わが忘れなば

備忘録の意味で。タイトルは小沢信男の小説から。

秋草俊一郎『アメリカのナボコフ―塗りかえられた自画像』

去年のうちによんだ。

アメリカ時代以後のナボコフの作家としての活動(死後の活動、つまり遺族による遺稿出版などの活動も含む)と受容について研究した本。

亡命ロシア人社会では有名だが英語圏では無名の作家という状態でナチスを逃れてアメリカに渡ったナボコフが、英語作家として再出発し、『ロリータ』によって成功を掴み、死後も残るどころか、いやましてゆく名声を確立するに至ったということの裏には、巧みなというかむしろ必死の戦略があったことを暴いたといったような内容。

なのでちょっと神話破壊的な趣がある。

ナボコフに関していえば、ぼく個人の読書歴の中では、若島正の海外文学紹介エッセイや評論を読んでナボコフという面白い作家がいて(名前は知っていたけども)、その作品がどんなに巧みなものであるかを知ったという記憶。若島正は、この本の著者に比べてナボコフへの距離が近いというかべったりというか、エッセイも、ナボコフ作品に仕掛けられた巧みなトリックを読み解いいていくというような内容が多かった。なので、ナボコフを深く理解しているけども、少し距離をとってクールに見るというこの本の距離感は新鮮だった。
(というか、そういうテクスト論的なものから最新公開資料を駆使した研究へというのが、ナボコフ研究の潮流そのものなのだそうだ。そもそも著者も、この本の前の本は、ナボコフの作品を精緻に読み解くという内容だったのだ。その本は、出た時に賞をとったりして結構話題になったので図書館で借りて読んだのを覚えている。しかし、その時は、読みきれなかった)

具体的な内容としては、亡命ロシア人社会との関係、出版社・編集者の売り出し戦略、『エウゲニー・オネーギン』の翻訳・注釈に紛れ込ませた自己伝説化の読解、写真やフィルムにおけるイメージ戦略、日本語作家への影響、遺稿の出版やそれにまつわる現在の評価の浮沈といったことが論じられていた。

この中では、亡命ロシア人社会との難しい関係をあつかった章が面白かった。

ロシア語作家であることをやめて、英語作家として再出発したことが、いわば亡命ロシア人社会を裏切ったようなことであった。皮肉を感じたのは、次のようなことに対してだ。ナボコフは、ロシア語の旧作を自分で英訳するようになった。このような自己翻訳は、ナボコフの世界文学性としてプラスに評価されるもののはずだった。しかし、そのうちのある作品は、別の亡命ロシア人文学者の既訳があるものを改めて訳し直したものだった。ナボコフ自身は、既訳は質が低いため改訳したのだと書いているが、本書の検討によると必ずしもそうとはいえない。つまり自己翻訳は、昔のコミュニティへの縁切りのため的な意味合いもあるものだった。

ところがこのように自己翻訳するということは、以後は他人がロシア語作品を英訳をするのがやりづらくなる状況を作ってしまうことでも、当然ある。名作は、時代に応じて新訳がなされることで翻訳としては新しい評価を獲得していくのに、ナボコフ作品はそういう機会が、対英語圏に対しては、なくなってしまった。

このようなことを論じているところは、ナボコフの作家としてのサバイバル戦略の陥穽を、数十年後からの視点で指摘しているようにも、ぼくには思えた。

スキャンダル的な面白みも感じたのは、ナボコフ本人ではなく、死後の遺族の遺稿出版や研究者の動向をあつかった最終章だった。

そういえば、日本では、安原顯村上春樹の原稿を古本屋に売っぱらってしまって、安原死後に村上春樹に告発されたなんてことがあったな、と思い出した。
現代の欧米の出版エージェントの話では、『戦争は女の顔をしていない』が、著書がノーベル賞をとったとたんに単行本を出していた群像社が契約を打ち切られて、文庫本が(大手の)岩波書店から再刊になったという少し前に話題になった話を思い出した。(この件については、まさに本書の著者が言及している。https://www.nippon.com/ja/people/e00092/
死後も手紙などどんどん「作品」が出て(、かつ話題になる)くる大作家といえば、日本では、三島由紀夫か(『十代書簡集』とか)。
三島の遺族って、ドミートリと違ってそんなには表に出てこないけど、手紙の出版などに関して何を考えているんだろうと思ったり。

