わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

花田清輝・吉本隆明論争 (その 2、「ユートピアの誕生」(『復興期の精神』より))

 1950年代半ばから1960年代初頭にかけて行われた、花田・吉本論争に関わりのある批評・著作を読んでいくシリーズとして、まず『復興期の精神』所収の「ユートピアの誕生」を読んだ。戦時下に連載され、戦後になって単行本として刊行された『復興期の精神』の諸エッセイは、もちろん、時期的には直接は花田・吉本論争に含まれるものではないが、吉本が『芸術的抵抗と挫折』の「情勢論」で批判的に「ユートピアの誕生」に言及し、花田が「大菩薩峠と戦争責任」などで反論するという経緯があるので論争に関係するもっとも初期の文章の一つと言えると思う。

 花田清輝・吉本隆明論争 (その 1、関連した論文) - わが忘れなばを参照。

 『別冊新評 花田清輝の世界』の年譜(福島紀幸、久保覚編)によれば、『復興期の精神』に収められた一連のエッセイは、1941年3月から1943年10月にかけて「ルネッサンス的人間の探求」として『文化組織』などに発表された。『文化組織』は、花田が中野秀人らと 1939年に結成した「文化再出発の会」の機関誌として結成の翌年に創刊された雑誌で、花田はここに『自明の理』(後に『錯乱の論理』に改題)に収められるエッセイ群を既に発表していた。「ユートピアの誕生」は1942年の12月に発表された。

 『復興期の精神』の単行本は、我観社(後の真善美社)から 1947 年に出されたのが最初で、その後角川文庫(1951)、未来社(1959、新たに「笑う男」を増補)、講談社名著シリーズ(1966)、講談社文庫(1974)、講談社学術文庫(1998)、講談社文芸文庫(2008)などとして刊行された。

 また、花田清輝著作集第一巻(未来社、1964)や花田清輝全集第二巻(講談社、1977)にも収められている(『別冊新評 花田清輝の世界』の著作目録など(福島紀幸、久保覚編))。

復興期の精神 (講談社文芸文庫)

復興期の精神 (講談社文芸文庫)

 今回は、 1974年に刊行された講談社文庫版の『復興期の精神』を読んだ(再読だけど、内容はほとんど頭から抜けていた)。『復興期の精神』は、主としてルネッサンス期のヨーロッパの思想家・芸術家を取り上げて論じたエッセイを収めたものだが、「ユートピアの誕生」は題名の通り、トマス・モア(モーア)を取り上げたものだ。冒頭では、イタリアの劇作家ピランデルロの「新しい植民地」が取り上げられている。

 ピランデルロの『新しい植民地』は、大地が揺れはじめ、ひとりの女と、かの女の必死になっていだいている赤ん坊とをのこし、さかまく怒濤が、島と、その島を開拓するために集まってきた人びとを瞬く間にのみこんでしまうことによっておわるのだが――むろん、それは、『新しい植民地』の終焉を物語るものではなく、やがて生きのこった母と子とによってはじめられる、本来の意味における『新しい植民地』の発端を示すものであり、すくなくともルネッサンス期に数多く描かれた聖母子像を連想させる、その幕切れのイメージは、決して我々に暗い印象を与えない。そこでこの作品は、ピランデルロがファシストになった証拠だとされ、それまでかれの作品を特徴づけていた、あの恐るべき懐疑が、ここではまったく影をひそめているといわれる。いかにも怒濤に洗われる巌頭に毅然として立つ古典的な聖母子像のすがたは、現実の否定よりも、その否定の否定である現実の絶対的肯定を、破壊よりも、破壊を通しての建設を、懐疑よりも、懐疑の果てにうまれる揺るぎない信仰を象徴するもののように思われる。にも拘らず、私が、すでにピランデルロの懐疑は、病、膏肓にはいっており、たとえファシストになったにせよ、その結果、全治するような軽傷ではさらさらなく、むしろ、この作品によって打診するならば、もはや、救いがたいまでにその病が重くなっているとするのは、聖母子像の劇的なポーズに誇張をみいだすからではなく、元来、それが「新しい植民地」であり、そうして、「古いユートピア」であるからであった。いつの時代にあってもユートピアとは、懐疑の表現以外のなにものでもないのだ。

 ルイジ・ピランデルロ(1867-1936)、日本語の wikipedia 情報から抜き出すと、 イタリア出身の劇作家で1934年にノーベル文学賞を受賞している。代表作は、「作者を探す六人の登場人物」(1921)。『新しき植民地』(1928)は、岩崎純孝訳で日本出版社から1942年に刊行されたらしい。(花田は、これを読んだ? それとも原書? )

