わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

多様性か業績か-科学における「キャンセルカルチャー論争」(3)

以前、ウクライナ出身でアメリカで活動している理論化学の研究者 A. クリロフの「科学を政治化する危機」と言うオピニオンに端を発する 2021 年から 2022 年にかけての論争について2回に及んで紹介した。

科学における「キャンセルカルチャー」論争 - わが忘れなば

「科学と政治が不可分なら、我々はただそのことを受け入れなければいけないのか、それとも積極的に政治は科学に介入すべきなのか」-「キャンセルカルチャー」論争続編 - わが忘れなば

簡単にまとめると、最近の科学界や大学への"左派イデオロギー"の侵食が「キャンセルカルチャー」を招いていると憂うるクリロフのエッセイが非常な注目と共感(学術誌の記事に対して 10 万超の view!)を集めたことに対して、サイエンスライターの P. ボールや理論化学の研究者である J. ハーバート(と共著者たち)が反発し、科学を政治から切り離すことができるかのように語ることの危うさや「キャンセルカルチャー」なる語彙の胡乱さに対して警鐘を鳴らした、と言うものだ。

この間に、このイデオロギーと科学をめぐる論争に新たな展開があったのでしつこく紹介したい。

まずは、ハーバートが2023年2月に単独でこの論争というかそれを含む最近の潮流にに対して、総決算的な長編論文を発表した。*1「大学における表現の自由なのか、それとも右翼の恨み節なのか? "Academic free speech or right-wing grievance?"」と題された論文は、なんと参照文献が 700 超にも及ぶ一大巨編だ。

論調としては、既発の共著論文と同工の部分も多いのだが、目につくのはアカデミアにおける多様性への攻撃の背景には白人至上主義(人種差別)・女性差別・トランスフォビアの三つの要素があると批判している点と業績主義(meritcracy)の欺瞞をついているところであると考える。

この少し後 4月末日に、クリロフを責任著者とする著名な科学者・言論人 29 名が、「科学における業績の擁護 In Defence of Merit in Science」という論文を発表した*2。(以下、「業績論文」)この論文が発表された雑誌自体が、すでに話題含みで、Journal of Contraversial Ideas という他では出せない物議をかもしかねないアイデアを発表する場所を設けましょうというコンセプトでピーター・シンガーを含む哲学者が運営している雑誌(第3号)だ。

merit や meritocracy という語句は、「能力」、「能力主義」という訳語が選ばれることが多いように思うが、マイケル・サンデル『実力も運のうち』の本田由紀の解説によると、「功績」という訳語が適切だそうだ。ここでは、日本語の学術の世界では、「功績」に当てはまる言葉として「業績」という語がよく使われると思うので、「業績」にした。

この雑誌、過去の号にはデイヴィッド・ベネターなどの有名な人物も投稿していた。パッと目次を見た印象としては、ジェンダーに関するものが多く、他にも科学の道徳化を批判する論文など確かに物議をかもしそうな感じだ。ベネターは、ウクライナ侵攻で男性のみが出国を禁じられるのは、男性差別であるという op-ed を、他のメディアで掲載拒否されてここに出したようだ。雑誌のコンセプトページを見たら、雑誌の名前は、controverial だけど、ここの議論は unpolemical だと書かれていた。ここでいうポレミックって、「為にする議論」みたいなニュアンスかね? (JCI 誌の意義というかカラーについては、id:DavitRice さんの記事にも言及がある。*3

そして今回の「業績論文」だが、著者グループの内訳がなかなかの壮観である。まず、D. Shechtman と A. Warshel は、ノーベル化学賞の受賞者。さらに、統計的因果推論で有名な J. パールの名前もある。ここら辺は、学問の世界におけるスーパービッグネームなわけだが、シカゴ大の D. アボットは、もう少し違う理由で有名なようだ。アボットは、地球惑星科学の研究者だが、その発言をめぐって抗議がおき MIT での招待レクチャーが中止になるという事件が起きたことがある。これは、ハーバードの前述の単著論文でもいわゆる「キャンセルカルチャー」とされる事件の例として挙がっていた。さらに「不満研究」事件という偽論文で学術誌の編集を騙せるか試すというイタズラを『「社会正義」はいつも正しい』の著者たちと企画した P. ボゴシアンも著者に入っている。J. A. Coyne は、進化生物学者で新無神論の論客。おそれを知らない活発な議論提起をブログや著作で行っている。スーパービッグネームと剣呑な書き手や論客の同舟した論文だ。その他の著者たちについても簡単なバックグラウンドの紹介が論文の supplemet に載っている。(上記のように分野の多様性は相当だが、なんとなく理論化学が多めなのは、クリロフの人脈で著者を募ったからかもしれないと思った)

ちなみに、Coyne の著作では、『進化のなぜを解明する』という邦訳がある。また、「キャンセルカルチャー」関連では、インタビュー記事が日本語訳*4されていて、それに関する春日匠さんの一連の批判的な投稿*5がある。

