わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

ナボコフによるサルトル『嘔吐』(英訳)書評の感想-(V. ナボコフ, "Strong Opinions" から "SARTRE'S FIRST TRY")

 前の記事で、「ナボコフは、フロイトドストエフスキーは結構読んでそうだけど、サルトルは何読んで嫌いになったのかな? と思った。」と書いたが、"Strong Opinions"の後半のエッセイ編の二つ目の記事にナボコフの英訳版『嘔吐』書評が載っていた。「サルトルの初めての試み」("SARTRE'S FIRST TRY",1949)というタイトルだ。"Strong Opinions"自体、日本語訳がないので、たぶんこの書評は、日本未紹介だろう。中身は、誤訳指摘+内容の要約+作品評価といったもので、こんな感じ。

(ネット上では、ここ Sartre's First Try で原文を読めるようだ。ただし、"Strong Opinions"バージョンではなく、誤訳指摘4 を削除した初出のもの 2013/12/10追記)

Strong Opinions (Penguin Classics)

Strong Opinions (Penguin Classics)

サルトルの初めての試み

『嘔吐』ジャン=ポール・サルトル著 ロイド・アリグザンダー訳 238ページ ニューヨーク ニュー・ディレクションズ 1949

 サルトルの名前は、僕の理解では、カフェ哲学のファッションブランドとでもいったものを連想させる。さらにいわゆる「実存主義者」どもの相当部分は、「サルトル受け売り主義者」なので、このサルトルの最初の小説『嘔吐』のイングランド製の翻訳は、そこそこ成功するだろう。

 (お笑いならともかく、)何回も何回も間違って歯を抜き続ける歯医者などと言うもは、想像しがたい。でも、編集者や翻訳者たちは、この種のことをやってのける。スペースの都合でアリグザンダー氏の犯した不手際のうち以下のものだけを紹介しよう。

1. "s'est offert, avec ses economies, un jeune hommme"(お金で若い男を買った("has bought herself a young husband with her saving"))女性は、翻訳者氏によると「自分自身とお金を若い男に差し出した」("offered herself and her savings")そうだ。

2. "I'le l'air souffreteux et mauvais"(彼はみすぼらしくて意地が悪そうだ)という文中の形容詞に、アリグザンダー氏は困り果ててしまって、誰かにその部分を埋めてもらおうと空けて置いたが、誰も埋めてくれなかったので英語版では抜けができた。「彼は  だ。」

3. "ce pauvre Ghehenno"(フランスの作家)についての言及が捻じ曲げられて「キリスト......このゲヘナの貧しき男」になった。

4. 主人公の悪夢に出てくる foret de verges (男根の森)が、樺か何かに誤解されている。

 文学的な観点からすれば、そもそも『嘔吐』は訳す価値があったのかどうか疑問だ。ぱっと見では、張りつめているようで、ゆるゆるにたるんでいるこの種の小説を流行らせたのは、バルビュスやセリーヌといった二流作家どもだ。その背後にはドストエフスキーのうちの最悪の作品がぼんやりみえる。もっとさかのぼれば、通俗小説好きのロシア人が大好きな老ウージェーヌ・シューがいる。この本は、日記の体裁(「土曜日朝」とか「午前11時」とか-陰気な代物)をとっているが、書いているのは、ロカンタンとかいう人物で、極めてうそ臭い旅行を終えて、ノルマンディーのある町に住み歴史に関する研究を完成させようとしている。

 ロカンタンは、カフェと公共図書館を行ったりきたりしている。おしゃべりな同性愛者と遭遇したり、瞑想したり、日記を書いたりしている。最後に、前妻と長く退屈な話を交わすが、彼女は、今では日焼けしたコスモポリタンに囲われている。カフェの蓄音機から流れ出るアメリカの流行歌が異様に重視されている。「いつの日にか君は僕を思い出すだろう。」ロカンタンは、この歌のようにきびきび生き生きとなりたいと思っている。この歌のお陰で「ユダヤ人(作詞者)と黒人女(歌手)が実存の中で溺れ死ぬ」事から救われた。

 うそ臭い透視能力によって、彼は作曲家が髭剃り後鮮やかなブルックリン子で「真っ黒な眉毛」をして「指輪をはめて」いて、超高層ビルの21階で曲を作っている姿を幻視する。暑さがひどい。しかし、間もなく、トム(たぶん友達)が水筒を持って現れて彼らはしこたま酒(アリグサンダー氏の酔っ払いバージョンでは「グラスからこぼれそうなウィスキー」)を飲む。僕のつきとめたところでは、この歌は、実は、ソフィー・タッカーのもので作詞したのはカナダ人のシェルトン・ブルックスだ。