こんなにも巧みに自己イメージを操作し、作品的成功と人生的成功を一致させえた作家というのは、日本の近現代文学ではあんまり思い浮かばなかったので、ナボコフとは関係ないけど日本での対応事例を色々と考えてしまった。

アメリカのナボコフ――塗りかえられた自画像

アメリカのナボコフ――塗りかえられた自画像

最近読んだ本と読んでいる本

のうちいくつか。

ラヴィ・ティドハー『黒き微睡みの囚人 』

有楽町の三省堂で 1 月 30 日に買った。

通勤中の車内と週末で、100 ページほど読んだ。
1933 年に政変が起きて、ヒトラーが失脚し、共産主義ドイツが誕生。ヒトラーは、イギリスに亡命し、私立探偵になっている。生活のために行方不明の亡命ユダヤ人の女性を探す... という歴史改変小説。
ただ、その話自体が、現実のドイツでアウシュビッツの収容所にいるユダヤ人作家の妄想で... という小説。

フォルカー・ヴァイス/長谷川晴生訳『ドイツの新右翼

1 月 10 日に東京の丸善で買った。

半分くらいで、止まっているかな? 

木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド:社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』

八重洲ブックセンターで買ったかな? 

こっちは、2/3 くらい。

カタジナ・デ・ラザリ=ラデク、ピーター・シンガー/森村進森村たまき訳『功利主義とは何か』

1 月 18 日に八重洲ブックセンターで買った。
Very Short Introduction の翻訳。

去年原書を買ったのだが、読みきらないうちに翻訳が出てしまった。翻訳の方もまだ読み途中だが、ちょっと止まっている。

John Carreyrou、"Bad Blood: Secrets and Lies in a Silicon Valley Startup"

去年の 11 月 13 日に、丸善で買った。
13-27 日で読了。

何年か前に起きた Silicon Valley のスタートアップのスキャンダル。
バイオ系の新技術の会社というのが今風だ。

この本は、大変面白かったので、いつか詳しく感想を。

秋草俊一郎『アメリカのナボコフ

去年買った。往来堂で買ったのかな? 

この本は、だいたい読み終わった。
この本も面白かった。”ナボコフについての本”は、ぼくは、今まで若島正の書いたものを多く読んで来てそれらを先に読んでナボコフに興味を持ったのだが、ナボコフとの距離感がまたちょっと違って大変新鮮だった。

ナボコフの翻訳は、さいきん出版ラッシュな感じで新潮社の選集も『アーダ』の新訳も、Pale Fire の新訳も出ているけど手に取っていなかった。

エッセイ集の『ナボコフの塊』と自伝『記憶よ語れ』の新訳は、まだ大阪にいた時に出た時に買って、拾い読みした、今は、まだ、ダンボールの中。

実は、ちょっと、ナボコフに食傷気味だったのだが、この本を読んでまた読めそうな気がして来た。

黒き微睡みの囚人 (竹書房文庫)

黒き微睡みの囚人 (竹書房文庫)

ドイツの新右翼

ドイツの新右翼

功利主義とは何か

功利主義とは何か

Bad Blood: Secrets and Lies in a Silicon Valley Startup

Bad Blood: Secrets and Lies in a Silicon Valley Startup

アメリカのナボコフ――塗りかえられた自画像

アメリカのナボコフ――塗りかえられた自画像

”ぼくがキライなドクターは四人、Dr. フロイト、Dr. ジバゴ、Dr. シュバイツァー、Dr. カストロだ! ”―『ストロング・オピニオンズ』 よりナボコフの1968年のインタビュー

 V.ナボコフの『ストロング・オピニオンズ』("Strong Opinions"、1973)から、1968年9月3日に行われた Nicholas Garnham によるインタビューを紹介。(以前のナボコフや”ストロング・オピニオンズ”間連のこのブログの記事はここに。"ナボコフ" - 記事一覧 - わが忘れなば今回のインタビューについても、少し触れてた。”考えることは天才的、書くものは並はずれた作家のもの、喋ると子供みたい”-V. ナボコフ, "Strong Opinions" の感想 - わが忘れなば

