わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

アンスコム「トルーマン氏の学位」 (1/2)

イギリスの哲学者、G.E.M.アンスコムと原爆投下を批判したアンスコムの論文「トルーマン氏の学位」について知ったのは、三浦俊彦『戦争論理学』(二見書房)と加藤尚武『バイオエシックスとは何か』(勁草書房)を読んだとき。(どちらを先に読んだかは、忘れてしまいました。)

 気になって、なんとなく読んでみたら、予想以上に難しく、日本語訳もないので、なんとなく訳し出したら、半分まで来たので公開してみることにしました。いろいろ間違ってると思います。誤訳指摘などしていただけたらと。。。

戦争論理学 あの原爆投下を考える62問

戦争論理学 あの原爆投下を考える62問

バイオエシックスとは何か

バイオエシックスとは何か

 あと、終戦史に関するこの本をよんだのも、これを読んでみようと思ったきっかけであるかも。

暗闘(上) - スターリン、トルーマンと日本降伏 (中公文庫)

暗闘(上) - スターリン、トルーマンと日本降伏 (中公文庫)

(<-この本の感想も書きたいのですが、重量級の内容でなかなか書くのが難しい)

 二部構成になっているのですが、とりあえず第一部。でも、続くかどうかは分かりません。(それどころか、しばらく、ブログの更新頻度自体が落ちると思います。でも、誤訳の指摘とか頂いたら、なるべく速やかに反映します)

 あと、以下の論文を参考にいたしました。

(寺田俊郎「あるアメリカ人哲学者の原子爆弾投下批判」)
http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime/pdf/prime31/01_terada.pdf

「アメリカ人哲学者」というのはロールズの事ですが、アンスコムの論旨の適格な要約と批判が載っていました。"murder"を"謀殺"と訳したのもここを見てです。

 この論文(エッセイ?)は、自分の所属するオックスフォード大学が、トルーマンに名誉学位をおくろうとしたことに反対したアンスコムが、自身の意見をまとめて書いてパンフレットとして出版したものだそうです。

 アンスコムは、まず原爆投下に至るプロセスを簡潔にまとめ、「無条件降伏」という要求が原爆投下につながったことを指摘しています。さらに、罪のない("innocent")人を自分の目的のために殺す("kill")ことを謀殺("murder")であるとし、原爆投下は、明らかに罪のない人を自分の目的のために殺すことを決定した謀殺であったと指摘します。

 アンスコムは、原爆投下がより大規模な被害を防いだのだという反論には、それは無条件降伏要求という条件下で言えることだと指摘しています。

 ここらへんの無条件降伏要求への評価が、原爆投下の歴史的プロセスをめぐるアンスコムの指摘の肝のようです。

原文

http://www.pitt.edu/~mthompso/readings/truman.pdf

(追記:2013/03/01)
Apeman さんに、頂いたコメントを和訳に反映させました。 Apeman さん、どうもありがとうございます!

見やすいように、まず現時点での訳を載せ、次に最初の訳との違いが分かるものを載せました。

(追記:2013/03/02)
さらにコメント欄で頂いた修正を反映しました。


(現時点での訳)

ルーマン氏の学位 

G.E.M.Anscombe 

著者によるパンフレット

(オックスフォード 1958)

I

 1939年、戦争の勃発に際して、合衆国大統領は、敵対している国々に対して市民が攻撃されないことを保証するよう要求した。


 1945年、敵国日本が和平のための試みを二回行っていたことを知っていたのに、合衆国大統領は日本の都市に原子爆弾を投下する命令を下した。三日後に、二つ目の違う種類の原爆が別の都市に投下された。二発目が投下される前に最後通牒が送られることはなかった。


 このように並べてみると、一連の出来事には、探求すべき対照点がある。明らかに飛躍があるのだ。一連の出来事がたくらまれた経緯が検討されるべきだ。わたしの考えでは、納得のいく説明を与えることは難しくはない。


1) 英国政府は、ローズベルト大統領に要求された保証を与えたが、「ドイツ人が何かしたら、同程度のことをわれわれもやり返す」という保留を付けた。相手がクインズベリー・ルールを放棄するなら、(こちらも)それに従うと約束することはないのだ。