 この本全体の勘所は、ロカンタンが自分の「吐き気」の原因は、ばかげて混乱しているが、正に実在しているこの世界に圧迫されているからだと発見した時に訪れるひらめきにあるようだ。この小説にとって、不幸なことに、こういったことが単に心理的な次元で終わっている。ロカンタンの発見にしても、哀れなこの本のほかの部分だけでもなければ、もっと別のもの、唯我論的なものになったかもしれない。作家が自分の作った役立たずにくだらない哲学的な思いつきで苦しめようとするなら、この種の手品にはたっぷりの才能が必要なのだ。ロカンタン自身が、世界の存在を決心したことに、彼に、特別、文句をつけるものはいない。しかし、芸術作品として世界を成立させることに、サルトルは力及ばなかったのだ。

ちなみに、初出時は、四つ目の誤訳指摘を削られてしまったそうだ。

まずは、注釈と言い訳を。誤訳などのご指摘をくだされば幸いです。(ブログのコメント欄か、プロフィールに書いてあるメール・アドレス(fromambertozen[at]gmail.com)もしくは、twitter(kohaku_nanamori)に頂ければ、反応できます。)

 ロイド・アリグザンダーは、ニューベリー賞(ロバート・オブライエンの『フリスビー叔母さんとニムの家ねずむ』やル=グィンの『壊れた腕輪』などが取った賞)や全米図書賞児童文学部門を受賞した児童文学者。1927年のフィラデルフィア生まれだから、この翻訳を出した時はまだ20台はじめだったわけだ。最初に出版された小説は、"And Let Credit Go"(1955) 。初めて子供向けのファンタジーを書いたのは、"Time Cat"(1963)で、40台からファンタジー小説に専念するようになった。代表作は、5部作+別冊3冊の"The Chronicles of Prydain",1964-1968,1973(翻訳は、『プリデイン物語』、神宮輝夫訳、評論者)。ニューベリー賞は、5作目の"The High King"(『タラン・新しき王者』)が受賞している。その他に、"Westmark"3部作(1981-1984)や"Vesper Holly"6部作(1986-2005)がある。2007年に亡くなっている。(以上、英語版と日本語版の wikipedia のアリグザンダーに関する項目をもとにまとめた。)

 二文目のいわゆる「『実存主義者』どもの相当部分は、『サルトル受け売り主義者』なので、」の部分は、原文では

since for every so-called "existentialist" one finds quite a few "suctorialists"(if I may coin a polite term)

となっている。つまり、いわゆる「実存主義者」たちは実際には"suctorialists"(ナボコフの造語)とでも言うべきものだと皮肉を言っているのかなと解釈した。"suctorial"は、辞書を引くと「吸引(器官)の」とあるので、音でサルトルと掛けていると想像して上のように訳した。正直、余り(全然)自信はないので英語に詳しい人のご意見を伺いたいです。

どどいつ文庫さん(twitter id dobunko)から suctorialists=sucked realist では、ないかとご指摘をいただきました。本文の方は、取り急ぎ、打ち消し線だけ引いておきました。あとできちんと、訂正します。どどいつ文庫さん、ありがとうございます。)

 ナボコフの一つめの誤訳指摘に関してだが、僕の持っている白井浩司訳(1994年の改訳版、人文書院)では、次のようになっている。

たいそう美男の青年に、なけなしの貯金と共に身を任せた
(『嘔吐』白井浩二訳p21)

(追記:2012/12/08に、本屋で鈴木道彦訳の『嘔吐』(2010,人文書院)を見たら、ナボコフと同じ解釈の訳文になっていたことを確認した。

嘔吐 新訳

嘔吐 新訳

白井浩司訳は、どちらかというとアリグザンダー訳と同じ解釈をとっているので、もし、英訳(アリグザンダー訳)・日訳(白井浩司訳)ともに同じ誤訳を犯してしまったのだとすると、面白い現象だなあと思った。僕自身は、フランス語は全くできないので、自力で誤訳かどうか判断することはできないが、”鈴木道彦訳 『嘔吐』”で検索してみたら、鈴木道彦は、改訳版の白井浩司訳に誤訳が多いということを気にして新訳を出したという記述を見つけた。

http://liberation.blog.so-net.ne.jp/2011-04-09

)

 ちなみに、『嘔吐』の英語訳は、アリグザンダー訳(1949)が初めてのものだが、1956年に、イギリスのフランス文学者 Robert Baldick (1927–1972)による翻訳も出ているそうだ。現在刊行されている版のアリグザンダー訳『嘔吐』やBaldick訳の『嘔吐』でどのようになっているか、いつか確認してみたい。

