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わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

「赴難の学-出陣学徒に餞る」中央公論1943年12月号

秦郁彦の『昭和史の謎を歩く』(下)(文春文庫、1999)を読んでいたら、第36章「教職追放」において「戦後ではお目にかかれない珍品」として中央公論1943年12月号の座談会「赴難の学-出陣学徒に餞る」が紹介されていた。

 秦著ではさわりしか引用されていなかったので、図書館で探して全文を読んでみたが、確かに珍品としかいいようがない結構とんでもない内容だった。

 秦郁彦は、「出陣学徒を戦場に送り出す立場の教師としては、なんとも心ない言動ではないか」と総括していたが、全く同感だ。あと、「ユダヤ陰謀論」的な発言が平気でなされているのも気になった。感想と注釈を交えながら全体を紹介してみたい。

 出典は、中央公論1943年12月号pp94-111だ。

 まずは、タイトルと出席者に関する部分を引用する。

赴難の学-出陣学徒に餞る中央公論1943年12月号


出席者 (発言順)


京都帝大教授 小牧実繁

同志社大教授 佐藤義雄

大阪高等学校教授 市村其三郎

東方文化研究所 能田忠亮

京都帝大教授 柴田敬

(昭和十八年十一月六日)

 出席者は、以上の 5 名+司会役の記者(匿名)だ。記者も結構しゃべっていて、しかも唯しゃべるだけじゃなくて、議論をリードしている感もあり、中央公論社の編集者なのだろうけど、いったい何者? と思った。

 出席者の中で、一番有名なのは、地理学者で、「日本地政学の父」と呼ばれたという小牧実繁(1898-1990)だろう。柴田陽一「小牧実繁の著作目録と著述活動の傾向」(2005,「歴史地理学」)によると、「1922年に京都帝国大学を卒業し,同大学助手,講師,助教授を歴任した後,小川琢治,石橋五郎に続く地理学教室第 3代教授(1938年-1945年)に就任した。戦後は,しばらく公職追放されたが, 1952年から滋賀大学教授,さらに同大学学長 (1959年-1965 年)を務めた。晩年には京都学園大学でも教鞭を執っていた (1969年-1985年)。」そうだ。

著作には、『日本地政学宣言』(1940,弘文堂)、『続日本地政学宣言』(1942,白揚社)、『地政学上より見たる大東!E:(ラヂオ新書96)』(1942,日本放送出版協会)などがある。

 秦著によると著作中には、「アジアは世界の中心だから豪州は南アジア、南北米は東アジア、アフリカは南西アジアと改名すべし。欧州はアジア大陸の半島にすぎないから例外」とか「太平洋と印度洋を併せて新日本海または大日本海に改名する」とかいう発言があったようで、秦は「軍部や右翼に歓迎されたのは当然だろう」と評している。

 小牧は、座談会の中でも活発に発言している一人だった。

 経済学者の柴田敬(1902-1986)も、僕はその名を全く知らなかったが、経済学の世界では有名な人物であるらしい。小牧とともに、日本語版 wikipwdia にも立項されている。秦著から柴田の紹介文を引くと「シュペンペーターやケインズに学び、マルクス経済学と近代経済学を統合して、『日本的経済原理』を樹てようとし」た人物で、「近衛の新体制運動に首をつっこみ一時は花形エコノミストとしてもてはやされた」そうだ。戦後はメモランダム追放で京大を追われ、移った先の山口大でも学生に糾弾され青山学院大へ移ったそうだ。

 市村、佐藤、能田についてはほとんど分からなかった。ただ、市村は、日本古代史の学者で戦後は東洋大で教鞭をとったらしい。能田は、暦の研究家のようだ。

 全体は、次の10の小見出しで分類されているが、ゆるやかな話題の変遷に沿ったもので、あまりきっちりとした構成ではない。

  • 学の西戒化の由因
  • 匿された西戒学の主体性
  • 学を採り入れる立場
  • 米英謀略史
  • 皇国の学の在り方
  • 大学の祓ひ
  • 法文科系の責務は加重する
  • 戦争が文化を生む
  • 皇戦に往く志士

