わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

ゲリー・ウィルズ著・北沢栄訳『リンカーンの三分間‐ゲティスバーグ演説の謎』(1995、原著1993、共同通信社)

 3/4-3/7で読み終わった。有名なリンカーンゲティスバーグでの追悼演説(1863)を思想的・文体的な観点から分析した本。

 まずそもそも、リンカーンの有名な演説が 272 語、わずか3分間の演説だったこと自体知らなかったので、そこからして驚き。当然、全文を読んだことはなかったのだけれど、全体に抽象的で、奴隷制についても、言及は具体的でないのを知った。(巻末に原文と全訳が載っている)
 
 リンカーンの演説は、追悼演説として、古代ギリシャペリクレスやゴルギウスと比較され、その系譜に連なることが指摘されている。こう書くと突飛だが、当時のアメリカはギリシャ文明の復興期にあったので、全然意外なことではないみたい。古代ギリシャ演説と比較した著者の分析も説得的。ちなみに、リンカーンと同じ集会で二時間の演説をしたハーバード大学学長のエヴァレットは、そういうギリシャ復興の立役者であったそうだが、実際にやった演説はリンカーンと対照的で、いっそ引き立て役の様になってしまったのは皮肉。(巻末に全訳が載っている。それはそれで、名演説ではあったそうだけど)

 リンカーン奴隷制に関して穏健的な反対派(セオドア・パーカーのように連邦を割っても構わないとか、ジョン・ブラウンのように反逆を起こすとかと違って)であったのはなんとなく知ってたけど、以下のような演説をしてるとは知らなかったので、これを読んだときはショック。

私は言いたい。
 私が、今も、そしてこれまでも、決して
 いかなる方法においても
 白人と黒人の社会的、政治的平等の実現を
 望んだことはない、ということを。
私が、今も、そしてこれまでも、決して
 黒人に選挙権を与え、または陪審員とすること、
 彼らに事務所を構える資格を与えること、
 そして彼らが白人と結婚することを、望んではいないことを。
(pp.103-104)

演説はもっと長く引用されているが、この部分から推して知るべしといった内容。時代的な制約と言ってしまうには、あまりにもきつい内容だ。リンカーン、正しく評価するためには、いろいろと勉強すべきことが多そうだ。

 奴隷解放の”急進派”であるというセオドア・パーカーについては本書では準主役級の扱いであったが、伝記的なことは詳しく分からなかったので、何かいい本があればぜひ読んでみたい。本書では点景とでもいった扱いだった奴隷解放を目指して反乱をおこし、刑死したというジョン・ブラウンも気になるところであった。

 ちなみに、ジョン・ブラウンを讃えて北軍で歌われていた「ジョン・ブラウンの遺体」という歌が現在の「リパブリック賛歌」の原型だそうだ。

 あと、ものすごい重箱の隅的指摘で恐縮だが、 p102 の訳注で歴史家リチャード・ホフスタッターの生没年が 1816-70 になっているが、1916-70 の間違いだよね。リンカーンの同時代人になっちゃうよ。

 目次はやや不親切かなと思ったけれど、注、リンカーン演説索引、人物索引と充実していてその点でも好感が持てる一冊。原著はピューリッツア賞受賞だそうです。

 エドマンド・ウィルソンゴア・ヴィダル、アーサー・シュレンジャーなど、邦訳のある著作を持つ批評家・作家・学者の名前が出て来るのも読書欲をそそるところ。

 エドマンド・ウィルソンは、精神分析的なリンカーン評を批判されていた。