アリグザンダー訳

Nausea (New Directions Paperbook)

Nausea (New Directions Paperbook)

Baldick訳

Nausea (Penguin Modern Classics)

Nausea (Penguin Modern Classics)

  一つ、よくわからなかったのは、アリグザンダー訳は、"The Diary of Antoine Roquentin" (John Lehmann, 1949)というタイトルで出版されたらしいことが wikipedia に書いてあること。ナボコフの書評では、タイトルも出版社も違う。イギリスで出た時は、"The Diary of Antoine Roquentin"のタイトルで、アメリカ版では、"nausea"だったということだろうか? ちなみに、John Lehmann は、イギリスの詩人で文人の John Lehmann (1907-1987) が1946年に設立した出版社だということだ。

 ナボコフが、「ぱっと見では、張りつめているようで、ゆるゆるにたるんでいるこの種の小説」の系譜としてあげているバルビュス、セリーヌ、ドストエフスキー(の中の最悪の作品)、ウージェーヌ・シューの中で最後の名前は今回初耳だった。ウージェーヌ・シュー(1804-1857)は、19世紀のフランスの作家で、代表作は、『パリの秘密』と言う作品らしい。『さまよえるユダヤ人』とともに日本語訳(抄訳らしい)もあるようだ。

さまよえるユダヤ人〈上巻〉 (角川文庫)

さまよえるユダヤ人〈上巻〉 (角川文庫)

小倉孝誠『「パリの秘密」の社会史―ウージェーヌ・シューと新聞小説の時代』(新曜社,2004)は、ウージェーヌ・シューの研究書。これは、読んでみたい! 内容紹介を Amazon から引用。

『パリの秘密』という小説をご存知ですか。19世紀フランスの社会派大衆小説の先駆者ウージェーヌ・シューの一世を風靡した新聞小説です。当時、その人気はバルザックユゴーを嫉妬させ、トルストイドストエフスキーにも大きな影響を与えたといいます。かつて邦訳(部分訳)もされましたが、いまでは本国はもとより日本でもまったく入手困難です。本書は、この名のみ高くほとんど読まれることのない小説の内容を興味深い挿絵とともに紹介し、その背景となるメディア状況などを絡ませながら、シューが生きた時代と思想を浮き彫りにします。

『パリの秘密』の社会史―ウージェーヌ・シューと新聞小説の時代

『パリの秘密』の社会史―ウージェーヌ・シューと新聞小説の時代

 カフェで流れているラグタイムについては、白井浩二訳では下のようになっている。

Some of these days
You'll miss me honey

いつか近いうちに 可愛いひとよ きみは
ぼくがいないので さびしがることだろう
(『嘔吐』白井浩司訳pp38-39)

この歌についてのナボコフの調査は正しいようだ。白井浩司訳からラ・プレイヤード版の注の訳を引用すると、

「歌詞とメロディは一九一0年に黒人の Shelton Brooks (一八八六年生)によって作られ、ほとんどすぐに白人の女歌手、芸名 Sophie Tucher(一八八五年ごろ~一九六六年)によって唱われ大評判となり、レコードに吹き込まれた。彼女はユダヤ系ロシア人で、一九四十五年に出版した自叙伝の標題は『いつか近いうちに』だった。サルトルが作詞家をユダヤ人としたのは、アメリカのジャズ界がユダヤ人によって支配されていると信じていたからであり、歌い手を黒人女と見誤ったのは、歌い手が顔を黒く塗って黒人女のふりをすることが流行であるのを知らなかったからである。サルトルが引用している歌詞は原詞と少し違うが、レコーディングされたものの一つである。」
(『嘔吐』白井浩二訳pp38-39)

ということだそうだ。ソフィー・タッカーの生年は、英語版の wikipedia によれば、1986年の1月13日になっている。これによると、「20世紀前半において、アメリカで最も人気の高かったエンターティナーの1人」だそうだ。"some of these days"は、youtubeにいくつか映像が掲載されているので、1911年のものを貼り付けておいた。

ソフィー・タッカーで検索して見つけた http://www.h4.dion.ne.jp/~urtcs/us_Sophie.html このサイトによると、

彼女はロシアで生まれましたが、母親はアメリカにいる同じユダヤ人の夫と合流するために移民となりました。彼女の生まれたときの名前はソフィア・カリシ( Sophia Kalish)ですが、一家はまもなく、苗字をアブザ(Abuza)にし、コネティカット(Connecticut)州に移り、そこでソフィーは家族でやっていたレストランで働きながら大きくなりました。
(中略)