2) 戦争を終結するための唯一の条件は無条件降伏だと宣言された。「従属させられている人々の解放」を除けばその目的はあいまいだった。無条件降伏という要求は、ヒトラー政権と和平を結ばないという決心と混同されていた。ヒトラーの経歴から分かる人間性を考慮すれば、この態度は全くもっともなものだ。それにもかかわらず、今日では、この態度に疑いを抱く人たちもいる。敗北自体がヒトラー政権の不信任と崩壊につながったのではないかと考えているのだ。これについてわたしは、強いて意見を述べる気はない。わたしが疑問に思うのは、ヒトラー政権と和平を結ばないという意志が、必然的に無条件降伏という目標を含意するのかということだ。もしわたしたちがかなり明確な目的、すなわちわれわれがドイツと結ぶつもりのあった(和平の)条項の大まかな道筋を、ヒトラー政権と和平を結ばないという意志を示しつつ形にすることができていれば、そうすることは不可能ではなかったかもしれないのだが、後半の要求の分別に関する疑問は比較的重要ではなかっただろう。しかしそうでなければ、それで決まりだ。諸悪の根源は無条件降伏を要求したことだったのだ。このような要求をすれば、もっとも残忍な手段を使わなければならなくなることは明らかだ。さらに、明確でない要求を申し込むことは、それ自体では、愚かで野蛮なことだ。


3) ドイツ人は、この国に対して大量の無差別攻撃を行った。事情に通じていないものには、どの程度の責任が、積荷(爆弾)を軍事目標にのみ用いることに対するパイロットの側の無関心に帰せられるべきで、どの程度の責任が彼らを派遣した人々の方針に帰せられるべきなのか見極めるのは難しい。同様に、同じ時期にわたしたちが何をしていたのかも、私たちは知らない。しかし、確実に言えるのは、1939 年の段階でそのような爆撃が起こって、紛れもない都市への空襲に発展することはないと考えていたのは馬鹿者だけだということだ。


4) この国では、戦前にはしばしば、戦中においては頻繁に現代戦における(戦闘員と非戦闘員との)「不可分性」という主題に関するプロパガンダが流された。わたしたちは、市民と軍隊とは全く同じく戦闘員であると聞かされた。ある国の軍事力は、その国の経済と社会全体の強さを含んでいるのだ。それゆえ、事実上、戦争遂行に参加している人たちと一般大衆を区別することは出来ない。傍観者というものは存在しない。郵便切手を買っても、税金のかかっているものは何を買っても、ジャガイモを育てても、肉料理を作っても、「戦争努力」につながらないものはない。戦争とは、実に”ぞっとするような悪”だ。しかし、一旦はじまってしまうと”不参加”でいることはできない。”悪いこと”は戦争が遂行されていれば必ずなされるし、誰もがそれに巻き込まれてしまう。これについては、物悲しいまでに高められた道徳的なトーンの「集団責任」という教説があった。その要点は、正当な攻撃目標と攻撃すべきでない対象を区別しようなんて馬鹿馬鹿しいというものだ。わたしには、子供や老人がこの話にどう組み込まれているのか分からない。たぶん彼らは、兵士や軍需労働者を励ましたのだ。


5) 日本人は真珠湾を攻撃し、米国と日本の戦争が始まった。アメリカの(共和党員の)歴史家の中には、米国政府が攻撃の数時間前に危機が迫っていることを知っていたにもかかわらず、現地の指揮下にあった人々に警告をしなかったという有名な事実は、アメリカ人の戦意を昂揚するためにだとしか説明できないと主張する人もいる。しかしながら、それがどうであれ、そのような情熱はつきづきしく昂揚させられ、戦争はあいまいなうちに開始され、それゆえその目的にはきりがなかった。そして、無条件降伏が戦争を終結する唯一の条件となった。


6) そして、大きな変化が現れた。われわれは、「目的爆撃」とことなる「地区爆撃」を採用した。これ(地区爆撃)は戦争中にすでに行なわれていたような、都市への大空襲とさえ次の点で異なる。すなわちより大規模、破壊的で、計画的だった。ある都市の全地域は爆弾によって輪郭を描かれ中を埋められた。「アッチラすらいくじなしだった」これがシカゴ・トリビューンがこの件について書いた記事の見出しだ。


