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わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

「ポジティブな性格破綻者」の肖像-倉田啓明『倉田啓明橘作集 稚児殺し』、「誘惑女神」、松本克平『私の古本大学』(1)

「本についての本」が好きだ。その中でも古書に関する本、さらに言えば、好事家が、珍しい古本を漁って発見した過去の埋もれた人物の事績を徐々に発掘していく過程をリアルタイムで伝えてくれるタイプの作品は、ゴシップ的な楽しみやマイナー嗜好を満足させてくれるし、埋もれた才能への共感や同情、憧れを感じさせてくれる事もあるので、特に面白いと思う。大学の学部生のころに、横田順彌が「SF マガジン」誌に連載していた明治・大正の埋もれた SF (や SF とみなせる作品)を紹介するエッセイを楽しく読んだ。(最近、単行本にまとめられた。『近代日本奇想小説史 明治篇』(ピラールプレス、2011)。ちょっと高いので( 12,600 円。。。)まだ読んでないけど。愛蔵したいタイプの本なので、図書館で借りるよりいつか手に入れたい。)

近代日本奇想小説史 明治篇

近代日本奇想小説史 明治篇


近代日本奇想小説史 入門篇

近代日本奇想小説史 入門篇

 松本克平『私の古本大学』(青英舎発行、星雲社発売、1985 年)の第7章も倉田啓明(本名、倉田潔)という 1910 年代から 1930 年代(明治の末から大正・昭和初期)にかけてにかけて活動した忘れられた作家の伝記と作品を探求した、このタイプの作品だ。この本を面白く読んだので、松本著に沿って倉田啓明について紹介してみたい。

私の古本大学―新劇人の読書彷徨 Field note book (1981年)

私の古本大学―新劇人の読書彷徨 Field note book (1981年)

 著者の松本克平は、俳優兼新劇研究家だそうだが、この本の巻末著者略歴以上のことを僕は知らない。

松本克平 (まつもと・かっぺい) 本名赤沢義巳。一九〇六年長野県松本生まれ。旧制松本中学卒業。早大中退。初舞台は29年「吼えろ支那」。新協劇団では「どん底」の男爵で注目を浴びる。48年俳優座に入る。「桜の園」のガーエフ、「ワーニャ伯父」のセレブリャーコフ、「有福詩人」の仁斎で好評博す。主な著書には『日本新劇史―新劇貧乏物語』(読売文学賞受賞)『日本社会主義演劇史―明治大正篇』がある。

(『私の古本大学』巻末)

松本克平が、倉田啓明に興味を持ったのは彼が新劇研究の途中「全国水平社運動に歩調を合わせた演劇水平社連盟なるものが創立され、大正十三年五月、京都において倉田啓明訳によるドイツ表現主義作家エルンスト・トルラー作の「群衆人間」を上演するという創立宣言書」(『私の古本大学』)を見つけたことにはじまった。最初、彼は啓明を急進的な左派の大学生ではないかと考えていたが、13 年前の「中央公論」明治四十五年三月号に小説「春雨の寮」を発表していたことや長谷川幸延、徳田純宏、葭間恵文、高橋邦太郎等に取材して次のような調査結果を得た。

倉田は三田の文科出で若くて文才のある作家であったが放蕩のため金に窮し谷崎潤一郎の偽作をして稿料を詐取したために詐欺罪に問われ、背徳の作家として文壇を失墜、大正末期大阪に現れ、千日前や楽天地の大衆劇の作家になり「国精劇」(栗島狭衣、深沢恒造、河部五郎ら)では別格な作者であり達者な作家という評判であった。また彼は帝劇専属の女形の石垣や三郎(本名山崎俊夫)と親交があった。(中略)倉田は背中(強調引用者)に入れ墨をしている作家として有名であった。

『私の古本大学』

 啓明の谷崎潤一郎偽作事件については、小谷野敦による比較的最近の谷崎潤一郎の伝記にも簡潔な説明がある。

この十二月(大正五年、引用者注)、倉田啓明という者が、谷崎の戯曲と称して「誘惑女神」を中外情勢研究社に持ち込み、原稿料を詐取した。ほかにも坪内逍遥の偽作も行っており、十七日、倉田逮捕の報が新聞に出た。しかしこの事件は忘れられ、一九八五年九月、谷崎の未発表作品「誘惑女神」が発見されたという新聞記事が出て、水上勉らが谷崎作として評したが、八八年、当時東大院生だった細江光が、偽作であることを明らかにした。

小谷野敦谷崎潤一郎伝―堂々たる人生』中央公論新社、2006 年)

