わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

元731部隊の研究者への科学者による批判-上平恒『水とはなにか』感想

 以前、731部隊について勉強したことをまとめて、一部ブログ記事にしたが、防疫給水部が設立されるまでの経緯を書いたところで力尽きてしまった。気にはなっていいるのだが、常石敬一の『医学者たちの組織犯罪ー関東軍七三一部隊』(朝日文庫、1999、親本は朝日新聞社、1994)などを図書館に返してしまったのと、ちょっと長いブログ記事を書くほどの気力がわかないのですぐには取りかかれない。

http://wagawasurenaba.hatenablog.com/entry/2012/09/15/150259

 今回は、僕が731部隊のディテールを書いた記述に初めて接した本を紹介したい。

 学生時代に熱力学の講義で教授にすすめられて、上平恒「水とはなにか-ミクロに見たそのふるまい」(講談社ブルーバックス、1977)という本を読んだ。この本は、裏表紙に「分子レベルから解き明かす生命と水の関係」とあり、カヴァーの紹介文に書いてあるように、水の分子レベルでの挙動やタンパク質などの生体高分子との関係を説いた化学啓蒙書だ。ブルーバックスの中でも、分かりやすさとレベルの高さを両立させた名著、だと思う。(そんなにいっぱいブルーバックス読んでませんが。。。。。。)

水とはなにか―ミクロに見たそのふるまい (ブルーバックス 335)

水とはなにか―ミクロに見たそのふるまい (ブルーバックス 335)

 この本の最終章で、やや唐突に731部隊の話が出てきて、衝撃を受けた。731部隊の「研究成果」を戦後になって学術誌に発表した研究者を批判した文章だった。

 一九五二年の日本生理学雑誌(第二巻一七七ページ英文)に、当時京都府立医大の教授であった吉村寿人がある論文を発表している。
 この論文の主な内容は、左手中指を零度Cの氷水に三〇分間付けて、その指の温度を測定したものである。実験は一五歳以上の中国人クーリー一○○名、七~十四歳の中国人学童二〇名、生後一ヵ月および六ヵ月の赤ん坊、それから生後わずか三日目の新生児について行った。この赤ん坊たちの指の温度の低下と時間の関係のグラフものっている。このグラフをみていると、赤ん坊の泣き叫ぶ声が耳に聞こえるようである。
 読者の中には旧満州(中国東北部)にあった日本軍の七三一部隊のことをご存じの方もいると思う。吉村はこの実験を七三一部隊にいた当時行った。発表が朝鮮戦争中の一九五二年になされたことも意味深長である。
 この実験は凍傷の予防治療の目的でなされたものらしい。凍傷またはそれに近い状態の患部を普通の体温にまでもってくると、身体中が粉々にひきちぎられるような実にひどい痛みをおぼえ、この痛みは数時間にわたってとぎれることなく続くのである。寒い地方に育った人ならば、たぶん経験しているであろう。さらに大人に比べて子供の手がしもやけにかかりやすいことは、雪国の人間ならば誰でも知っていることである。
 (中略)
 低温生物学の研究は私たちの生活に希望をあたえる明るい面もあるが、一方このようなおそるべき非人間的な暗黒面もあるのである。時々の新聞の報道から察することができるように、現在でも適当な名目のもとにいろいろな形で人体実験が行われている。

『水とはなにか』(pp195-196)

 ただし、ページ数は僕が持っている旧版のものなので、注意。

 著者が言及している雑誌は、Japanese journal of physiology (2006 年に誌名変更して、Journal of Physiological Sciences) で、吉村の論文のタイトルは、次の通り。

Studies on the reactivity of skin vessels to extreme cold. Part I-Part III

Japanese journal of physiology,
(1950),Volume:1,Page:147
(1952),Volume:2,Issue:3,Page:177
(1952),Volume:2,Issue:4,Page:310

 著者の言及した論文は、二番目のもので、Fig. 2 に新生児 ("3rd days after birth")に対する実験の結果が載せられていた。
 また、実験("The left middle finger" の "The temperature reaction in ice-water")は、”about 100 Chinese coolies from 15 to 74 years old and on about 20 Chinese pupils of 7 to 14 years.”に対して行われたようだ。(Fig. 1 からは7-14 歳の "Nos. of subj." は19 人、15-74 歳の "Nos. of. subj." は 101 人と読み取れた。)

 常石著によると、731部隊以外の軍の研究者たちは、研究者自身が実験台になって、あるいは、兵士から協力者を募って実験を行っていたグループもあったそうだ。(兵士を募った場合も、完全に問題がないかどうかは、詳細を知らなければ判断できないとは思う。)

 下記のブログのコメント欄にこの話を書いたところApemanさんに常石敬一『医学者たちの組織犯罪ー関東軍七三一部隊』を御教示いただいた。(二つ目のコメントをしているのが僕。)

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20120824/p1

 また、1977年という時期が、731部隊への批判としては、比較的早いこともご指摘いただいた。

 このことから考えるべきことの一つは、戦後になっても731の研究者が、「研究成果」を論文として発表していたことから、リンクしたブログの記事にあるように、「医学者たちの組織犯罪」が「戦争の狂気」で説明尽くせることでなかったということだろう。

 戦争が本質なのではなく、もともと内包していた研究倫理の危うさが、戦争という極限状況の出現で、通常の倫理観の障壁が下がって、「研究のためなら許される」という考えが止まられなくなってしまったというのが本質だろう。

 大阪市立大学大学院文学研究科の土屋貴志先生の「戦時下における医学研究倫理 ──戦争は倫理を転倒させるのか──」というスライドをネットで見つけたが、非常に参考になり考えさせられた。

http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/gyoseki/presentation/08JABslides.files/frame.htm

 結論の言葉を引用する。

医学研究倫理が戦時下に転倒するわけではない。平時から医学研究倫理に本質的に内在する問題が戦時の状況下で、噴出したり先鋭化したりするだけである 
l15年戦争期に日本の医師たちが行った反人道的行為を「戦争犯罪」ではなく「医学犯罪」として捉える
:医療倫理学が第一に問題にするのは医学のあり方であって、戦争のあり方ではない
l戦時と平時は連続したものである
:戦争に入ったとたんに人が変わるわけではない。人類益の国益化は国がスポンサーである限り起こりうる
l戦争は環境条件を用意するのであって、本質的原因ではない

 この点については、何らかの考えをまとめるのが、もともとの記事の目的だったが、未だそこまでいったていない。