まず、「学の西戒化の由因」から引用してみる。

学の西戒化の由因

記者 いよいよ十二月を期して、徴収延期の特典を返上した全国学生は、文字どほりいくさの庭に出でたつことになるのですが、これは日本の教育、文化のうえにも画期的な出来ごとでありまして、学生でありながら同時に兵士として、大君の御楯として戦場に立つといふことの中に、実に尊い事実があるのであり、この栄誉を与はれる学生諸君は、日本臣民として非常な栄誉に生きると同時に、戦場に立つといふこと自身によつて今日まで受けた学なり教育なりといふものに魂を入れることが出来るのだ、生命的に日本臣民としての本当の学を体得しうる機会をうるのだ、かういふことがいへるのではないかと思ひます。

 しかし、また一面化らいふと、大君のお召しにあづかつて勿論日本人として、勇躍して大御戦に出でたつとうふ感激を持つわけでありますが、これが今日まで学生諸君が積み重ねてきたところの学といふものと直接に接続してゐないのではないか、かういふことのために一種の苦しさ、割り切れなさ、直感的に身につけてゐる世界と、知的に把握してゐる世界との乖離背馳といふやうな悩みを、多かれ少なかれ持つゐるのではあるまいかと考へるのでございます。

 私ども接触してをります学生たちにも、さういふことを告白してゐるものがゐるのですが、かういふことはわれわれとしても捨てておけないことではないか、さうしてこれは今度出陣する学徒だけに限つたことではなく、現在まだ在学してゐる学生諸君の上にも非常に微妙な重大な問題だと思ひまして、本日はこの教学の根本に存在してゐるまつろはざる学といひますか、稜威にもとづかざる学と申しますか、さういふ「学」の正体を開明していただいて、真にかういふ非常の秋に戦力一本につながるべき皇国の学の在り方、といふものについてお話をうかがひたいと思うのでございます。

 さういふ意味で、先生方が御接触なさっていらしゃる学生はどんなふうに感じてをりますでせうか。

小牧 今「断層」といはれたが、僕の知つてゐる学生で、直接教へたひとではありませんが、先頃志願して荒鷲になつて〇〇航空隊に入つた人があるのですが、この人が入隊して少し落着いてからの第一報としてよこした手紙によりますと、自分は生まれて初めて本当の教育らしい教育を受けた。いや教育らしい教育ぢやない、生まれて初めてこれが教育だといふ教育をうけた、今受けてゐることを発見した、といふ意味のことをいつてよこしました。ちまり今までの教学と申しますか、教育と申しますか、さういふものがちつともピンと来ない。ちまり魂にひびくものをなんら持つてゐなかつた。しれが今度お召しをいただいて初めて本当の魂の教育を受けさせていただいてゐるといふことがわかつたといふのですね。さういふ意味では確かに断層といふことがいへるわけです。

記者 今日までの教学がかういふ真の国家有事の秋の国をすくふ力とならぬ、そこに談オスを感ずるといふ、この事実ですね。この事実こそはすべての甲論乙駁を乗り越えて、もつとも端的に今日までの教学といふものに不信を表明し、決定的な批判を提出してゐると思うのです。そしてこの角度から見る時、西戒学の反皇国的性格がもつとも鋭く浮かび上がつて来るのではないかと思ひますが、これを本当に御祓ひするといふ意味で、まづ日本の学が西戒化するにいたつた由因、その因ってくるところから明らかにしていただきたいと思ひます。

小牧 その由因するところは僕は非常に古いと思ふのです。たとへば、今でも西洋崇拝がもういけないといふことになると、東洋のものならよかろうといふやうなことで、たとへば親鸞とか、古いところといつても聖徳太子様のあたりまでは行くのです。だけれども、そのさきの本当の、つまり日本の根本であるところの古代までは行かない。さういふところに僕はやはり根本の原因が胚胎してゐるのではないかと思ふのです。

記者 根本の原因といひますと...