参照: ルイージ・ピランデルロ(Luigi Pirandello)

 ピロンデルロがファシズムに傾斜したとか、ここで述べられている事についてなにか分かったら追記する。

 そのあとに続く部分で、花田は、芸術にあらわれたユートピアに「一片の真実」があるならば、「同時代に対する作者の懐疑が、あくまで真実のもの」であった場合だと述べ、これまでのユートピアを「原始社会の『自由』」に求めたものと「未来社会の『進歩』」として描いたものの二つのタイプに分けられると述べている。そして、どちらもが現代では魅力を失ってしまったと述べる。つまり、原始社会に対しては、「植民地経営の発展が、我々に原始人との直接的な接触の機会を増し」たことにより、未来社会に対しても「資本の有機的構成の高度化が、技術の進歩のいかなるものでるか」を教えたためにそれらに幻想を抱くことができなくなってしまったのだ、という。

 しかし、「ユートピア」というアイデアそのものは、現代でも魅力を失ったものではなく、現代版のユートピアというものが構想しうると述べる。それは、旧来のユートピアが封建的な頸木を脱して自由放任(レッセ・フェール)の状態を夢見ていたのとちょうど反対に、「現在、我々もまた、レッセ・フェールの状態を拘束し、生産と消費とを調和させようとして、同様によろめいていないであろうか」という現状認識に基づいている。そして、現代におけるユートピアがどのように可能であるかを次のような不思議なやり方で示そうとする。

 いったいユートピアが、フライアーのいうように「政治的な島」であり、それ自身の空間に存在する完結的な体系であるとするならば、我々の時代におけるユートピアは、経済的には、単純再生産の表式によって正確に表現されるでもあろう。周知のように、単純再生産の正常な進行のためには、生産手段の生産部門(I)のおける可変資本(V)と剰余価値(m)との和が消費資料の生産部門(II)における不変資本(C)にひとしくなければならず――したがって、I.1000V+1000m=II.2000C なる表式の成立が、普遍の諸事情の下におけるユートピア社会の誕生のためには欠くべからざるものであろう。

 ここで述べられている「単純再生産表式」というアイデアは、ケネーの『経済表』をもとにマルクスが編み出したものだそうだ。(再生産表式 - Wikipedia。またまた、wikepedia 情報で恐縮。。参考文献に挙がっている宇野『経済学原論』を読んだら追記します。)花田が、マルクスの名前を挙げていないのは、戦時下という時局を反映しているのだと思う。

 それは、ともかく、花田はこの表式を本気になって書いているのだろうか? それは、かなり疑わしいように思える。花田は、大真面目にこのような表式を持ちだすことで、現代のユートピアの科学性を示すというよりも、アイロニカルに否定しているのだろう、ちょうど、モアについて、「かれの親しい友人であったエラスムスの語るところによれば、日常の会話においても、どこまでがまじめで、どこからが冗談だがはっきり分からないところがあった」と書いているように、花田も冗談と真面目の区別のつきにくい批評家だ。

 このことの当否は、続く部分で花田が、トマス・モアに「現代の精神的ユートピアン」を仮託し、批判的な意見を述べていることからも判断できる。

 花田は、「そこで我々の問題は、このような表式をはっきり意識している人びとによって、いかなるユートピアが追及されるかをみることにある。(中略)しかるに、いささか意外なことに、かれらの思い描いているユートピアは、倫理的=社会的な、いわば精神的ユートピアとでも称すべきものであった」と話を進める。いささか奇妙なことは、現代版精神的ユートピアンたちが誰、もしくはどのような人たちであるかはっきりとは名指されていないことだ。

 そして、花田は、この現代版ユートピアにもっとも近しい「倫理的=社会的な、いわば精神的ユートピア」の提唱者としてユートピア譚の濫觴たるトマス・モア(モーア)その人を名指しする。その理由は、レッセーフェール以前の封建社会(モアの時代)とレッセフェールに拘束をかけようとしている現代(戦時下)の状況の相似に求められるそうだ(つまり、花田は、ユートピア譚をレッセフェール以前のもの、レッセフェール以後のものと現代(戦時下日本)のものに分けていることが分かる)。

