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わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

荷風の日記での帝国主義批判、日本兵の残虐行為を伝える”町の噂話”など‐『摘録 断腸亭日乗』(磯田光一編)感想

 永井荷風の『摘録 断腸亭日乗』(磯田光一編、上下、岩波文庫)はいつも適当なところを開いてパラパラ読んでいるだけで、未だ通読したことはないが、太平洋戦争がいよいよ始まろうとする 1941 年あたりが一番興味深い様な気がする。

摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)

摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)

摘録 断腸亭日乗〈下〉 (岩波文庫)

摘録 断腸亭日乗〈下〉 (岩波文庫)

 例えば、荷風が有名税と称して、税務署から税金をむしり取られる話があったりして、これは別ブログに引用した。
http://fromambertozen.blogspot.jp/2013/03/blog-post_1616.html

 ここでは、六月周辺の大日本帝国の侵略主義への批判的なことばと残虐行為を告発する(日記上でだけど)記事を紹介する。

 日中戦争について「後世史家の資料に供すべし」として六月十五日の日記に次のような見解を披露している。

日支今回の戦争は日本軍の張作霖暗殺及び満州侵略に始まる。日本軍は暴支鷹懲と称して支那の領土を侵略し始めしが、長期戦争に窮し果て俄かに名目を変じて聖戦と称する無意味の語を用ひ出したり。欧州戦乱以後英軍振るはざるに乗じ、日本政府は独伊の旗下に随従し南洋進出を企図するに至れるなり。然れどもこれは無知の軍人ら及び猛悪なる壮士らの企るところにして一般人民のよろこぶところに非ず。国民一般の政府の命令に服従して南京米を喰ひて不平を言はざるは恐怖の結果なり。麻布連隊叛乱の状を見て恐怖せし結果なり。今日にては忠孝を看板にし新政府の気に入るようにして一稼なさむと焦慮するがためなり。元来日本字には理想なく強きものに従ひその日その日を気楽に送ることを第一となすなり。今回の政治革新も戊申の革命も一般の人民にとっては何らの差別なし。欧羅巴の天地に戦争やむ暁には日本の社会状態もまた自ずから変転すべし。今日は将来を予言すべき時にあらず。
(下巻、p.143)

 他にも町の噂として次のような中国での日本兵の残虐行為を伝えている。

(六月十八日)
  町の噂
芝口米屋の男三、四年前召集せられ戦地にありし時、漢口にて数人の兵士と共に或医師の家に乱入したり。この家には美しき娘二人あり。医師夫婦は壺に入れたる金銀貨を日本兵に与へ、娘二人を助けてくれと嘆願せしが、兵卒は無慈悲にもその親の面前にて娘二人を裸体となし思ふ存分に輪姦せし後親子を縛って井戸に投込みたり。かくの如き暴行をなせし兵卒の一人がやがて帰還せし留守中母と嫁とを預け置きし埼玉県の某市に至りて見しに、二人の様子出征前とは異り何となく怪しきところあり。いろいろ様子をさぐりしがその訳分明ならず、三ヶ月半ほど過ぎし或日の事、嫁の外出中を幸その母突然帰還兵に向ひ、初めは遠廻しに嫁の不幸なることを語り出し、遂に留守中一夜強盗に「ために母も嫁もともども縛られて強姦せられしことを語り災難と思ひ二人の言甲斐なかりしことを許せよと泣き悲しむところへ、嫁帰り来てこれも涙ながらにその罪を詫びたり。かの兵士は漢口にて支那の良民を凌辱せし後井戸に投込みしその場の事を回想せしにや、ほどなく精神に異状を来し、戦地にてなせし事ども衆人の前にても憚るところもなくかたりつづくるやうになりしかば、一時憲兵屯所に引き行かれ、やがて市川の陸軍精神病院に送くらるるに至りしといふ。市川の病院には目下三、四万人の狂人収容せられいる由。
(p.141)

 当時の一般市民の知り得る情報については、「軍閥支配時代に情報を遮断され、『勝った、勝った』の一方的な大本営発表しか聞かされていなかった」(秦郁彦南京事件』(中公新書))というイメージを持っていて、まして日本兵の残虐行為については新聞やラジオではおおっぴらには語られなかっただろうと思っていたが、こうして町の噂と言う形で漏れ出ていたのだろう。でも、この話自体は、対応する実話があるだろうにせよ、都市伝説的な脚色が施されているような気もする。(三・四万人が精神病院に収容されていたというのは本当? )この件についての、突っ込んだ研究はあるのだろうか? 

 あと、荷風はついには、次のような言葉まで記している。

(六月二十日)
余はかくの如き傲慢無礼なる民族が武力を以て隣国に寇することを痛歎して措かざるなり。米国よ。速に起つてこの狂暴なる民族に改悛の機会を与えしめよ。
(p.142)

 傲慢無礼なる民族とは、もちろん、日本を指す。ただ、この言葉、直接的には大学生の手紙が無礼だったことにムカついて出てきたのでちょっとどうかと思う。