小牧 つまり一言でいへば、よその方がよく見えるといふことですね。仏教が入つて来れば仏教がいい、仏教ではどうもうまくいかんといふことになると、キリスト教だ、これは合理的で何となく非常に深奥なものがあるようだからといふことでキリスト教につく。さういふところぢやないのですか。

佐藤 それは日本人は非常に謙虚な気持ちを持つてゐるからだと思ひます。外人だと、会社へ入つて来ても、先づ第一に自分の俸給をいくらよこせと高尚するし、どんどん自分のいいところを宣伝する。日本人は自分のいいところは出来るだけ伏せておいて、自分の欠点を反省する。したがつて自分の悪いところと同時に人のいいところに眼がつきやすい。その結果は、仏教が入つて来ると仏教のよいところばかり眼について、それと自分の欠点とを思ひ合わせて仏教を容れようとする。明治初年の加藤弘之が、明治七年に出した「国体新論」を見ますと、国家の主眼は人民にして人民のために君主あり、と述べてゐる。要するに国家では人民が主体であるといふ完全な天皇機関説を堂々と臆することなく掻いておりますが、その当時はそれでとほつたのです。もことに恐るべきことだが、これは根本についていへば、やはり日本人があまりにも謙虚であり過ぎるからではないかと思ふ。それが結局追随しやすい性質になつて来るのだらうが、明治のその後の鹿鳴館事件とか、あるひは森有礼の人種混とう論、日本語廃止論、そこまで行つてしまうのです。

市村  包容力があると....

小牧 あるひは思ふのですね。

記者 私考へますのに、包容力とうふことはひとつの美徳に違いなく、西洋の学問を摂取したということも非常に必要な、意義のあることには違いないのですが、それを採り入れる場合に忘れてならないことを日本は忘れた。つまり臣民としての立場をとるまへに、人間とか人類一般とかいふ概念で規定してそこから出発した。そこにあると思ひます。日本人は生まれながらにして親の子であると同時に、明瞭に且つ絶対的に 陛下の臣民であります。臣民である以上は、畏くも天つ神の命(みこと)を顕現し給ふことを御使命とさせ給ふ、現御神(うつしみかみ)たる 上御一人の天業を翼賛し奉る、といふこのことが、その全生命的な根源とならなければならぬ。このところが明瞭でなかつたことが、一切の誤りの起こる出発点とうふか、分岐点だったのではないでせうか、さう考へるのですが。

小牧 さうなのです。その意味で学問だけに限らず、広く教学といひますか、学問・教育の奉還、環し奉るとうふことが今一番緊要なことではないかと思ふのです。私「学問奉還論」を書いてみたのですが、まだ発表いたしませんが今あなた(記者)のいはれた意味で、つまり、教育でも学問でも、何か自分が勝手に学問をする、自分だけの学問、あるひは学問のための学問といふ頭ですから、今まで人のいはなかったことをいへば、それが手柄になるといふやうなことになって来て、甚だしきにいたると、異端を競ふとうふことにまでなつたのではないかと思ふのです。その源は何かといふと、今のお話のとほり、学問をするのも教育にあたるのも、すべてそれは、天子様のおんためといふ大切なことを忘れたにあるのです。さういふ意味で、教学といふものを一切、一遍 陛下に環し奉るといふことをしなければいけない。

記者 それから、わが国の学問が主体性を喪うにいたつたといふことには、自然科学の急激な移入といふことも非常に関係していると思ふのですね。つまり自然科学の方法論を無差別的に絶対的なものとして精神科学の方にも採り入れてしまつた。自然科学によれば西洋の水も日本の水も同じ H2O だし、西洋人でも日本人でも解剖学的には大した変りはない。かういふ考え方が非常に禍ひして、西洋も日本も変わりはない。そして変わつているのは「民族性」が変わっている。「民族性」といふ規定をもつて来て大切な問題をすべて解決ずみにしてしまつた。それで済んだといふのが非常な間違ひで・・・・

