受け入れられている物理の保存側を破るようなものも含まれていた)を導入することの正当化として使われていた。その中には、例えば Dirac と Jordan の「変化する G」の理論があった。私は今では正反対のテーゼに同意している。即ち、これらの一致は、奇妙な理論の証拠となるようなものではなく、「通常の」(ビッグバン理論のような)物理学と宇宙論の内にあるものであり、原理的に観測に先立って予測できるものだ、というものである。しかしながら、これらの予測は、われわれが観測できると期待されるものは、観測者としてのわれわれの存在を可能にする条件に制限されるという人間原理と呼びうるものを必要とする。(われわれの状況は必ずしも中心ではないが、必ずいくらかは特権的である。)

 Bondi の挙げた三つの独立した一致は、三つのクラスの理論的な予測を概観するのに便利である。
(1) 伝統的な類のもの-人間原理は使わない。
(2) 「弱い」人間原理のみを用いるもの。
そして、
(3) 拡張された(そのためにもっと疑わしい)「強い」人間原理の創設を必要とするもの。
これらの例を説明するにあたり、私は全ての物理量に対して、無次元の単位を使う。即ち、ニュートンの定数 G、光速 c、Dirac-Plank 定数 \hbar は1とする。

 次は、二章と三章(全五章)を訳す予定です。