今回は、時系列は前後するが、まずは「業績論文」の内容を紹介したのちに、これへのメディアや言論人の反応をまとめた上で、ハーバートの論文を紹介してみたい。

「業績論文」の趣旨を一言で要約すれば、多様性を重視するイデオロギーがアカデミアを支配しているために、科学の健全性が脅かされている、これを打破するためには科学の中核的な価値評価基準として「業績」を採用しなければならないということだ。さらにいうと、アカデミアを支配しているイデオロギーとは、「ポストモダニズム(postmordenism)」と「批判理論(critical theory)」であり、科学の健全性とは、R. マートンの言うような科学者集団の持つエートス、いわゆる CUDOS に担保されているものなのに、彼らの言う「ポストモダニズム」と「批判理論」は、客観的な真実の存在を否定し、CUDOSを攻撃することで、科学を危うくしている。CUDOS については、過去の記事でも言及したが、共有性(科学的知識は公共善である)、普遍性(科学的な結果の精査には科学者本人の人種や性別などが影響してはいけない)、利害の超越(科学者は個人的な利益のために研究を行うのではなく真理の追求のために行う)、系統的懐疑主義(結果が受け入れられる前に検証されなくてはならない)のことを言う。

CUDOS への言及は、クリロフの2021年の論文(オピニオン記事)の時からあったのだが、その際は wikipedia を出典にして言及していたのをボールに突っ込まれていたが、今回の論文では、マートンの『社会理論と社会構造』に言及している。

そして、「ポストモダン」や「批判理論」による学術や科学教育への攻撃とは、例えば男性や白人などマジョリティとされる集団が就職で不利になったり、脱植民地主義と称して薬学部で非ヨーロッパ由来の標準的でない民間医学のようなものがカリキュラムに組み込まれたりすることを指している。また、Science や Nature などの主要な学術誌がこれらのイデオロギーに侵食された特集を次々に組んで、「科学は植民地主義だ」とか「科学は人種差別だ」とか「業績ベースの評価ではなく、アイデンティティベースの評価を導入せよ」とか間違った方向に科学を導いていると批判する。著者たちに言わせれば、植民地主義だとか人種差別だとかはほとんど解決した過去の事柄であり、今更ポリシーとして科学に介入しようという筋合いではない、と主張する。(その証拠に、29 人の著者たちの中には、人種的マイノリティや女性も含まれているが、それぞれ業績を上げたために、十分な地位を築いている!と主張している)

ともあれ科学および科学者の評価軸として「業績」、それも数値化可能な定量的な「業績」を持ってくることが必要である。もちろん、業績主義や業績の数値化には弊害もあることは承知している。(分野が違えば評価が変わるとか、さして優れていない論文を大量生産した科学者と優れた論文を一報だけ書いた科学者をどう比較するのか、とか...)しかしながら、欠陥はあるといえども、業績による評価が最もマシなものであるのも確かなのである。

ちなみに著者たちは自分たちの立場を「リベラル」と呼び、ジョナサン・ローチやトーマス・ソーウェルといった評論家・学者を参照している。

以上がおおよその「業績論文」の主張だ。

これに対する大方の反応なのだが、実は下記のようなこの論文を広報するためのサイトができていて(多分、書き振りからして著者たちが作ったのだと思うが、明示的なクレジットは出ていないような...?)出版直後からこの論文に対する反応が集められている。

indefenseofmerit.org

例えば、リチャード・ドーキンスは下記のように強く賛意を評している。

この他にも、サイトを見ると、業績論文への賛意が多く集まっていて簡単に参照できるので、以下ではこのサイトに載っていなかった反応を紹介したい。

まず、科学哲学者の L. K. Bright は、業績論文へのポコジアンの寄与について以下のように推測している。

さらに、Science のエディター・ブログでは、この論文に関係して多様性を擁護する側からの意見が載っていた。曰く、科学は属人的でないから科学者のバックグラウンドと科学的な議論は関係しない(ので、多様性を目的とした雇用方針などを行わず、業績で評価すべし)的な意見に対して、実際の歴史を見れば、科学者のバックグラウンドがバイアスになってしまったことは多々あり、多様性を確保することでバイアスを補正することができる、と短く反論していた。(ちなみに著者で、Science の編集長(editor-in-chief)であるホールデン・ソープは、業績論文で名前を挙げて批判されていた)

https://www.science.org/content/blog-post/it-matters-who-does-science

この Science のブログに対しては、Coyne がブログで反論するという展開*6もあり、物議を醸すことを厭わない方針の JCI 誌の論文の中でも今までで一番盛り上がった論文がまさにこれなのではないか? 

業績論文は、最初 PNAS つまり米国科学アカデミー紀要というメインストリームの一流雑誌に投稿して拒否されたものを JCI 誌にあらためて投稿し、査読を経て掲載されたのだそうだ。他誌では読めない論説が読めるという JCI 誌の存在意義が発揮されたわけだ... (ベネターの op-ed や業績論文の次の巻に載ったアラン・ソーカルの論文も他誌での拒絶をへて、JCI 誌に掲載されたものだ)

少し長くなってしまったので、ハーバートの2023年2月の論文「大学における表現の自由なのか、それとも右翼の恨み節なのか? "Academic free speech or right-wing grievance?"」の紹介は次の記事で行いたい。

先にも述べたが、ハーバートの指摘は、アカデミアにおける多様性への批判の背後には、白人至上主義・女性差別・トランスフォビアがあると言うこと、業績主義の欺瞞をついているところであると考える。