彼女はルイス・タック(Louis Tuck)と1903年に結婚し、1人の息子、バート(Bert)をもうけましたが、すぐに離婚しています。バートと彼女の両親を残して、1906年に、彼女はニューヨーク(New York)へ行き、名前をタッカー(Tucker)に変え、自分の生活のために、アマチュアのショーで歌い始めました。

彼女は、ある1人に言わせると「大柄で見かけがよくない」ので、そうしないと受け入れられないと思った、ショーのマネジャ達から、顔を黒く塗るように求められました。彼女は1908年にバーレスク・ショーに入り、ある夜に、メークアップも旅行カバンもなしでいたことに気がついたとき、そのまま黒い顔でなく続け、聴衆にも受けて、それ以降、黒い顔はしなくなりました。
(中略)
タッカーのステージのイメージは、彼女の、「太った女の子」だけどユーモラスな思わせぶり、を強調したものでした。彼女は、「やせたいとは思わない(I Don't Want to Be Thin)」、「誰も太った女の子は愛せない、でも太った女の子は愛する(Nobody Loves a Fat Girl, But Oh How a Fat Girl Can Love)」のような曲を歌っていました。1911年に彼女の代表曲となる「この頃(Some of These Days)」を歌いました。

ということだ。この文章を読んで、ソフィー・タッカーに興味を持ってしまった。

ソフィー・タッカーの自伝"Some of These Days"

Some Of These Days The Autobiography Of Sophie Tucker

Some Of These Days The Autobiography Of Sophie Tucker

 シェルトン・ブルックスの没年は、1975年。カナダ出身のジャズの作詞家・作曲家で、代表作は、"Some of These days"の他に"At the Darktown Strutters' Ball","I Wonder Where My Easy Rider's Gone", "Every Day", "All Night Long", "Somewhere in France", "Swing That Thing", "That Man of Mine", "There'll Come A Time", and "Walkin' the Dog"があるそうだ。

 以上の注釈についても、間違いなどありましたら、お教え頂ければ幸いです。

 ナボコフの『嘔吐』評価は、なかなかに辛辣な内容だが、文章自体は、(皮肉のこもった)ユーモラスな表現によって、これだけ読んでも面白いものになっているのはさすが。特に「何回も何回も間違って歯を抜き続ける歯医者」という表現は笑ってしまった。そんな人物が出てくるコントが本当にありそう! 『プニン』のタイトルロールの大学教授が、抜歯して入れ歯を作ってもらうシーンを思い出した。(『プニン』は、farce っぽい側面もあるとおもうけど、この歯医者はそんなとんでもない人物ではなかったようで、プニンは入れ歯の出来に大満足していた。)このシーンでは、抜歯と新しい歯が、プニンにとってのロシアからの亡命と新天地アメリカを象徴していた。

 また、誤訳指摘を見ても、ナボコフ、『嘔吐』の原書を読み込んでるな、というのも分かった。(前回の記事で取り上げたインタビューにもあるように、ナボコフは5歳以来、ロシア語、英語、フランス語のトリリンガル。)

 ところで、本題のナボコフの『嘔吐』批判だが、その肝は、ロカンタンの苦悩と発見が、「単に心理的な次元で終わっている」("all this remains on purely mental level")と判断したことだろう。そして、そうなってしまったのは、「哀れなこの本のほかの部分」のせいといっている。つまり、「芸術作品として」ひとつの世界を成立させることができていないというのがサルトルへの批判の焦点だ。まあ、要は、小説としてへたくそだと言うことだろう。前回紹介のインタビューで「政治小説と社会的な目的をもった小説ほど僕を退屈させるものはない。」と言っているのも、そのような小説たちが、芸術作品としてひつつの世界を成立させるよりも、自分たちの意見の広報手段として小説形式を使っているのが我慢できないと言うことだろう。

 『嘔吐』がそのような小説かどうかはともかくとして、こういう種類の批判ならどんな小説でも受ける可能性はあるし、ナボコフが芸術としての小説にとりわけ厳しいだろうということも想像できる。(『ナボコフーウィルソン往復書簡集』では、ヘンリー・ジェイムズの描写がナボコフの厳しい小説観の餌食になっていた。)この場合、批評の妥当性は、どれだけ具体的かつ説得的に小説としての欠点を批判できるか、に担保されるだろう。

 しかし、誤訳指摘は詳細だが、サルトルの小説技術へも批判は、この書評においては、(ジェイムズへの批判と違って、)あまり丁寧ではない。(まあ、短い批評なので、そこまで要求できるはずもないが、)そこは、残念なところだ。

 近いうちに、『嘔吐』をきちんと読みなおして、ナボコフの批判が当たっているか自分の判断を下してみたい。