わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

『顔のないヒトラーたち』

シネリーブル梅田にて、『顔のないヒトラーたち』見。

重い題材の割に、しっかりエンターテインメントとしてできあがっていたし、かといって軽薄な印象ということもなかったので好評価。

1963 年にはじまったアウシュビッツ裁判(ドイツ人の戦争犯罪をドイツ人自身が裁いた裁判)のための調査を、裁判を開始するための調査が始まった 1958 年から描いたもの。主人公の若手検事ヨハン・ラドマンは、架空の人物だが、主人公の上司のフランクフルト地方検察の検事総長フィリッツ・バウアー、記者で主人公がアウシュビッツを知るきっかけとなったトーマス・グルニカは実在の人物。

以下感想をおりまぜつつのストーリまとめ。ミステリーでないので、ネタバレとかの類はないのだが、くわしい筋を知るのがイヤな人もいるかもしれないので、エチケットとして字下げしておきます。












主人公は、いかにも野心家(新人なので交通違反しか担当させてもらえないのが不満で、トイレの鏡の前で、重大犯罪の求刑をするさまを想像して独り言を言っている)だが正義漢(先輩検事がだれも興味を示さないアウシュビッツ収容所の元 SS が教師をしていたという違法行為にただ一人興味を示し調査する)で一本気でやや融通が利かない(交通違反した被告人の女性が罰金 30 マルクを払えないので、裁判長が 25 マルクに値下げして判決しようとすると、「そんな法律はありません!」「ではどうするつもりかね」結局、5 マルク貸してやることに。これがヒロインとの馴れ初め)という若手で優秀な検事。

ラドマンは、最初はアウシュビッツ収容所で行われていたことに全く無知であったのだが、左派の新聞記者で強引な取材も厭わないグルニカと彼に引き合わされた収容所を生き延びたユダヤ人画家シモンとの出会いをきっかけに調査を始め、深くのめり込むようになる。グルニカと一緒にシモンの所持品から、収容所で行われた故殺(戦争犯罪は殺人以外はすでに時効を迎えていて、故殺の証拠がないと起訴できない)の証拠となるリストをなかば強引に持ち出し、ユダヤ系で 1933 年に収容所に収容されていた検事総長バウアーにアウシュビッツ裁判のための調査の指揮をとるように任命される。

アメリカが管理する膨大な資料の調査、収容所を生き延びた人々の聞き取りを同僚の検事や秘書とともにつづけ、アウシュビッツの副官でありながら社会的な大物として生き延びていたロベルト・ムルカを毒薬の購入履歴を元に殺人罪で逮捕したのをはじめ、歯医者や教師として普通に生活していた元ナチの逮捕を次々と成功させた。

そして、友人となったシモンの双子の娘を残酷に殺した医師ヨーゼフ・メンゲレの逮捕に執念を燃やすようになるのだが、ドイツ連邦刑事局(BKA)の上層部はナチ追求に消極的で、バウアーとラドマンが情報提供したモサドもより重要人物であるアイヒマンの逮捕を優先し(「アイヒマンの件で国連がうるさくてね。われわれは、小国だ。これ以上敵は作りたくないよ。いまでも十分にいるんだ」)、メンゲレをいくどとなく取り逃がしてしまう。また、メンゲレ逮捕に固執するあまりに、逮捕状の作成を怠って容疑者を取り逃がしてしまったり、聞き取りをすっぽかしたりの失態を演じることに。

そういうことが重なって、無力感に襲われているところに、折り合いの悪い実母から、尊敬していた亡父がナチス党員であったこと、続けざまに、友人グルニカが実は少年兵として収容所に勤務していたことを告白され、自分が元ナチに罰を与える立場にいるのか疑問になってしまい、職場を放棄し、恋人との関係も破綻させててしまう。

その状態を救ったのは、心臓病で倒れたシモンに自分の代わりに二人の娘のためにアウシュビッツで、グルニカと一緒にユダヤ教の祈りを捧げて欲しいと頼まれたことである。アウシュビッツの跡地で、グルニカに「罰のことではなく、記憶に残すことを考えろ」と言われて、バウアーへの辞表を取り下げ、職場に復帰・ついでに恋人との関係も修復する。

5 年の調査期間を経て、ついにアウシュビッツ裁判の開廷にこぎつけたシーンで、同僚のハラー検事とともに法服を着て裁判い臨むラドマンに対してバウアーは、「誇りに思う」という言葉をかける。

情報として印象的だったのは、1950年代後半のドイツでは、アウシュビッツの知識が全く一般的ではなかった、ということ。グルニカが主人公の前でオフィスの人を捕まえて、「あなたはアウシュビッツを知っているか!」と問うが、みな「知らない」という答え。主人公が同僚検事に聞いても「記録映画を見せられたよ。プロパガンダさ。敗戦国の宿命だね」。

ここらへん、日本の現状は、50 年代後半のドイツの段階にあるのではないかという気にも。

また、検察のナンバー 2 である検事正が主人公のナチ追求に反発し、「息子の世代に親の世代を殺人者として追求させたいのか」と責める。このとき自分の父がナチであったことを知らない主人公は、「まさにぼくがやりたいのはそれです!」と答える。(実は、この検事正だけが戦争世代に軍人だった主要人物の中でナチではないのだが...)

あと、50-60 年代のドイツには、人生ゲームがあったんだな、と。

(追記:モノポリーというゲームみたいですね。主人公とグルニカたちがやっていたら、グルニカの記事に不満を抱く人間が逆卍マークの入った石投げ込んできた)