7) 1945年、7月のポツダム会議においてスターリンは米国・英国の政治家に日本人が彼に戦争終結の仲介者として働くことを二回にわたって求めてきたと明かした。彼は、拒絶していた。連合国は、米国が保持している新型の爆弾を使うという「一般原則」-素晴らしい言葉だ!-に基づいて同意した。日本はポツダム宣言という形でチャンスを与えられ、まもなく日本に対して配置される圧倒的な戦力に対する無条件降伏を要求された。ある国際問題調査会(the Survey of International Affairs)の歴史家は、(ポツダム宣言が)一連の条項を言明したことによって、この言葉(無条件降伏)を無意味なものにしたとみなしている。しかし、そうした条項のうち、連合国の要求を含んだものは、あまりにあいまいで大雑把なものであって、条件を設定するというよりも、無条件降伏とはなにかの宣言のようなものだ。日本人は、非常に絶望的な状況にあったので、彼らの皇帝への忠誠("their loyalty to their Emperor")さえなければ、すぐにポツダム宣言を受け入れただろうということは広く認められている。この無条件降伏の「諸条項」は、連合国が望めば、天皇が排除されるかもしれないことを意味していた。日本人は、宣言を拒否した。その結果、広島と長崎に原爆が落とされた。この原爆を人間に使うという決定はトルーマン氏によってなされた。

______________________________


人が罪のないもの("the innocent")を、自分の目的の手段("as a means to their ends")として殺す("kill")ことは、常に謀殺(故意に殺すこと,"murder")である。そして謀殺は、人間の行為のうちの最悪のもののひとつである。それ故に、戦時捕虜や市民を故意に殺してはならないという禁止はクインズベリー・ルールとは異なった決まりなのだ。その強制力は、政党が討論し、賛成し、成文法にまとめ上げられ発布されたからあるのではない。

わたしが、自分の目的の手段として殺すことを選択する事は謀殺であるというとき、一般に正しいこととして受け入れられているであろうことを主張している。しかしながら、わたしは、「罪のない人」とはどう定義されるのかという質問には答えなければならないだろう。これについては、後で述べる。ここでは、定義を持ちだす必要は必ずしもない。広島と長崎については境界線上の問題を扱っているわけではないからだ。これらの都市への爆撃は、罪のない人たちを目的の手段として殺す事が決心されたのだ。そして大部分の人たちは警告もなく、逃げ場もなく、防空壕もなかった。それらは「地区爆撃」されたドイツへの都市においてすらあったのに。


長いことわたしは、トルーマン大統領がこの決断をした勇気というような御托に困惑させられてきた。わたしは、自らが危険に晒されていると考える理由なしに人が臆病たりうることを知っている。しかしいかにして(そうした理由なしに)ひとは勇敢たり得るのか? 後になってある考えがひらめいた。この言葉は真理の承認の意味なのだ。トルーマン氏は勇気があった。その理由、そして唯一の理由は、彼のしたことが非常に悪いことだったことだ。しかしこの判断はあやふやなものだと思う。与えられた状況(例えば、関係者が誰も反対しない)によっては、二流の人物が大悪をなし、それゆえに印象に残らないこともある。


わたしはトルーマン氏に、ここ、オックスフォード大学において名誉学位を進呈するという提案に反対する事を決意した。今日では、名誉学位は業績に対して与えられるものではない。それは、いってみれば、傑出した人物に与えられるものである。更に、ある候補者が実際に傑出しているか考えても馬鹿馬鹿しいだけだろう。そういうわけで、一般的には某某氏が名誉学位に適しているかなどどうでもいい。傑出した人物が同時に悪名高い犯罪者ということはめったにないことだろう。そしてもし彼がたまたま悪名の流れていない犯罪者(トルーマンのこと)だったとしたら、私の意見では名誉学位の授与を提起するのは不適切だろう。このような疑問が少しでも興味を引くのは、ある行動によって広く知られている人物がまさにその行動によっておべっかを使われている非常にまれなケースにおいてだ。


わたしは「高潔だ」と非難されてきた。わたしは次のように言っているにちがいない「善なる結果をもたらすためであっても悪をなしてはいけない」、と。これは賛意の得られないほど高潔な主張である。あの行動は必要なものだったのだ、あるいは、すくなくとも、有能な軍事の専門家の意見では必要であった。おそらくそれが犠牲にしたよりも多くの命を救ったのだろう。善い結果だったのだ、それによって戦争が終わったのだから。では考えてみよう。一人の赤ん坊を茹でるのとおそるべき災害が何千人もの‐何百万人でもよい、千人では不十分だというのなら‐人々にもたらされるのを許容するのを選択するよう迫られたら‐どうするだろうか? 態度を決めて、こういうだろうか、「善なる結果をもたらすためであっても悪をなしてはいけない」、と。(こういう議論を聞いたことがない人は、まさかそんなことが起こるだろうとはまず信じられずに、足早に通り過ぎてしまうだろう)


