わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

小田実『何でも見てやろう』からクレア・ゴルのエピソード

小田実『何でも見てやろう』より引用。

 戦後とみに威勢のあがらなくなった反動もあって、ヨーロッパ人は、一言にしていえば、かわいそうなほど、私のようなアカの他人にまでいささかソクインの情をもよおさしめるほどに、アメリカ、アメリカ人、アメリカの事物、その他アメリカに付随するもろもろの現象、要するにアメリカ的なもの一切をバカにする。(・・・)
 たとえば、「私はアメリカにいた」と一言いえば、「あそこにはお金以外の何ものもないでしょう」とたいていの人が同情してくれる。ずいぶんインテリの人でもそんなふうに言うのである。その口調は軽蔑と羨望の入り混じった複雑なものであった。
(・・・)
 これが一般庶民のアメリカ人に対する反応であろう。しかし、ものの判ったインテリだってあまり変わりはないのである。私は詩人イバン・ゴルの未亡人クレア・ゴルによく会った。クレア・ゴルは彼女自身詩人で小説家で、それに少しセンチメンタルではあるが、なかなかに感じのよいオバアチャマであったが、彼女はずっとアメリカに暮らしていたので、(・・・)アメリカ文学に博識で、アメリカの作家・詩人に知己も多いのであった。一夕、彼女とともに、パリ在住のメキシコの女流劇作家の家に招かれたことがある。
(・・・)
 さて、宴はてたのち、私はクレア・ゴルといっしょになった。(・・・)私は何気なく訊ねた。(・・・)あなたはアメリカの詩について、ほんとうのところはどう思っているのであるか、ことにフランスの詩と比較して。彼女は無下に答えた。判り切ったことをきくな、とでもいうふうに次のように言いきって、それから無造作に笑った。<>
 それは、やっぱり、私にとっては意外な答えであった。あれだけクレア・ゴルは熱情をこめて語り、賞賛のコトバさえそこにはあったのだから、私がバアチャマから予期したのは、まさか<>ではなかった。フランス人のフランス文化、ことに文学に対するたぶんにショービニスティックな熱情に悩まされていた矢先だったから、私としてもさっきのメキシコ人女流劇作家でのバアチャマの話を額面どおりに受け取るほど無邪気ではなかったが、それにしても<>くらいの答は予期していたのだろう。ほんとうに<>と思うか、私は念を押した。その通りだ、と言い、言ってからクレア・ゴルのバアチャマはこう付け加えた。「必要があれば、われわれはなんでも(原文傍点)読むのである」
(pp.231−233)

 中学の時に読んだこのエピソードがキョーレツな印象として残っていたので、J.W.シーザー『反米の系譜学』、内藤陽介『反米の世界史』を図書館で借りてきて、『反米の系譜学』から読み始めている次第。フィリップロジェ『アメリカという敵: フランス反米主義の系譜学』も読みたい。

 「戦後とみに威勢のあがらなくなった反動もあって、」とありますが、しかし、それだけだないみたいですね。ヨーロッパの思想家の反米意識は。

文芸批評家や哲学者、そしてポストモダン思想家を自称する連中から、今やアメリカを奪還すべき時である。彼らこそ、まさに『アメリカ』という言葉を、グロテスクで、淫猥で、怪物的で、無能で、矮小で、平板で、精彩を欠き、破壊的で、奇形で、無教養で、そして(つねに括弧つきの)『自由』ものを示す、一つのシンボルに転化して来たのである。
(・・・)
過去二○○年間以上にも遡れる潮流の中で、ヨーロッパの最も傑出した思想家のうちには、『アメリカ』という言葉をとらえて、単なる場所や国以上のものに仕立て上げた者もいた。彼らはこの言葉を、哲学上の概念や文学上の修辞以上に転化してきたのである。ドイツではヘーゲルから(シュペングラーとユンガーを経て)ハイデガーに至る人々が、フランスではビュフォンから(ド・メーストルとコジェーブを経て)ボードリヤールに至る人々が、新たなアメリカを創出してきた。
(J.W.シーザー『反米の系譜学』、原著1997、邦訳2010、p.I)