 このインタビューは、収録されているもののうちでも特に短いものもひとつだが、ナボコフ・インタビューの特徴(”フロイト嫌い”、”新作の紹介”、”ナボコフのいう現実とは主観的なものだという意見”、”ドストエフスキーへのイヤミ”など、この本のいろいろなインタビューで繰り返される)が詰まっているという印象を持った。

 では、Strong Opinions のインタビュー・パートより9番目のインタビュー。(BBC、1968)

 (ちなみに、原文は、ここNabokov's interview. (09) BBC-2 [1968]でよめます。誤訳などのご指摘をくだされば幸いです。ブログのコメント欄か、プロフィールに書いてあるメール・アドレス(fromambertozen[at]gmail.com)もしくは、twitter(kohaku_nanamori)に頂ければ、反応できます。)

  • あなたは、ご自分の小説には「なんの社会的な目的も道徳的メッセージもない」とおっしゃいましたね。あなたの小説に特別な役割とは何ですか? また、普通の小説はどんな役割を持っているものでしょうか? 

VN ぼくの全小説の持っている役割の一つは、普通の小説なんてものは存在しないということを証明することだ。ぼくの作った本は、主観的で特別なひとつの事件だ。ぼくは、文章を創ることに対してそれを創る以外の目的を全くもっていない。ぼくは、完全な所有の感覚と喜びを手に入れるまで、懸命に・長い時間、文章を練り上げる。そして、読者が読むときにはーーもっともっと、(そういう努力が必要)だ。芸術は、困難なものだ。簡単な芸術が見たかったら現代美術館に展示してある作品やら落書きやらを見ればよいよ。

  • あなたは、本の序文でフロイトのことをいつもウィーンの魔術師と揶揄していますね。

VN なんだってぼくの心の傍らにいる赤の他人を大目に見なけりゃいけないんだ? 前にも云ったかもしれないが、もう一回言っておくよ。キライな Dr は一人じゃなくて四人なんだ。 Dr. フロイト、Dr. ジバゴ、Dr. シュバイツァー、Dr. カストロだ。もちろん、最初の奴は、服は着ている。他の連中は解剖室で話している。ぼくは、オーストリアの変人が古い雨傘について抱いた、くすんだ中産階級の夢についての夢を見る気はない。あと、フロイトの信者どもが倫理的に危険な影響を起こすかも知れないとも指摘しておこう。例えば、サナダ虫並みの脳みそを持った不潔な殺人者に、そいつの母親がわが子をひっぱたきすぎたとか、ひっぱたかなさすぎたとかーどちらもでいいんだ、精神分析にとってはーそういう理由で軽い判決が下されるとか。

  • あなたが現在取り組んでおられる小説は、どうやら、”時間”に関するものですよね? あなたは、時間というものをどのように捉えておられますか? 

VN ぼくの新作は、(現在800ページのタイプ原稿になっているが、)ある家族の年代記で、ほとんどの出来事は夢の中のアメリカで起こる。五つから成る章のうちひとつは、ぼくの時間に関する観念についてのものだ。ぼくは、時空間に対してメスをふるって、腫瘍である空間を切り取ってしまった。ぼくはたいした物理学の知識があるわけではないが、アインシュタインの巧みな公式は拒否している。しかし、無神論者になるのに、神学について知っておかなくてはならないわけではないからね。ぼくの作り出した二人の女性には、アイルランド人とロシア人の血が混ざりあっている。一人の少女は、700ページ生きて、若くして死ぬ。彼女の姉妹はハッピーエンディング、つまり95本のろうそくがマンホールの蓋の大きさのケーキにともされるまで、ぼくと共に在る。