市村 佐藤 それが大間違ひだ。

記者 「民族性」といふことで、もつとも大切な、物を採り入れる立場、といふ問題をおつことしてしまつた。今日でもまだ日本的な学といふものを考へる時、「民族性」といふやうなことで規定して満足している向きが私はいくらもあるのではないかと思ひます。

能田 自然科学の話が出ましたが、天文とか暦法といふものでも西洋と日本とでは、まるきり本質が違ふのですね。西洋の暦法はキリスト教教会暦として発展して来たものですが、東洋の「こよみ」は、はつきり農業の指導原理としてあつたのです。御承知のとほり支那では暦法黄河の治水とともに政治の第一要義で、農業経営の指針として重んじられたので、日本においても 霊元天皇の御代に渋川春海が「貞享歴」をつくるまでは大体支那暦によつていたのでした。これも立派なものですが、それが高橋景佑等の「天保歴」となると、西洋の暦法も採り入れるところは採り入れて、日本は海国ですから潮汐の干満は重大な関係があるので、当然かういふものも加へたところの、完全な日本の「こよみ」になつているので、これは今日われわれの眼から見ても少しも遜色のない立派なものです。そのまへにも貞享の中井履軒の「革 歴」など、完全な太陽暦が日本にもできていたのです。だから私は暦法に関する限り、明治の改暦は不必要だつたのじゃないかと考へているのです。大体明治の改暦は理由はほかにもありますが、最も大きな理由は暦法をひとしくして文明国の仲間入りをするにあつたのです。

記者 さういふ日本固有の優れた科学の道統といふものは、明治に入つて日本の学界が主体性を喪ひ、全的に西洋に依存するやうになつてか中断されるといふか、やはり後退したのでせうね。

能田 悪くなつたと思ひます。しかし天文とか物理とかいふものを明治初年に受入れた先生方の努力は、西洋人に負けちやならぬ、といふので向こうへ行つて随分勉強せられたのですが、かういふ先生方のことを憶ふとわれわれは自然と頭が下がる。日本を世界の水準以上のものにしようと血の出るやうな努力をされた。その頭にはいつも世界無比の日本の国体といふ考へがあつたのですね。さういふ意味で、私は法文科系統ばかりでなく、自然科学部門の人たちにも国体の学問、国学ですね、これをうんと叩き込まなければいかぬと思ふのです。あなた(記者)のいはれる主体性を取り戻すためにはどうしてもこれで行かなければならぬと思ふ。

市村 さうです。さうすればもう日本の学とうふものは勃然として興るに違いなひのです。

能田 今日にいたつてもこれに気がつかぬとはをかしい。

小牧 つまり、限られた意味の「国学」でないー従来混同されていましたがー新しい意味の国学、皇国の学ですね、さういふものにならなければいけない。つまり皇道から出る皇国学、その皇国学として天文学もある、経済学もある、法学もあるといふものにならなければならない。さうなれば僕は明治以後の泰西の学を遙かに突破した独創性と創造性を持つた世界一の学問が興ると思ふのです。

能田 興りますね。さういふ場合、日本書紀とか古事記だけ読めばすべてのことが書いてある。これだけで沢山だ。他のすべてのことを排撃するとうふやうな人がありますが、かういふ態度は、これは西洋流に心酔している人と同罪だと思ふ。さうして今日一部の学生などが、国学とうふことをいふ人にある意味の反感を感じていることがあるとすれば、それは今いふやうなことが禍ひしているのだと思ひますね。

