わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

『アメリカン・スナイパー』感想

 だいぶ時間が経ってしまったが、 2 月 22 日にクリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』を見たので、その感想をまとめておこう(といっても twitter に投稿したものをまとめ直しただけですが...)。

 (一応、ネタばらしがあるので、注意喚起しておきます。)















 映画が公開された頃の Twitter や雑誌の記事・パンフレットなどを見た段階では、「単純な戦争賛美映画ではない」、「むしろ反戦映画」という評価が多かったけど、自分は「うわー、おもったより露骨に右翼っぽい映画だなー」と思ってしまったし、厭戦観や戦争が主人公にもたらした傷とかは描いてるけど、反戦映画とまでは思えなかった。

 少なくとも、弟を虐めた奴をぶっ飛ばして父親に褒められた少年時代、30 近くまでカウボーイ気取りで恋人に裏切られた時にちょうどアメリカの大使館が襲撃されたニュースを見て軍隊に志願し、シールズに入るためのの娑婆っ気を抜かれるシゴキを経て、ナイスな恋人を見つけ、911 を経て、結婚直後に戦地に赴く(「ここは、現代の『西部』だ!」みいたいな上官のセリフが)導入部までなら完全に右翼映画・英雄映画として通用すると思う。

 もちろん、その後戦死した友人が直前に厭戦的な手紙を送っていたとか、戦地から帰ってきても戦場での記憶(たとえば、戦場の音)がよみがえってしまったり、犬に殴りかかったり、看護師(?)に怒鳴ったり、と暴力衝動的なものが出る PTSD 描写や、戦傷を負った元軍人に銃を指導する活動をして小康を得たところで、戦争帰りの青年(いかにも”病んでる”感じの描写)に射殺されてしまうラストなどは皮肉というか、運命的な響きがあるけれどもこれは戦争に反対しているわけではないと思う( PTSD 描写こそが、この映画のメイン! 的な評言を見たような記憶があるが、そうは思わなかった)。

 四度も戦場に赴く動機も「アメリカを守るため」、「仲間の復讐」(イラク側のスナイパー<シリア出身の元オリンピアンでメダリストのような描写が、相手にも子供がいてライバルっぽく描かれている>に殺された)として書かれている(としてしか書かれていない)のも、 主要な”敵”として描かれるのが、ザルカゥイの副官通称”虐殺者”で、イラク人の情報提供者の親子も虐殺し、ネジロには拷問して殺した捕らえたアメリカ人兵士が吊るされているというような強い嫌悪感を抱かせる奴になっていた(IS のイメージと重なる? )こととともに引っかかるところ。

 軍人や、自爆テロをしようとする人やその協力者などの主人公に殺される人たち以外のイラクの市民の描写が、”虐殺者”に殺される情報提供者や”虐殺者”のネジロ襲撃後に起きた暴徒たちぐらいしかなかったのも気になるところ。

 主人公たちアメリカ人兵士が、イラク人を barbalian 呼ばわりし続けていたのも気になったし(映画の主張とは限らないが、否定するような表現はなかった)、最後にカイルを射殺した帰還兵の青年も barbalian と書かれていたのも気になった。
 
 この内容では、戦争の背景の説明や戦争で被害を受けた人々の描写はなしに反戦映画になる映画ではないと思うし、「羊を守る番犬であれ」という主人公の価値観は、否定されていないと思う。

 「仲間の復讐や祖国を守るために戦ったが運命的な最後を迎えた男」という風に描かれていて、主人公の価値観や戦いを批判するような内容には思えなかったがなあ。