冤罪の発生、とりわけ犯人でない人がウソの自白をしてしまう現象について、心理学的に考察した本を二冊読んだ。
- 浜田寿美男『自白の心理学』(岩波新書)
- スコット・O・リリエンフェルド、スティーヴン・ジェイ・リン、ジョン・ラッシオ、バリー・L・バオアースタン著 八田武志、戸田山和久、唐沢穣監訳『本当は間違っている心理学の話 50 の俗説の正体を暴く』(化学同人)
『自白の心理学』では、自白にまつわる三つの問題について、現実の冤罪事件に沿って解答を与えている。即ち、
- なぜ犯人でないのに、死刑の可能性が高い事件で、ウソの自白をしてしまうか。
- あまつさえ、なぜウソの犯行の詳細を、取調官の要求を満たすよう作り上げてしまうのか。
- 自白調書の分析(「無知の暴露」の発見等)によって、自白がウソである=冤罪の可能性を示すことができるか。
である。
この本で詳しく取り上げられている冤罪事件は、宇和島事件(窃盗)、甲山事件(殺人が疑われたが事故死の可能性大)、仁保事件(強盗殺人)、袴田事件(殺人放火)の四つの事件だ。最初の三つの事件に関しては、冤罪が証明され確定したが、袴田事件は、本書でも示されるように、冤罪の可能性が極めて大きいにもかかわらず、袴田さんは 2014 年に再審請求が認められるまで、死刑囚として拘束されていた。
甲山事件において、「なぜ犯人でないのに、死刑の可能性が高い事件で、ウソの自白をしてしまうか」という問題が検討されている。取り調べの現場で、捜査員たちが被疑者にされた保育士の女性に与える、(ウソの)自白へ向かわせられる圧力は、「親もお前を疑っている」と(虚意の)情報を与えるなどによって膨らまさせられる精神的な孤立感や「同僚へ疑いが向くのでは」という思いや事故死した児童への責任感からくる罪悪感を利用したものである。それらに加えて、非人間的な取り扱いや暴言によって、取調官は場を支配し、女性は、彼らの気に入るような発言をしなくてはいけない心理に誘導されてしまった。誘拐犯や立てこもり犯に捕らわれた被害者が犯人に親近感や恭順の意を示すことをストックホルム症候群というが、類似の心理的力学で説明できるのかもしれない。また、このような立場にさらされた人たちは、真犯人でないため、刑罰への現実感が薄く、予想される刑罰の大きさが自白をためらわせる方向に働かないという事情もあるらしい。
仁保事件においては、事件と全く関係ない人が、自白し、ウソの事件の詳細を語ってしまう=作り上げてしまうという問題が検討されている。このような場合、被疑者は、取調官の気に入るように(それは、言い換えれば、取調官の知っている証拠と矛盾のないように、)供述を変遷させながら、話を作っていくので、最終的にまとめられる調書は一見検察官の満足のいくものであるらしい。仁保事件の被疑者にされた男性の「犯人になってやる」というその場を体験していない者にとっては、衝撃的な心理状態の告白を含む取り調べの状況を映したテープ・レコーダを文書化した引用はぜひ読むべき内容だ。
袴田事件においては、第一、第二の問題点を踏まえて、袴田さんの”自白調書”を検討している。
本書を読んで、冤罪であることを示す沢山の情報があったのに、それらを無視して犯人と決めつけてしまう「取り調べの心理」についても詳しい研究を読んでみたいという感想をも抱いた。しかし、本質は心理というより(そのような心理を可能にすることも含む)制度的な問題であろう。
たとえば、警察官向けの教科書や袴田事件の調書には、被疑者が否認しても冤罪である可能性を考えてはいけない、という意味の文言がある。
頑強に否定する被疑者に対し、『もしかすると白ではないか』との疑念を持って取り調べてはならない。
これは、増井清彦『犯罪捜査101問』(立花書房)の『自白の心理学』からの孫引きだ。(イヤハヤ、いったい、どういう理路でそのような主張が教科書に載るのか? いつか『犯罪捜査101問』を確認しなければ… )
本来、難事件ではないはずなのに、捜査員・取調官の「思い込み」が難事件を作っている、とも指摘されていた(つかこうへい『熱海殺人事件』を連想した)。
『本当は間違っている心理学の話』は、「50 の俗信の正体を暴く」という副題の通りに世間的に信じている人が多かったり、一般向けの本に書かれているが、間違っていたり、根拠がなかったりする心理学的な俗説(「人は脳の 10% しか使っていない」とか「トラウマ的な出来事の記憶は抑圧される」とか)を大量の学術的な論文を調べて検討した本だ。