 花田が、はっきりと名指ししていない、(花田の)「身辺にあやしげな精神的ユートピアンの夥しくいる」 、このユートピアンがどのような人物を指しているかは、トマス・モアについての記述によって逆に明らかにされる。花田にって、トマス・モアとは次のような人物だ。

思うに(モアは)典型的なヒューマニストであり、ひたすら中世期の余韻を懐かしむには、あまりにも近代的な性格の持ち主であった。かれは没落してゆく封建勢力の支持者ではなく、徹頭徹尾、新興資本家勢力のイデオローグであったのだ
(強調引用者)

 そして、花田は、モアがブルジョアを代表する市民の立場から、王権に使える立場に”転向”したことと彼が「ユートピア」の構想を抱いたことが、同時期であることを指摘して次のように続ける。

エラスムスは例の揶揄的な調子で、ついにモーアが「宮廷に引きずりこまれた」といっているが、この不屈の闘志をもった外柔内剛の一市民が、容易に敵の手中に捕らえられる筈はない。(中略)はたしてかれは、今まで通り、一市民として「下から」闘争しつづけていっていいものであろうか。それとも、すすめられるままに宮廷に入り、「上から」この危機の克服につとめるべきであろうか。いずれにも多くの効果を期待できない。しかし、だからといって、座視しているわけにはいかず、なんとか決着をつけなければならないのだ。のみならず、かれは、人びととともに、いったい、いかなる場所に向かって試むべきであろうか。このとき、かれの心に浮かんだのは、一応「安定」しているにせよ、苛斂誅求の中世農村のすがたでもなく、一応「自由」であるにせよ、黄金の支配下にあるロンドンやアントワープのすがたでもなく――すなわち、封建主義的でもなく、資本主義的でもない『ユートピア』の未知な風景であった。

 ここで花田が名指しを避けて言及している現代(1942 年当時)の精神的ユートピアンとは、誰なのか? あまり難しく考えなくても、革新官僚岸信介や「大東亜共栄圏」、「五族協和」などの精神的倫理的ユートピアを唱えた右翼ファシストたちが想起される(「文化組織」は右翼の中野正剛の弟中野秀人と共同で作った、また、花田は右翼の三浦義一宅に友人の世話で寄宿していたことがあった。つまり、かれらは花田の近辺にあった)。おそらく、次のような記述が、彼らに対する花田清輝の批判の一矢であり、陰になされた時局批判であり、この文章のクライマックスであるのだろう。

それ(ユートピア)は超階級的=集団主義的な国家の構想であった。そうしてモーアには、それを具体化するためには、ブルジョアの利害を代表したまま宮廷へはいり、現実の国家を「改良」してゆく以外に、方法がないように思われた。このような改良主義的な意図を抱く人びとは、屡々、封建勢力と資本勢力の均衡の上に立つ国家を「超階級的」であるかのごとくに錯覚し、この二つの勢力の妥協を企てながら、なにか素晴らしい『ユートピア』でもつくり上げつつあるかのように思いこむ。近代の官僚によくあるタイプだ。レッセ・フェールの拘束が、時として反動的な意味をもち、かれらの「清廉潔白」や「不偏不党」が、阿諛や迎合と紙一重である所以であろう。しかし、それはこの二つの勢力のいずれをも排除する第三の勢力の――かつて死刑にされ、耳をきられた人びとの子孫によって形づくられた第三の勢力の前景に登場する時代において、はじめていえることだ。
(強調引用者)

 花田は、封建的勢力と新興資本家勢力の釣り合いが取れていなかった時代、前者に対して後者がまだまだ圧倒的に弱かった時代においては、トマス・モアの革新官僚としての道行が「荊刺の道」であったと述べ、ヘンリー八世のカトリック教会への離反にたいして教会側を擁護した結果、斬首された運命を記して「ユートピアの誕生」をしめている。

 さいごに言及されている人物名・作品名を一覧で。

  • (ルイジ)ピランデルロ 『新しい植民地』
  • (アンドレ)マルロー
  • フライアー (だれ? 情報求めます!)
  • (フランソワ)ケネー 『支那の専制政治』、『経済表』
  • (トマス)モーア 『ユートピア』、『ヘンリー八世の擁護』、『対話』
  • ヘンリー八世 『七聖式擁護論』
  • (デジデリウス)エラスムス
  • モレル (だれ? 情報求めます!)
  • (ジョン)コレット
  • マルティン)ルター


ユートピア (岩波文庫)

ユートピア (岩波文庫)

ケネー 経済表 (岩波文庫)

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