  • あなたが心酔する作家とこれまでに影響を受けてきた作家をお教え下さい。

VN まずは、ぼくが一目見てきらいになる現代作家どもの本について話した方がいいだろう。マイノリティーグループについての生真面目なケース・ヒストリー、同性愛者の悲哀を扱ったもの、反米親ソのお説教、子供のわいせつ行為が書かれた悪漢小説。これは、私的な分類のいい例だ。いっしょくたに扱われ、タイトルは忘れられ、作者も混ざりあうよ。影響ということだが、誰である特別の作家に影響を受けたことはないし、どんなクラブや運動にも参加したことはない。実際、ぼくはどんな大陸にも属していない。ぼくは、アトロンティス大陸の上空に浮かぶ羽根だ。とても明るくて青いプライベート・スカイにいて、鳩の巣穴や土くれのような鳩どもを見下ろしているよ。

  • チェスやポーカーといったゲームのパターンは、あなたにとって魅力的であるばかりか、あなたの運命論者的な人生観とも関わっているようですね。あなたの小説における運命の役割についてご説明頂けますか? 

VN ぼくはそういったなぞなぞの答えは学問的な注釈者のために取っておいてある。誰が見ても、いわゆる中心的なアイデア、例えば運命とか、をぼくは自分の小説の中に見出すことができない。少なくとも数語やそこらでぼくの小説を表現する言葉はない。あと、ぼくはそういったゲームに興味がない。ゲームというからには他人に参加が必要だ。ぼくの興味があるのは一人で出来るものだ。例えば、詰めチェスを作るとき、ぼくは凍りついたような孤独の中にある。

  • あなたの小説にはいつも映画やパルプ・フィクションへの言及があります。あなたは、大衆文化の雰囲気がお好きなようですね。そういった作品を実際に楽しまれているのですか? また、御作とそれらの関係は? 

VN いや、大衆小説なんて大っきらいだ。ゴーゴーギャングも嫌いだし、ジャングル・ミュージックも、サイエンス・フィクションも、そこに出て来る小娘や小僧っ子も、サスペンスもサスペンソリーも嫌いだ。下品な映画がことのほか嫌いだ。

  • ロシアからの亡命は、あなたにとってどのような意味がありますか?

VN 生まれた教区から一歩も出たことがなくても常に亡命者であるようなタイプの芸術家に、ぼくは親近感を感じるが、もっと言葉通りの意味で言えば、亡命したことで芸術家の受ける唯一の影響は本が発禁になることだ。ぼくが43年前にドイツの下宿屋の虫食いだらけのカウチで初めて書いた小説以来すべての作品は、ぼくの生まれた国では禁止されている。これはロシアの損失であって、ぼくの損失ではない。

  • あなた全創作において、想像上の存在の方が、古くて退屈な現実よりもずっと真実であるという感じがあります。あなたは、想像と夢と現実のカテゴリーをどのように捉えておられるのですか? 

VN 君の使う”現実”という言葉は、ぼくを当惑させるね。確かに、平均的な現実というものはある、我々みんなに知覚されるものだ、しかしそれは、真の現実ではない。それは単に一般的な意味での現実、単調で古めかしい形式でしかない。君が「古い現実」ということばをいわゆる昔の「リアリズム」小説ーバルザックやサムセット・モームD.H.ロレンスの陳腐な作品ーの意味で言ったのなら、平凡な登場人物によって演じられた現実は退屈なもので、対して想像の世界が夢のような非現実的な面を持つという意味なら正しい。逆説的だが、唯一の現実的で、確実な世界は、非現実的に見えるのだ。

  • あなたが、生をとても喜劇的で残酷なジョークだとみなしていると言ったら、正当でしょうか? 