谷崎潤一郎伝―堂々たる人生

谷崎潤一郎伝―堂々たる人生

啓明の作品は、『倉田啓明橘作集 稚児殺し』というタイトルで、金沢の出版社亀鳴屋から刊行されているが、この本に収録されている西村賢太の解説「異端者の悲み」(谷崎の自伝的中編小説と同じタイトル! 因みに、この文章が僕が初めて西村賢太の文章を読んだ機会だった。)に基づいて少し補足すると、「誘惑女神」は 1985 年の新聞記事のあと週刊朝日1985年9月13日号と中央公論同年 10 月号に、谷崎の作品として掲載された。週刊朝日の記事を図書館でコピーして来たが、守屋多々志の絵と秦恒平による注を付した 4 段組み 7 ページ(原稿用紙 20 枚程度)の作品だ。作者名は勿論、谷崎潤一郎になっている。この作品の真贋について秦恒平は、次のように書いている。

なお原稿の文字は、「改稿」以前がやや粗放に細く明るく、「改稿」時のものは速筆で書体は練れ、意気込みが感じられる。いくらか間隔があったように思う。自筆と読めるが、署名の「谷崎潤一郎」などの書体は珍しい。もっとも作品自体が手の込んだ、かつ紛れもない大正期の谷崎作品になっている。偽作の疑いは薄いと思う。

最終的に真筆であると判断してしまったが、書体などに疑いを抱いてはいたともとれる文章だ。「異端者の悲み」に引用されている朝日新聞 1985 年 6 月 16 日付夕刊によると、啓明は芥川龍之介を騙って「魔神結縄」という作品を出版社に売り付けたり、北原白秋山崎俊夫をかたり、坪内逍遥の紹介状を偽造したりもしていたらしい(1916 年 12 月 13 日付の東京日日新聞)。後で「誘惑女神」の内容を紹介するが、「魔神結縄」という題名は「誘惑女神」と同じテーマの作品であるような気がする。もしかするとまったく同じものを別名義で売り付けようとしたのかもしれない。また、啓明は事件以前、まだ有望な新進作家であったころ北原白秋の創刊した「朱欒」や白秋の弟の創刊した「ARS」に作品を発表しているし、山崎俊夫とは友人同士であり、事件が事実なら関わりのある人や友人への裏切り行為という意味もあったかもしれない。

 さて、秦恒平が「紛れもない大正期の谷崎作品」といった「誘惑女神」は、実際に作品を読んでみると少なくとも大傑作ではないと思うが、官能的な描写や快楽主義的な思想を語る登場人物、日本古代に材を取っているところなどちょっと谷崎らしいかなという気もする。といってもちょっとどぎついというか、下品な感じもするしとりちらっかている感もある。ともあれ、今後作品集などに収録される可能性も、まあ、あんまりないだろうと思うので少し詳しく紹介してみようと思う。

 まずト書きに従って登場人物と時代背景を説明しよう。

【登場人物】
葛城の女神
鞍部鳥仏師(くらつくりのとりぶっし)
法堤郎媛(ほていのいらつめ)
百済野の少女垣衣(しのぶぐさ)
牛飼の赤顔(しゃくがん)
【時代】
推古時代

舞台は、「葛城山の高峰の直下に当たる深い渓谷の一部」である。ト書きを引用すると

左右の巌の一角に櫛羅滝が、最早ここでは多くの小瀑布を集めて太くなり、水量を増して、左方一体に紗漫として蒼い水を湛えた湖水へ落ち込み、其処から舞台の前方へ漸次低く湾曲した大河の源となつて、幾条かの渓流がとうとうとして貫流している。

葛城の女神は、「結縄せられたまま」「鋭く断り貫かれたやうな巌と巌の狭間に身躯を挟まれて、おどろに乱れ絡み鬩ぎ合うている恐ろしい蛇の髪を獅子の鬣のやうに振って、野獣の如くしんぎんしている。その壮麗な衣装も破れ千断れて殆ど半身は裸形の、陰惨な姿である。」
一方で、「鳥仏師はと見ると、渓流の中の円石に身をもたせかけて死んだ者の如くに眠っているが、大した傷もなかったようすである。」

 鳥仏師は、「人間生まれながらの罪業と悔恨を洗い浄め」ようと山の中で修業をし、「長の月日麓の沼畔で炎天に晒され、雨露に打たれ、蹈鞴場の火に焼かれ、鞴のいきふ気に吹かれてやうやうの念で」大鐘をふき、山頂に引き上げたが、女神の呪いによって大鐘は湖に落下し、それどころか「女神の誘惑に会ふて五体に疫病のやうな毒気を吹きこめられ」都へ戻るに戻れない状態にされてしまったらしい。葛城の女神が結縄されているのが鳥仏師によるのかは、はっきり分からない。