「間違いなく非常に多くの人命が救われた」所与の条件の下でなら、私は同意する。つまりこういうことだ。原爆投下がなければ、連合国は目的を達成するために日本に上陸しなければならず、そしてそれを実行しただろう。両陣営の兵士が大量に殺され、又、日本人が大量に戦時捕虜を殺すといわれていた‐実際にそうしただろう。そしてまた多くの一般市民が「通常兵器」で殺されただろう。


この点を論じようとは思わない。与えられた条件のもとでは、これらは原爆投下という行為によって回避されたこと、ということになるのだろう。しかし、条件とは何だったのか? 制限のない目的、無条件降伏への執着だ。日本人は和平交渉を望んでいたという事実は無視されていた。それにポツダム宣言の特質もある。それが(日本に)与えたチャンス(がどのようなものだったか)、だ。なかには新しい兵器を使いたくてうきうきうずうずしていたのだという人もいるだろうが、わたしはそうは言わない。しかし、そのような兵器を所持しているという意識が日本人への”チャンス”の与え方に影響を与えたと見るのは妥当だろう。


わたしたちは、「善い結果をもたらすかもしれない悪をなす」ための原則を、いまや、あらためて公式化する事ができる。どんな愚か者も彼(の愚かさ)に見合ったゴロツキたりうる


わたしは偉大な哲学者を学んでいる学生たちに、愚かであるならば、善人になることも善行をなすこともできないというアリストテレスのテーゼについてきらきらとした光を投げてくれるので、この歴史について勉強するよう勧めている。


わたしは、学部長にトルーマン氏の学位授与に反対するというわたしの意図を伝えた。彼は、総務係にわたしに手続きについて教えるように伝えた。話は、副学長まで伝わった。わたしは、おそるおそるというかんじで仲間がいるのか聞かれた。わたしにはいなかった。しかし、評議会は、この名誉学位に投票するよう促されていた。セント・ジョーンズの学監たちは簡潔に「あの女たちが評議会で何かやらかすつもりだから、いって否決しろ」と命じられていた。ウェールズやオール・ソウルズやニュー・カレッジでは、しかし、わたしの聞いたところでは意見が沸騰していたようだ。彼らを満足させる理屈が見出された。「トルーマン氏を罰しようというのは間違いだ」というものだ。わたしにはセント・ジョーンズの対応の方がましというほかない。


セント・キャサリンの学生監は非常に不愉快な仕事を任せられた。彼は、ある人物を一連の虐殺によって讃えようとしているわけではないふりをスピーチでしなくてはならなかったのだ。しかし、彼には一つ有利な点があった。つまり、彼には聴衆を納得させる必要はなかったのだ、なぜなら、彼らはすでに完璧にこの機微を理解していたから。しかし、何らかの見世物が必要だった。


そこでなされた弁護は、ニュルンベルクでやったら受入れられなかっただろう、とわたしは思う。


わたしたちはこの行動に賛成しない。いや、それどころか、わたしたちは間違っていると考える。(これは共産主義者たちが今日、スターリンのより大規模な虐殺について話すやり方だ)それ以上にトルーマン氏は自分で爆弾をつくったり、他の誰にも相談せずに投下を決定したのではない。いや、彼はこの決定にのみ責任を負うのだ。いやいや、ある人物が「命令書の下の方に記された署名」のみによって責任を負わされることはない。では彼はこの決定についても責任がないのか? ブロック氏がそういうことを言っていたかどうかは、はっきりしなかった。しかし、わたしは、トルーマン氏の自慢話についてだれかがそいつはウソだと言ったらしいことを聞いたことはない。結局、この手の話は、一挿話にすぎない。トルーマン氏は何事かをしたのだ。


わたしはある意味でこのようなスピーチが緻密な考察に値しないことは分かっている。結局、ただ機会があったから何か言っただけなのだ。彼は何かを話さなくてはいけなかった。こういう状況で誰が何を言ったかから、その人が何を考えたかを仮定してはいけない。セットビング教授が政治家向けのスピーチでさらけ出した欺瞞は滑稽な見せものだ。

(もと訳との比較)

ルーマン氏の学位 

G.E.M.Anscombe 

著者によるパンフレット

(オックスフォード 1958)

