ロベールギランの『日本人と戦争』(根本長兵衛、天野恒雄訳、朝日文庫、1990)、昔読んだ本で印象に残っていたが、別の本を探して本棚を漁っていたら出てきたのでを読んだ。1938-46の期間日本にいた(帰れなかった)フランス人ジャーナリストが書いたアジア太平洋戦争史で、8/15から米軍が来るまでの二週間で、日本軍が資料を焼きまくったのを目撃した話とか、突然山本五十六が英雄扱いされて、その人気が作られたものに感じられたとかの記述が面白かった。
- 作者: ロベールギラン,根本長兵衛,天野恒雄
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1990/12
- メディア: 文庫
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アジア太平洋戦争を概説した本としては、岩波新書の 遠山茂樹,藤原彰,今井清一『昭和史』や半藤一利の『昭和史』(平凡社)などを読んだことがあり、分かりやすさや情報の詳しさなどで、特に本書をそれらの研究者が書いたものに対して持ち上げるということは出来ないと思うが、遜色のないものとも言えると思う。この本で新しく知った事実としては、戦時下、自殺に追い込まれた英国人ジャーナリストや終身刑になって敗戦の年に刑務所内で亡くなったフランス人ジャーナリストがいたことだ。
また、著者のアジア観、日本観には、ステレオタイプというか典型的な「色眼鏡の狂想曲」っぽいところがあるのは、著者が戦時下日本の置かれた国際状況とそこでなぜ過ちを犯し続けたかを、おそらく、すべての日本の指導者たちや多くの知識人たちよりも深く洞察しているだけに、残念、というか不満だ。
それは、たとえば、中野正剛に関して、切腹の仕方について、妙に詳しく悪趣味なくらい書いてあったり、あと、自分の住居を「私のゲイシャの家」って呼んでいたとか、「アジア人は民主主義に向かない」的なことが書いてある点だ。もう一つ言えば、天皇に関わる文章にすべて敬語が使われているのだが、原文ではどういう記述なのであろう? (訳者たちは、原文に対して忠実であったと書いているし、間違った記述にも原文を修正しないで訳注を付けているので、そうなのだろうと感じがするので、それに対応する記述なのかもしれない。)
一方で、この本の美点は、アジア太平洋戦争時の日本の指導者たちや指導思想に対する辛辣かつ的確な批判だろう。
天皇、陸海軍の軍人、大臣から財界人などの日本指導者の全てに欠けていたのは、何か。彼らは論理を知らなかったが、それにもまして精神的勇気に欠けていた、というのがギランの指摘だ。
精神的勇気の欠如の意味は、例えば、本当は戦争に反対だったんだ! 当時としてはリベラル派だったんだ! てな評価(免罪)を受けがちな政治家たち(「文学は研究してないので、そういう言葉のあやにはお答えできません」の人や「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人はうごかじ」の人)を「ちょっと役職を離れたからとかで反対をきちんと表明しないのは、精神的勇気に欠ける。それじゃ評価できない」ときっぱり批判してるなどにある。
これらの人々(WWII下での日本の指導者たち)に、善きにつけ、悪しきにつけ、彼らが持ってもいない偉大さ、色彩、影を与えようとするならば、東洋の事物をあやまって観察することになる。不可解な精神構造を持ち、神秘に包まれた存在だから、彼らは説明しがたい、というのは正しい解釈ではない。いわゆる「東洋の神秘」とは、いんちきか、錯覚にすぎないのだ。
歴史の前に出れば、彼らは雑魚にすぎない。様々な出来事自体は巨大で劇的だあった。来るべき大破局において、必然は、力強く確実な歩みで、常に同じ方向、災厄に終わる結末を目ざしていった。だが、この破局の引き金を引いた人びとは、弱く、動揺し、堅実さに欠けていた。彼らは、天才を生み育てるのにまったく適していない二十世紀日本が作り出した、平凡な男たちだったのだ。
これらの人物(昭和天皇、近衛文麿、松岡洋祐など)のだれひとりとして、自分の属する集団や国家の政策全体を堂々と拒否しようとした者はいなかった。だれひとりとして辞任し、抗議し、強制された役割を拒絶しようとはしなかった。
天皇と大臣、海軍と陸軍の軍人、文民、大小の指導者と、彼らすべてには、いったい何が欠けていたのだろうか。これらの人間にかけていた要素は何だったのだろうか。彼らの精神は論理を知らなかったが、それにもまして欠けていたのは、精神的勇気であった。日本についての誤解の最大の原因はここにある。この国は精神的勇気には欠けていたが、肉体的勇気の方は十二分に持ち合わせていた。日本の過去の戦史には本物のヒロイズムが見られたし、それはこの十二月八日に始まる戦争についても同様である。だが日本は肉体的次元の勇気に満足し、それしか知らず、それを称揚し、その英雄たちの武勇によって世界の耳目をそばだてさせたのである。
この批判は、さらに広範な層、知識人や大衆に属する人々にも及んでいる。
指導者層において見られた精神的勇気の欠如は、大衆についても同様である。(中略)軍部が国内で勝利を得ると、それまでは平和に執着していた人びともすべて、心も軽く戦争を受け入れた。それらの人々とは、リベラルな中流階級、知識人、国際貿易という学校で育った実業人である。
あと、戦時下の東京を描いた章もビビットで、祝日に飾られる日の丸が太陽でなく、白布に染まる鮮血に見えたという記述があった。
ギランが、フランス人(だけじゃないか、読者)に向かって、日本を擁護する文脈では、過去の日本=大日本帝国との断絶を、強調していることも印象に残った。
早坂茂三の田中角栄を描いた本に時々田中との会見シーンが出て来るロベール・ギランは、この本の記述からも、どっちかというと保守派なのではないかと思うけど、大日本帝国への批判は鋭くて面白い・克今日的なものだ。解説でルース・ベネディクトの『菊と刀』と並べられてるけど、8年くらい実際に日本を見て、困難な体験を負ったギランのほうがはるかに的確な批判を、日本人に対してしていると思う。