 戯曲は、葛城の女神の独白から始まる。

葛城の神・・・・・・無念や、無念や、無念や、無念や、・・・・・・わが希望も信念も、永劫不断の神力も一切空になりはてたは、塵埃ほどの知恵をば誇る彼等人間輩の呪ひの力ぢゃ。・・・・・・おのれ、いまに見い。たとひ金剛不壊の法力があらうとて何恐ろしいものか。・・・・・・春秋を知らぬ蝉のやうな、力のない山守部の神々をこづきまわし、こき使うて、やうやう半築きあげた、あの久米の岩橋を、天火の炎で焼き落し、再び葛城の山深みへ、人の子の入れんやうにして呉れうぞ。・・・・・・

そこへ、蘇我馬子の娘、法堤郎媛が百済野の少女垣衣を連れて、牛飼の赤顔の案内で登場してくる。彼女は、ト書きによると、「鳥仏師に恋慕してその行方を尋ねに来た」らしい。さらには、

彼女はひと度は 宮の人となつたが、寵衰えてより、放逸な官能に悩んで、烈しい淫蕩な情熱の限りを尽くす、古代印度邪宗門の儀式を自ら行ふて、倒錯した肉欲の神秘なもの狂ほしい饗宴に身を委ねているのである。

そうだ。倒れている鳥仏師を見つけて、助け起こすと、彼女はかつての恋人に苦行をやめて自分と一緒に都へ戻ってくれるように懇願する。

法堤郎媛 もう、もうその苦行とやらはやめてたもれ。淫れ女に接吻しながら神に祈祷をささげてこそ、真の苦行じゃ。精進じゃ。......(鳥仏師の顔を恍惚と眺めて)なあ、そなたのやうなみめ美しい男が、なんぼ煩悩の絆を滅尽しようとしやつても、難行苦行に身を砕いて神人にならうとしやつても、持つて生まれたそなたの肉体の美しさが、許してはくれぬぞや。女子にしても同じことぢや。醜女石女ならさとられもせう。忘れられもせう。(自分の姿を見比べて)もしも容貌優れたものが優婆夷にでもなつて見やれ、その応報は悔ぢや。歎きぢや。......それぢゃによつて、ちつとも早う妾ともども都へかえりやいなう。......な、これ。......な、......

鳥仏師は、最初は「釈迦むに世尊の御罰」や「人の誹世の罵詈」を怖れて、誘惑を退けるが、法堤郎媛の言葉に心を迷わせる。そこに法堤郎媛は自分が妊娠していることを告げる。

法堤郎媛 さあ、濁世を指して行こうぞえ。それにな......わらははただの体ではないぞや。

鳥仏師 (愕然として)ええ。そんなら、御媛は。......

法堤郎媛 おお。......わしの生命の奥で、微かな声がわらはを読んでゐるやうぢや。......(鳥仏師の手をとり懐中へ差し入れて、胎児の動くのを感じるごとに、独りいれしさうに、ほほ笑みながら)動いてゐるぞや。動いてゐるぞや。......(鳥仏師の手を振り棄て、胸を抱へ胎児に語るやうに)わらはの血でそなたを養ひ、わらはの心で、そなたの心を造るのぢや。......新しい生命に酔ふたわらはは、受胎の悩みを忍びながらも、そなたを育てるのぢや。......力の夢、美の夢、。。。。。。わらははうれしいぞや。わしはうれしいぞや。

すると、鳥仏師の態度は一変。

鳥仏師 (五体脳乱して)ああ、そのおん胎に宿つた嬰児は、真人間の胤ではないわい。獣の胤ぢゃ。魔神の胤ぢゃ。呪詛の胤ぢゃ。

とか

鳥仏師 むむ、さては御媛には血に餓えた豹のやうに、鋭い牙を鳴らしてわしの肉を苛まうとし給ふのぢやなう。

と身勝手なことを言い出す。すると法堤郎媛は、

法堤郎媛 その白々しい言葉わいなう。そなたこそ女人大衆の美を食ふ獣ぢゃ。......そなたは名も知らぬ果実のやうにふさふさとした、わらはの乳房を弄んで白金の針をば刺そうとしたのを忘れやつたか。氷のやうな月の照る夜、そなたはわらはをば、「やまとにはむらやまあれどとりよろふ」と歌われた天の香具山の薬草園に伴ふて、茉莉花の匂ふ大理石のやうな、わらはの腕に抱かれたのを忘れやつたか。またそなたは黒曜石の振るやうな暗い夜、行けども尽きぬ小墾田の宮の廻廊で、  の糸が断れていしたたみの上に落ちたとき、わらはの鳥羽玉の黒髪を抜いて、つむいだのを忘れやつたか。またそればかりか斑鳩に宮で舞楽の催うしの日わらはは夢幻の衣をうつやうな舞を舞ひ、舞ひ疲れて倒れたとき、そなたは象牙の刀で、珊瑚の幹のやうなわらはの肌を傷つけて流れる血汐を吸ふたのを忘れやつたか。......憎や、憎や、憎や、......鬼め、鬼め、鬼め、......
(強調、引用者)