I

 1939年、戦争の勃発に際して、合衆国大統領は、敵対している国々に対して市民が攻撃されないことを保証するよう要求した。


 1945年、敵国日本が和平のための試みを二回行っていたことを知っていたのに、合衆国大統領は日本の都市に原子爆弾を投下する命令を下した。三日後に、二つ目の違う種類の原爆が別の都市に投下された。二発目が投下される前に最後通牒が送られることはなかった。


 このように並べてみると、一連の出来事には、探求すべき対照点がある。明らかに飛躍があるのだ。一連の出来事がたくらまれた経緯が検討されるべきだ。わたしの考えでは、納得のいく説明を与えることは難しくはない。


1) 英国政府は、ローズベルト大統領に要求された保証を与えたが、「ドイツ人が何かしたら、同程度のことをわれわれもやり返す」という保留を付けた。クインズベリー・ルールによれば、相手が約束を破れば、約束に従うことはないのだ。相手がクインズベリー・ルールを放棄するなら、(こちらも)それに従うと約束することはないのだ


2) 戦争を終結するための唯一の条件は無条件降伏だと宣言された。「従属させられている人々の解放」を除けばその目的はあいまいだった。無条件降伏という要求は、ヒトラー政権と和平を結ばないという決心と混同されていた。ヒトラーの経歴から分かる人間性を考慮すれば、この態度は全くもっともなものだ。それにもかかわらず、今日では、この態度に疑いを抱く人たちもいる。敗北自体がヒトラー政権の不信任と崩壊につながったのではないかと考えているのだ。これについてわたしは、強いて意見を述べる気はない。わたしが疑問に思うのは、ヒトラー政権と和平を結ばないという意志が、必然的に無条件降伏という目標を含意するのかということだ。もし、わたしたちがそれなりに明確な目的とドイツと交渉する道筋を、もしわたしたちがかなり明確な目的、すなわちわれわれがドイツと結ぶつもりのあった(和平の)条項の大まかな道筋を、ヒトラー政権と和平を結ばないという意志を示しつつ形にすることができていれば、そうすることは不可能ではなかったかもしれないのだが、後半の要求の分別に関する疑問は比較的重要ではなかっただろう。しかしそうでなければ、必要だったそれで決まりだ。諸悪の根源は無条件降伏を要求したことだったのだ。このような要求をすれば、もっとも残忍な手段を使わなければならなくなることは明らかだ。さらに、無制限の明確でない要求を申し込むことは、それ自体では、愚かで野蛮なことだ。


3) ドイツ人は、この国に対して大量の無差別攻撃を行った。事情に通じていないものには、どの程度の責任が軍事施設を攻撃したパイロットの冷淡さに帰せられ、どの程度の責任が、積荷(爆弾)を軍事目標にのみ用いることに対するパイロットの側の無関心に帰せられるべきで、どの程度の責任が彼らを派遣した人々の方針に帰せられるべきなのか見極めるのは難しい。同様に、そのとき同じ時期にわたしたちが同じ瞬間に何をしていたのかも、私たちは知らない。しかし、確実に言えるのは、 1939 年の段階でそのような爆撃が起こるはずもないそのような爆撃が起こって、紛れもない都市への空襲に発展することはないと考えていたのは馬鹿者だけだということだ。


4) この国では、戦前にはしばしば、戦中においては頻繁に現代戦における「個人」の主体現代戦における(戦闘員と非戦闘員との)「不可分性」という主題に関するプロパガンダが流された。わたしたちは、市民と戦闘中の軍隊とは全く同じく戦闘員であると聞かされた。ある国の軍事力は、その国の経済と社会全体の強さの総和なのだ含んでいるのだ。それゆえ、事実上、戦争遂行に参加している人たちと一般大衆を区別することは出来ない。傍観者というものは存在しない。郵便切手を買っても、税金のかかっているものは何を買っても、ジャガイモを育てても、肉料理を作っても、「戦争努力」につながらないものはない。戦争とは、実に”幽霊のようなぞっとするような悪”だ。しかし、一旦はじまってしまうと”不参加”でいることはできない。”悪いこと”は戦争が遂行されていれば必ずなされるし、誰もがそれに巻き込まれてしまう。これについては、悲しげで気高い道徳的なトーンで語られた「集団責任」という宣言物悲しいまでに高められた道徳的なトーンの「集団責任」という教説があった。その要点は、妥当な正当な攻撃目標と攻撃すべきでない対象を区別しようなんて馬鹿馬鹿しいというものだ。わたしには、子供や老人がこの話にどう組み込まれているのか分からない。たぶん彼らは、兵士を励ましたり、軍需品を供給したりした兵士や軍需労働者を励ましたのだ


