Brandon Carter 「巨大数の一致と宇宙論における人間原理」(2) - わが忘れなばの続きです。
第四章 強い人間原理による予測
1961年の議論で Dicke が言及しなかった別の a priori に可能なことがある。即ち、もし宇宙が閉じていれば、現在の年齢 t は、既にほとんど全生涯 と等しいかもしれないというものだ。まったく一般的に、(3)の下では、明らかに、
、 (5)
が成り立たなくてはいけない。後者の場合、つまり、ケタが等しいという意味で、等号が成り立つ場合、(4)はもはや成立せず、(2)の代わりに別の一致 を得ることになる。観測によって検証されない(たとえ有限であったとしても、 は(5)によって得られる程度の小ささということはありそうもない)ということを別にしても、この後者の可能性は、もう一つの(2)とくらべて本質的にありそうもない、と考えられる。なぜなら、これは、宇宙におけるわれわれの位置をかなり厳しく制限しているだけでなく、宇宙それ自身の基本的なパラメータ(この場合は、寿命 )への制限を示唆しているからである。
しかしながら、不可避的な弱い予測 (5) にしても、基本的な宇宙論的なパラメータに対して、重要な制限を課している。単純なホットビッグバンモデルにおいては、二つの基本的な宇宙論的定数 、 を扱うのが便利である。これらは、黒体温度 、バリオン数(の平均二乗平方根) 、均一な空間のスカラー曲率 を用いて、
; 、 (6)
と定義できる。宇宙は全生涯において放射優勢であるわけではないと仮定すれば、(つまり、平均質量密度 への物質寄与 がある時点で放射寄与 を上回ると仮定すれば)そのとき全寿命 は
(7)
となろう。(Friedmann 方程式 より)ただし、が負でないときに限る。そうなってしまうと、寿命は無限大となる。よって(5)から
、 (8)
が得られる。[この状況は、 のとき必ず成り立つ。しかしながら、ならば、宇宙が常に放射優勢であるという可能性もある。その基準は、 であり、(7) の代わりに、 を得る。この場合、(8)を と置き換えることになる]
条件(8)は、宇宙は(ということは宇宙の基本的なパラメータは)その生涯のどこかで、観測者の創造を許すようなものでなくてはならないという「強い」人間原理(強調、訳者)に基づく予測の好例である。デカルトをもじって言えば、'cogito ergo mundus tails est'。(我思う、故に世界はこのようである)
この原理をさらに使うことで、銀河(これがなければ星の形成も、ということは生命も存在しない)は凝縮によって形成され、それ以外のところでは均質な背景の中での比較的小さい密度揺らぎから初まったという通常の仮説を受け入れたなら、 の下限を決めることができる。Lifshitzの先駆的な仕事(J.Phys.10.116,1946)以来、多くの研究によって、(1)密度の不規則性は、物質密度が優勢になり、温度 T が Rydberg イオン化エネルギー の 10 の数乗以下に落ちて、その結果放射圧による物質の分裂が可能になるまで成長できないことと(2)揺らぎは、その時代の K が負であっても、 の値に比べて非常に小さくなければ発達しないこと―さもなければ、揺らぎは宇宙全体と同じくらいの余剰運動エネルギー(Friedmann 方程式の 項として表される)になってしまい、再凝集の段階に到達することなく、発散してしまうだろうから―が証明されてきた。これによって a priori な限界である
、 (9)
が得られる。ただし、不等式の強さは、仮定された初期の揺らぎの大きさに依存している。
二つの限界(8)と(9)を組み合わせることで、(HawkingとCollins が言及した) Bondi の挙げた三つ目の「巨大数の一致」を導くことができる。三つ目の一致は、現時点での観測事実
、 (10)
である。これは、(2)によって、Eddington の有名な関係式
、 (11)
[では?、訳者注]と等価である。この式は、「観測可能な宇宙の粒子数」は重力結合定数の平方根の逆数に等しいと主張している。Friedmann 方程式によって、(10) と (11) はもっとずっと地味な条件と一致する。即ち、現在において、
、 (12)
である。これは、今度は、現在において成り立つ不等式
、 (13)
と等価である。(なぜなら、(2)によって )しかしながら、もし因子 が と比べて極端に大きくなければ、これは、 a priori な条件(8)と(9)から、直ちに得られる。(よって、(10)と(11)の導出が完成した)これは、大まかに言って、与えられた 、、 の下で普遍因子 が 1 よりも極めて大きくはないという要請と同値である。事実、この条件は十分に満たされている。なぜならば、(現時点の観点からすれば、(10) や (11) よりもっとずっと驚くべき基本的な一致によって、)因子 はかなり 1 に近いと分かっている。よって、
、 (14)
である。(正確な値は、「失われた」物質がどの程度あるのかという不確かさに依存している)
まとめると、 が(14)で与えられる値より非常に大きかった場合のみ、通常の理論に基づいて(10)と(11)がそうではないということが納得のいくものであったろう 。このことから、(10) と (11) が成り立つことは、 Dirac や Edinton の極めて普通でない理論を導入することを促す積極的な証拠とみなすことはできない、ということが分かる。
しかしながら、(Dicke の用いた)弱い人間原理のみを用いた場合は完全に物理的な説明になるが、他方、強い人間原理に基づいた予測は、完全に厳密なであっても、物理学者の観点からは、十分に満足のいくものではない、というのは真実だ。なぜなら、予測された関係を説明するより深い理論が見つかる可能性が残っているのだから。だから、人間原理的予測 (13) は、例えば、通常の重力理論を覆すとなるような枠組みの理論(c.f. Sciama: 1953, Monthly Notices Roy. Astron. Soc. 113, 34)の可能性(あるいはそれを求める探求)を排除するものではない。
ひぃ~、今回は分からないところが、多すぎで大変であった・・ 式(9)以降の三つ目のコインシデンスの導出は、あまり自信ないので、今後書き直したり、よく分からなかった点などを追記していきます。
次は、第五章(と末尾についている Carter と Icke との議論)を訳します。