柴田 そればかりでなく、さういふところにユダヤ的な陣営から攻勢をとつて来られるひとつの隙があつた、と思ふのですね。

 この節の冒頭で記者によって語られている出陣学徒たちの困惑や疑問が座談会の行われた動機であろう。即ち、「(学徒出陣などの戦時下に強制される状況が)今日まで学生諸君が積み重ねてきたところの学といふものと直接に接続してゐないのではないか、かういふことのために一種の苦しさ、割り切れなさ、直感的に身につけてゐる世界と、知的に把握してゐる世界との乖離背馳といふやうな悩みを、多かれ少なかれ持つゐるのではあるまいかと」という学生たちの認識、合理主義・自由主義的な思想や学問を身につけてきた学生たちが、不合理で全体主義的な体制下で感じる疑問と苦しみに”答え”を与えて、彼らの悩みや疑問を抑え込もう、迷うことなく戦場に送り出してやろうということだろう。実際には、戦争に行くことを強制された人たち(学生に限らず)や日本国内で戦時体制の不条理と戦禍に苦しんでいる人たちは、単に上でややあいまいに述べられているような疑問だけでなく大東亜戦争が”侵略戦争”ではないかという疑問や徴兵や戦禍などによって生活を破壊されることに対する怒りも感じていただろうから、例え、上の疑問に対して何か解答を与えたとしても全く根本的な疑問と怒りに答えることにはならなかっただろうが、勿論というべきか、学徒出陣に関する小牧たちの答えも非常に貧しく、あさってのものだと感じた。

 まず、日本人は謙虚だから外国のいいものを採り入れるのに熱心すぎて、自国のいいものを等閑にしすぎたとか、いや、それは、包容力があるということだとかの意見は、如何にもな俗流日本文化論で、説得力に欠けるだろう。そういうことについての断言は少なくとも同じような条件下に会ったいろいろな時代のいろいろな地域との比較研究をまって初めて言えることだと思う。

 しかも、最終的な結論が、「学問をするのも教育にあたるのも、すべてそれは、天子様のおんためといふ大切なことを忘れたにあるのです」では、やはり、何の答えにもなっていないと思う。大体、こんな答えは、ファシズム的政権下でしか意味を持たないもので、要するに、権力と天皇崇拝への同調圧力をバックにして脅しをかけているという以上の意味を持つとは思えない。

 その後の話は、「主体性」という言葉をキーワードにどんどん陰謀論めいたものになっている。(しかし、キリスト教といっていたり、西洋全体の話をしていたのに、なんで突然、「ユダヤ陰謀論」になってしまうのかな、とは思った。)

 あと、能田忠亮の話は彼の専門分野について伺わせて、興味深い。

 次に、第二節から引用しよう。

匿された西戒学の主体性

柴田 もう一つ、学生のことを考へてみますと、国学のさういふ一部の学者に禍ひされたのと同時に、なんといつてもこれまでのところは、ある程度西洋の方に優れたものが相当あつたために、それに近寄って行つたのですが、この西洋の学問が、これは主体性といふやうなことから無関係に成り立つものだといふことを一応考へた学問ですからね。たとへば今までの西洋の経済学を勉強していると、経済の理法といふものは、自然科学の理法と同じやうに、そこに主体の差とかそんなものがあるとは思わないやうになつてしまふ。そしてかういふものをずつと修めている間に、それから一歩も出られないやうな学問論に取ッ憑かれてしまふのです。それだから主体性といふやうなことをいはれると、もう頭から不信を抱く、信じない感じを持つてしまふ、もうそれがひとつの勘になつてしまつているのですね。