5) 日本人は真珠湾を攻撃し、米国と日本の戦争が始まった。アメリカの(共和党員の)歴史家の中には、米国政府が攻撃の数時間前に危機が迫っていることを知っていたにもかかわらず、現地の指揮官現地の指揮下にあった人々に警告をしなかったという有名な事実は、アメリカ人の戦意を昂揚するためにだとしか説明できないと主張する人もいる。しかしながら、そうだったかもしれないがそれがどうであれ、そのような情熱はつきづきしく昂揚させられ、戦争はあいまいなうちに開始され、それゆえその目的にはきりがなかった。そして、無条件降伏が戦争を終結する唯一の条件となった。


6) そして、大きな変化が現れた。われわれは、「目的爆撃」とことなる「地区爆撃」を受け入れた採用したこれは都市への奇襲とも異なる。都市への奇襲はこの戦争では既に実地されていたが、こちらの方がずっと大規模ではるかに破壊的で、計画的だった。これ(地区爆撃)は戦争中にすでに行なわれていたような、都市への大空襲とさえ次の点で異なる。すなわちより大規模、破壊的で、計画的だった。ある都市の全地域は爆弾によって輪郭を描かれ中を埋められた。「アッチラすらいくじなしだった」これがシカゴ・トリビューンがこの件について書いた記事の見出しだ。


7) 1945年、7月のポツダム会議においてスターリンは米国・英国の政治家に日本人が彼に戦争終結の仲介者として働くことを二回にわたって求めてきたと明かした。彼は、拒絶していた。連合国は、米国が保持している新型の爆弾を使うことをという「一般原則」-素晴らしい言葉だ!-に基づいて同意した。日本はポツダム宣言という形でチャンスを与えられ、目の前に整列した軍隊まもなく日本に対して配置される圧倒的な戦力に対する無条件降伏を要求された。ある国際問題調査会(the Survey of International Affairs)の歴史家は、専門用語の羅列がポツダム宣言が)一連の条項を言明したことによって、この言葉(無条件降伏)を無意味なものにしたとみなしている。しかし、連合国を構成する国々の要求そうした条項のうち、連合国の要求を含んだものは、あまりにあいまいで大雑把なものであって、条件を設定するというよりも、無条件降伏とはなにかの宣言のようなものだ。日本人は、非常に絶望的な状況にあったので、彼らの皇帝への忠誠("their loyalty to their Emperor")さえ守られればなければ、すぐにポツダム宣言を受け入れただろうということは広く認められている。この無条件降伏という「言葉」の「諸条項」は、連合国が望めば、天皇が排除されるかもしれないことを意味していた。日本人は、宣言を拒否した。その結果、広島と長崎に原爆が落とされた。この原爆を人間に使うという決定はトルーマン氏によってなされた。

______________________________

人が罪のないもの("the innocent")を、自分の目的の手段("as a means to their ends")として殺す("kill")ことは、常に謀殺(故意に殺すこと,"murder")である。そして謀殺は、人間の行為のうちの最悪のもののひとつである。それ故に、戦時捕虜や市民を故意に殺してはならないという禁止はクインズベリー・ルールとは異なった決まりなのだ。その強制力は、政党が討論し、賛成し、成文法にまとめ上げられ発布されたからあるのではない。

わたしが、自分の目的の手段として殺すことを選択する事は謀殺であるというとき、これから徐々に認められるであろうことを主張している一般に正しいこととして受け入れられているであろうことを主張している。しかしながら、わたしは、「罪のない人」とはどう定義されるのかという質問には答えなければならないだろう。これについては、後で述べる。ここでは、定義を持ちだす必要は必ずしもない。広島と長崎については境界線上の問題を扱っているわけではないからだ。これらの都市への爆撃は、罪のない人たちを目的の手段として殺す事が決心されたのだ。そして大部分の人たちは警告もなく、逃げ場もなく、防空壕もなかった。それらは「地区爆撃」されたドイツへの都市においてすらあったのに。