その 46 番目の俗説が「自白する人は実際に罪を犯している」だ。(8 ページの論考で、 21 もの参考文献が付いている! )
こちらの本で取り上げられている事件は、主にアメリカ合衆国のもので、参照されている知見も欧米の研究者のものだが、冤罪発生のメカニズムについての見解は、『自白の心理学』とよく一致しているように思えた。取り上げられてる事件は、「セントラルパーク・ファイヴ」事件(五人の少年が犯罪を自白したが、13年後に DNS 鑑定により冤罪であったと判明した 1989年の事件)、エディー・ジョー・ロイド事件(警察に思いつきの犯罪解決法を電話する行為を繰り返していた人物がレイプを自白したが、18 年後にやはり DNA 鑑定で冤罪であったと判明した 1984 年の事件)など。(ジョン・ベネ・ラムジー事件や「ブラック・ダリア」事件やリンドバークの息子の誘拐事件で、明らかに犯人でない人物(ときには何人も)が自白した事例が挙げられているが、これはちょっと種類が違う。あと、ヘンリー・リー・ルーカスが「おそらく、もっとも多くの嘘の自白を行った人物」として言及されていた。)
( オスカー有力候補のドキュメンタリー作品、5人の少年達がえん罪になったレイプ事件とは? - ANAPエンタテインメントニュース - ANAP HOLIK <- 「セントラルパーク・ファイヴ」事件は、ドキュメンタリー映画の題材になっているようだ。)
いくつかの心理学の実験が紹介されているのだが、その中で、『自白の心理学』よりも踏み込んでいると思えるものを挙げると、
- 警察官は、大学生よりも自白が真実かどうか見破る能力が高いわけではないのに、高いという自信を持っている。「要するにどうやら警官には、その人が無実の場合でも有罪だとみなすようなバイアスがかかっている」のだ。
(Kassin, S. M., Meissner, C. A., & Norwich, (2005). “I’d know a false confession if I saw one”: A comparative study of college students and police investigators. law and human behabior, 29, 211-227.
http://psycnet.apa.org/journals/lhb/29/2/211/
)
- 多くの人がウソの自白を行いやすい傾向がある。研究者が実験参加者に押してはいけない禁止キーを押して、機械を故障させてしまったと信じ込ませる実験で、65 % が(自分が壊していないのに)自白書にサインし、35 % が自分が機械を壊したという詳細を作り上げた。
(Kassin, S. M., & kiechel, K. L. (1996), The social psychology of false confession: Compliance, internalization, and confabulation. Psychological Science, 7, 125-128.
http://web.williams.edu/Psychology/Faculty/Kassin/files/kassin_kiechel_1996.pdf)
(Saul Kassin という人は、「ウソの自白」研究のパイオニアであるらしい。Saul Kassin | Professor of Psychology)
警察官が、被疑者を有罪だとみなすバイアスを持っている、というのは、アメリカ合衆国の研究だけれども、『自白の心理学』の記述と合わせると日本の警察官にも存在するのではないかな? (増井著の記述は、その心理が規範化? )
さらに、別の研究による、ウソの自白をしやすい人の傾向というのも紹介されていた。
ここらへんの「警察官には、被疑者が有罪であると信じ込むバイアスがある」、「ある状況に置かれれば、多くの人がウソの自白をし、そのうえウソの詳細を作り上げる人もいる」、「ウソの自白をする人の傾向」という研究は、日本でも追加研究をしてみたらどうだろう? と思う。
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