と鳥仏師に恨みをぶつける。鳥仏師の旧悪の内容が、啓明らしい。この後、葛城の女神の独白が始まり、鳥仏師を誘惑にかかる。

葛城の女神 おお、虹のやうな天の諸琴は何処へ往つた。迦具士の神は何処へ往つた。天駈ける隕石は何処へ往つた。大山氏の神は何処へ往つた。......晶光七天よりよみがへつて、大和の国原に生きとし生ける人間の族も、法も、掛想も、学芸も、淪びかかつた無能無力の道念も打ちこぼつてしまうてくれい。この葛城の山陰に、巣を食ふ法起菩薩や孔雀明王のずしも像も打ち砕いてしまうてくれい。......世界に実在を誇り得るものは、たつた美しいものばかりぢゃ。美しいものを捨てて、「真」もない。「善」もない。「神」もない。美しければこそ「真」なのもぢや。「善」なのものぢや。「至上」なものぢや。......ああ、世の美しいものはみなよみがへつてくれ。妾はやんがて明けゆく曙の光の海に、現身を浸し溺らせ、さながら死なぬもののやうに生き、現在の刹那はさながら天つ世の生日足日の無料劫、生身のままに焔となり、不壊の耀き、厳の光で、あいつ等の世をほろぼしてくれう。
(中略)
葛城の女神 たはけめ。たとひその身にめぐるあるだけの血を流し肉を割き、骨髄の膏を絞り出いて叫んでも、情知らずの酷たらしい自然はな、永劫にお主を顧みもせんわ。......唯、お主が創造主の前に額づくことを止めて、彼奴の造つた万物を破壊し、「正義」「進化」「真理」「義務」「自由」、或は「神性」「人道」「自然法則」、また「天才」「英雄」「超人」など、ありとあらゆる異形のものを拝まず、一切の「秘経」と「偶像」とを焚き捨て「信仰」を擲ち、悪魔に与して盟を結び、女人の胎をきはいし、恋しては産み、憎んでは殺し、宴の廊に打ち続く、快楽の丹の扉を訪れたなら、お主は常世の神秘、人の子の運命を知ることが能きるのぢや。......
 うら若いものには、女人の産んだ子は御供の牡牛よりも心に適うのぢや。お主には女人の胎を溢れて漲る、堪えがたい思ひが分からんか。女人の胎に輝く神秘の悦び、戦きが解せんか。新しい肉と心の生命を併らせる胎内のよどみが聞えんか。.....妾は......妾は、その愛の花瓶を、お主の肉体の上に、お主の心の上に、無心の勢力万物の種を、神の祭壇に献げるやうに、与えてやろう。......種こそは聖なるものじや。凡てのものぢや。「力」ぢや。「光」ぢや。「愛」ぢや。「神」じや。......神のみずしの胎をほめたたへたがよいわ。......


すでに、葛城の女神の誘惑におちかかっていたらしい鳥仏師のは、あっさりと降参してしまう。

鳥仏師 魔神めが......どうとも自由にしてくれッ......
(中略)
葛城の女神 おほほほ......おほほほ......聖羅よ。聖羅よ。聖羅よ。......お主の聖羅は何処ぢや。来つて女神に受胎せよ。妾が胎は炎熱に燃える砂漠のやうぢや。

葛城の女神の最後のセリフに出てくる「聖羅」という語について、秦恒平は、「ルビを振れば『マラ』または『タネ』以外の意味には取れない。露骨な刺激を避け、美しい文字をあてたものか。」と注記している。
 以上が、「誘惑女神」概要だ。

 啓明は、どうして偽作による詐欺という犯罪行為に手を染めてしまったのか? 放蕩によって身持ちを崩したからという説明を啓明の同時代人の言葉として、松本著から引用したが、実は松本はそれ以上の説明を啓明の作品履歴と生活史から推理している。

 次回、啓明が自分の名前で発表した偽作事件以前の作品を紹介し、松本の推理についても紹介したい。