記者 本当は彼らなりの主体性があるのでせう。

小牧 さうだけれども、一応近代科学といふものは主体性をなくしたやうな形をとつでからやつて来た。

記者 そこにふつかかたわけですね。

小牧 その点では謀略といふ言葉も相当使つていい。学問としては主体性があるとはいはないで、後ろへ匿しておいた。

記者 向うの匿された主体性といふものを展開していただけませんか。そこが問題だと思ひますから。

市村 嘉永六年以来、百年間謀略にかかつている。

小牧 さうです。

佐藤 イギリスなんかが、自由の発展のためにと称してたとへば改暦などでもさうでせうが、それをやつて主体を伏せている。

能田 さういふことがいへますね。向うの暦つまり教会の年中行事、お祭り、税金の取立てから発展したものです。それだけなんです。

記者 面白いはつきりした主体性があるぢゃありませんか。

能田 あります、あります。(笑声)かういふ暦を日本が使つているのは意味がないわけで、農業耕作に順あらしめることにはあまり関係はない。それどころか年始が無意味で、月数が不平均で、暦日と週日が毎年変わるやうな西洋の教会暦を、そのまま日本に採り入れることによつて非常な生活の混乱を来しているわけです。明治の初年から今日まで、殊に農業者は混乱状態を繰り返しているんですからね。イギリスなんかは大西洋を乗り切るためにグリニッジ天文台をつくつたのですが、西洋人どもは、あのグレゴリオ暦を使つてキリスト教を弘めるためにあの暦を東洋へ持つて来たのです。私はどうも日本の西洋かぶれした生活様式は、向うのキリスト教的文明といふものを採り入れることに原因すると思ふ。これは欧米の文明を禊祓ひするためには、一旦七曜を取つてしまふ、西洋の週日を取つてしまふといい。そして一、二、三でも、千支ででも算へたらいい。

記者 国際法といふものがありますが、こんなものこそ主体性はないかと思つているととんでもない間違ひで、ユダヤ的主体性といふものが歴然とあるのですね。よくは知りませんが彼らの得意な個人間の抽象的平等といふものを基礎的には考へているし、何より国家の主権といふものを一応認めながらこれを恒久的なものと認めないで、次第にこれが消失して世界国家または世界教会といふふうなものに統合されて来ることを理想として含んでいるのではありませんか、佐藤さん。

佐藤 さうなのです。国際法はまつたく米英の謀略法です。

小牧 インターナショナルである方が世界支配に便利だからインターナショナルといふので、その必要からインターナショナル・ローというふことが出て来る。そこにあるユダヤの主体性といふものは疑う余地がない。逆に日本からいへばもつとも彼らに都合のいいものを入れているのだから、日本の国際法は日本としての主体性に乏しいといへる。

佐藤 だから日本の国際法の本を読むと面白い。翻訳です、翻訳口調そのままですね。国際法は原則があって必ず例外がある。それで四月十八日の空襲のあった時にも、彼奴らは国際法違反とはいはないかもしれない。そのためにちゃんと例外が設けてあるのだから。どんなことでもだからやろうと思へばできる。米英の連中はそれをやる。ところが日本は例外を見ないで原則ばかりで行こうとする。国際信義を重んじている。国際信義を重んじて日本の主体性を忘れている。国際法学者といふものは日本じゃ必要ないんです。考古学をレディス・サイエンスというふさうですが、国際法はその意味では、ロー・フォー・レディスなんですね。(笑声)女の御機嫌をとるために国際平和、国際正義なんてことを唱えているので、男のためには鬼畜のごときことをやる。国際法は実際不必要です。日本の主体性を護るためにも。

小牧 国際法といふものは、大東亜戦争の始まった以上もうなくなるべきものだ。つまり御国の道に則った、御威のみ光が世界を光波することになれば、国際法などはありえない。

 西洋由来の自然科学が客観的な学問の形式をとっているのも謀略、キリスト教の暦も謀略、国際法も世界統一を隠れた目標にした謀略というのは、いくらなんでも放言し過ぎだろう。

 「主体性」という言葉がキーワードになっているが、「主体性」を持った自然科学とはどんなものなのだろう?

 あと、西洋歴がキリスト教の年中行事のためのもので、農業には向かないというのは本当だろうか? 機会があったら、グレゴリウス暦の起源など勉強してみたい。

 国際法のところで、佐藤に質問が飛んでいるところからは、彼の専門分野が伺われる。政治学か法学だろうか?

 これ以降の節にも、気になる記述や陰謀論的な展開があるが、今回はここまでとしたい