長いことわたしは、トルーマン大統領がこの決断をした勇気というような御托に困惑させられてきた。もちろん、わたしは危機を関知する理性がなければ臆病になってしまう事は分かる。しかし、どうして勇気をもてるのか? わたしは、自らが危険に晒されていると考える理由なしに人が臆病たりうることを知っている。しかしいかにして(そうした理由なしに)ひとは勇敢たり得るのか? 後になってある考えがひらめいた。この言葉は真理の承認の意味なのだ。トルーマン氏は勇気があった。なぜならば、唯一つの理由、彼のしたことが秘教に悪いことだったたから。その理由、そして唯一の理由は、彼のしたことが非常に悪いことだったことだ。しかしこの判断はあやふやなものだと思う。与えられた状況(例えば、関係者が誰も反対しない)によっては、二流の人物が大悪をなし、それゆえに印象に残らないこともある。


わたしはトルーマン氏に、ここ、オックスフォード大学において名誉学位を進呈するという提案に反対する事を決意した。今日では、名誉学位は業績に対して与えられるものではない。それは傑出した人物に与えられるものである。(あるいはあったかもしれない)それは、いってみれば、傑出した人物に与えられるものである。更に、ある候補者が実際に傑出しているか考えても馬鹿馬鹿しいだけだろう。なぜなら、一般的には某某氏が名誉学位に適しているかなどどうでもいいからだ。そういうわけで、一般的には某某氏が名誉学位に適しているかなどどうでもいい。傑出した人物が同時に悪名高い犯罪者ということはめったにないことだろう。また、私の考えではある人物が大悪人出ない可能性があったら、その方が名誉学位にふさわしいだろう。そしてもし彼がたまたま悪名の流れていない犯罪者(トルーマンのこと)だったとしたら、私の意見では名誉学位の授与を提起するのは不適切だろう。このような疑問が少しでも興味を引くのは、ある行動によって広く知られている人物がまさにその行動によっておべっかを使われている非常にまれなケースにおいてだ。


わたしは「高潔だ」と非難されてきた。わたしは次のように言っているにちがいない「善なる結果をもたらすために悪をなしてはいけない善なる結果をもたらすためであっても悪をなしてはいけない」、と。これは賛意の得られないほど高潔な主張である。あの行動は必要なものだったのだ、あるいは、すくなくとも、軍事的には必要だと考えられた有能な軍事の専門家の意見では必要であった。おそらくそれが犠牲にしたよりも多くの命を救ったのだろう。善い結果だったのだ、それによって戦争が終わったのだから。では考えてみよう。一人の赤ん坊を茹でるのとおそるべき災害が何千人もの‐何百万人でもよい、千人では不十分だというのなら‐人々にもたらされるのを許容するのを選択するよう迫られたら‐どうするだろうか? 態度を決めて、こういうだろうか、「善なる結果をもたらすために、悪をなしてはいけない善なる結果をもたらすためであっても悪をなしてはいけない」、と。(こういう主張を聞いたことがない人は、まさか実行するまいと信じ込んで、こういう議論を聞いたことがない人は、まさかそんなことが起こるだろうとはまず信じられずに、足早に通り過ぎてしまうだろう)


「間違いなく非常に多くの人命が救われた」この所与の条件にはわたしは同意する。所与の条件の下でなら、私は同意する。つまりこういうことだ。原爆投下がなければ、連合国は目的を達成するために日本に上陸しなければならず、そしてそれを実行しただろう。両陣営の兵士が大量に殺され、又、日本人が大量に戦時捕虜を殺すといわれていた‐実際にそうしただろう。そしてまた多くの一般市民が「通常兵器」で殺されただろう。


この点を論じようとは思わない。与えられた条件の下ではこの通りに事は進んだのだろう。与えられた条件のもとでは、これらは原爆投下という行為によって回避されたこと、ということになるのだろう。しかし、条件とは何だったのか? 制限のない目的、無条件降伏への執着だ。日本人は和平交渉を望んでいたという事実は無視されていた。それにポツダム宣言の特質もある。それが(日本に)与えたチャンス(がどのようなものだったか)、だ。なかには新しい兵器を使いたくてうきうきうずうずしていたのだという人もいるだろうが、わたしはそうは言わない。しかし、そのような兵器を所持しているという意識が日本人への”チャンス”の与え方に影響を与えたと見るのは妥当だろう。


わたしたちは、「善い結果をもたらすかもしれない悪をなす」ための原則を、いまや、あらためて公式化する事ができる。どんな愚か者も彼(の愚かさ)に見合ったゴロツキたりうる。


