花田清輝「サラリーマン訓」(『増補・冒険と日和見』(創樹社、1973))が、会社社会における人間関係のあるべき姿としてとても示唆的だったので、感銘を受けた部分を一部引用してみました。
入社した以上、社長をはじめ、すべて、長と名のつく社の幹部諸君にたいしては、つねに、アワレミの心をもって接すること。資本家だとか、資本家の手先だとかいって、かれらにたいして、絶えず反抗の気勢を示すことをもって義務のように心得ているひとがあるが、資本家といえども、人間である。しかも、ただの人間ではない。やがて没落して、きみからアゴのさきで使われる運命にある気の毒な人間である。
第一、きみのようなオソルベキ人間をやとっているだけでも、十分、同情に値する。したがって、かれらが、きみにむかってお辞儀をしたようなばあいには、きみのほうでも三度のうち一度くらいは、答礼してやること。それが、人間の人間にたいする当然のエチケットというものである。
(強調、引用者)
なにか社用を命ぜられたようなばあいには、ちょっとせせら笑っていかにその用事が不急不要のものであるかを力説し、大いにきみに見識のあるところをみせるがいい。「君子は、重からざれば、威なし」という格言がある。数回、これを繰り返すと、ついに相手も、みずから無知を恥じ、その後は、絶対にきみに用事をたのまなくなる。
万一、――たぶん、社長のお声がかりで入社したきみのことだから、そんなことはあるまいが――万一、クビだといわれても、素直にひきさがってはいけない。友人のボクサーを会社へ案内して、軽く社長のアゴをなでてもらうがいい。
一度、この手をつかったときな、社長は六階の社長室から、自動車を目ざして、まっしぐらに会談を走りおりていったが、その道中のあいだ、社長を助けようとする社員が、一人としていなかったのには驚いた。みな、ニヤニヤしているのだ。まことに社長というやつは、孤独な存在である。
タイトルから分かる通り、この文章はスウィフトの『奴婢訓』をもじったものなんでしょうね。ブラック企業の話題とかアカデミックハラスメントとかに関する精神的に追い詰められるような話を読んでしまったときに、解毒剤として読み返す文章です。『冒険と日和見』や『花田清輝全集』は手に入りづらいかもしれませんが、次の本にも全文が収録されています。
- 作者: 梅田卓夫,服部左右一,清水良典,松川由博
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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いつか、「高校生訓」、「大学生訓」、「大学院生訓」、「アルバイター訓」、「フリー訓」、「プログラマ訓」とか書かれるかもしれないですね。