わたしは偉大な哲学者を学んでいる学生たちに、愚かであるならば、善人になることも善行をなすこともできないというアリストテレス論文テーゼについてきらきらとした光を投げてくれるので、この歴史について勉強するよう勧めている。


わたしは、学部長にトルーマン氏の学位授与に反対するというわたしの意図を伝えた。彼は、総務係にわたしに手続きについて教えるように伝えた。話は、副学長まで伝わった。わたしは、おそるおそるというかんじで仲間がいるのか聞かれた。わたしにはいなかった。しかし、評議会は、この名誉学位に投票するよう促されていた。セント・ジョーンズの学監たちは簡潔に「あの女たちが評議会で何かやらかすつもりだから、いって否決しろ」と命じられていた。ウェールズやオール・ソウルズやニュー・カレッジでは、しかし、わたしの聞いたところでは意見が沸騰していたようだ。彼らを満足させる理屈が見出された。「トルーマン氏を罰しようというのは間違いだ」というものだ。わたしにはセント・ジョーンズの対応の方がましというほかない。


セント・キャサリンの学生監は非常に不愉快な仕事を任せられた。彼は、ある人物を一連の虐殺によって讃えようとしているわけではないふりをスピーチでしなくてはならなかったのだ。しかし、彼には一つ有利な点があった。つまり、彼には聴衆を納得させる必要はなかったのだ、なぜなら、彼らはすでに完璧にこの機微を理解していたから。しかし、何らかの見世物が必要だった。


そこでなされた弁護は、ニュルンベルクでやったら受入れられなかっただろう、とわたしは思う。


わたしたちはこの行動に賛成しない。いや、それどころか、わたしたちは間違っていると考える。(これは共産主義者たちが今日、スターリンのより大規模な虐殺について話すやり方だ)それ以上にトルーマン氏は自分で爆弾をつくったり、他の誰にも相談せずに投下を決定したのではない。いや、彼はこの決定にのみ責任を負うのだ。いやいや、ある人物が「命令書の下の方に記された署名」のみによって責任を負わされることはない。では彼はこの決定についても責任がないのか? ブロック氏がそういうことを言っていたかどうかは、はっきりしなかった。しかし、わたしは、トルーマン氏の自慢話についてだれかがそいつはウソだと言ったらしいことを聞いたことはない。結局、この手の話は、一挿話にすぎない。トルーマン氏は何事かをしたのだ。


わたしはある意味でこのようなスピーチが緻密な考察に値しないことは分かっている。結局、ただ機会があったから何か言っただけなのだ。彼は何かを話さなくてはいけなかった。こういう状況で誰が何を言ったかから、その人が何を考えたかを仮定してはいけない。セットビング教授が政治家向けのスピーチでさらけ出した欺瞞は滑稽な見せ者だ。

固有名詞や歴史的事実の注釈なり感想なりは、徐々に調べたりして追記していきます。

(追記:2013/03/01)

"Mr. Truman's Degree" は、G.E.M. Anscombe, Ethics, Religion and Politics, Basil Blackwell, Oxford, 1981 に収められているそうです。(『バイオエシックスとは何か』参照)

Ethics, Religion and Politics: Collected Philosophical Papers (The Collected Philosophical Papers)

Ethics, Religion and Politics: Collected Philosophical Papers (The Collected Philosophical Papers)

(追記:2013/03/02)

「善なる結果をもたらすためであっても悪をなしてはいけない」("You may not do evil that good may come.")という言葉は、聖書のローマの信徒への手紙(ローマ 3:8)からきているようです。

ぼくの持っている日本国際ギデオン協会の英日対訳の『新約聖書』では、次のようになっています。

And why not say, "Let us do evil that good may come"?-as we are slanderously reported and as some affirm that we say. Their condemnantion is just.

「善を現すために、悪をしようではないか。」と言ってはいけないのでしょうか。-私たちはこの点でそしられるのです。ある人たちは、それが私たちのことばだと言っていますが、-もちろんこのように論じる者どもは当然罪に定められるのです。

また、もう一冊ある日本聖書協会の新協同訳の『新約聖書』では、次のようになっています。

それに、もしそうであれば、「善が生じるために悪をしよう」とも言えるのではないでしょうか。わたしたちがこう主張していると中傷する人々がいますが、こういう者たちが罰を受けるのは当然です。

http://www.biblegateway.com/ で、"Romans 3:8"を検索するとこの箇所のいろいろな英訳が読めました。