VN 君の言う「生」という言葉は、ぼくには受け入れられないような意味で使われているね。誰の生だ? 何の生だ? 誰のものでもない人生なんてものは存在しない。レーニンの人生はジェイムズ・ジョイスの人生とは、何百もの墓穴とブルー・ダイヤモンドが違うくらいに全然違う。二人ともスイスに亡命し膨大な量の言葉を紡いだが。あるいは、オスカー・ワイルドルイス・キャロルの運命を取り上げてみよう。一人はひけらし屋のハデな倒錯者で、獄に繋がれた。もう一人は、自分のつつましやかな、しかし、もっとずっと邪悪な小さな秘密を現像室の感光乳剤の中に隠した、そして全ての時代において最も偉大な子供の物語の作者になって生涯を終えた。ぼくはこういう実人生のファルスには何の責任も持たない。ぼく自身の人生については、ジンギス・カンのそれと比較にならないくらい幸福で健康だ。彼は最初のナボク(Nabok)の父親に当たる人物だといわれている。(ナボクは、)12世紀のタタールの小国の王子で、ロシア人の娘と結婚した。ぼくの作品の登場人物の人生について言えば、全部が全部グロテスクで悲劇的なわけではない。『賜物』のフョードルは忠実な愛に恵まれて、早くから自分の才能を自覚している。『青白い炎』のジョン・シェイドは、強烈な内的な実存を導くし、君のいうジョークとは遠く隔たっている。君は、ぼくとドストエフスキーを混同しているにちがいないね。

 簡単に注釈&感想を。

 ナボコフが自分の小説に「なんの社会的な目的も道徳的メッセージもない」と言ってるのは、1962年のインタビュー(BBC)のこの箇所のことだろう。

  • あなたはなぜ『ロリータ』を書いたのですか? 

VN それが面白かったからだよ。ほかの本だってどんな理由で書くというんだい? それが悦びだから、それが困難だからだ。ぼくには社会的な目的なんかないし、道徳的なメッセージもない。展開しようという一般論も持っていない。ぼくは、ただパズルと素敵な解答を作るだけだ。

 あるいは、1962年の別のインタビューでも同じようなことを言っている。

  • -インタビュアーたちは、あなたを掴みどころのない人物だと考えています。どうしてですか?

VN ぼくは自分が公的な主張を一切持たない人間であることを誇りに思っている。今までの人生で酔っぱらったことは一度もないし、男子生徒たちが使う四文字言葉子使ったことも一度もない。事務所や炭鉱で働いたこともない。クラブや集団に属したこともない。どんな宗派や学派にも一切影響を受けたことはない。政治小説と社会的な目的をもった小説ほど僕を退屈させるものはない。
(『ストロング・オピニオンズ』p.3)

 ナボコフフロイト嫌いが話題になっているけれど、ナボコフはロシア語時代の自作の英訳版の序文にいつもフロイトの悪口を書いていた。例えば、『ディフェンス』(ロシア語原書1930、英訳版1964、日本語訳1999)から、

ロシア語で発表した小説の英語版(これからも何冊か出る予定)に最近付けている序文では、私はウィーンからの派遣団に対して歓迎の言葉を述べるのを決まりにしている。本書のまえがきもその例外ではない。精神分析にたずさわる医者や患者なら楽しんでいただけると思うのは、ルージンが神経衰弱になってから受ける治療の詳細であり(たとえばチェス選手は、自分のクイーンにママの、そして相手のキングにパパの面影を見るといった暗示療法)、さらに鍵穴式(ピックロック)携帯盤をこの小説を解く鍵だと誤解するフロイト派の小僧は、漫画的にとらえた私の両親や、恋人や、一連の私自身と登場人物たちを同一視することをきっとやめないだろう。そうした探偵諸君のためを思って告白しておくと、私がルージンに与えたのは私のフランス人女家庭教師と、私の携帯用チェスセット、私の優しい気質、それに我が家の壁に囲まれた庭で私が拾った桃の種であった。

(『ディフェンス』、若島正訳、河出書房新社、1999、p.9)

ディフェンス

ディフェンス

 さらに、『キング、クイーン、そしてジャック』(ロシア語原書1928、英語版1968、日本語訳1977)から。

 例によって、言わせていただきたいのだが(そして、例によって、ぼくの好きな感受性に富んだ読者は機嫌を損ねると思うが)、例によってウィーンからの派遣団はご招待しないことにする。しかし、もし果敢なるフロイドの信奉者が、なんとかまぎれ込み得たなら、彼または彼女に、この小説には随処に意地悪い穽(おとしあな)が仕掛けてある、と警告しておかなければならない

(『キング、クイーン、そしてジャック』、出淵博訳、集英社、1977、p.8)

 ついでに、『断頭台への招待』(ロシア語原書1938、英語版1959、日本語訳1977)からも。

この小説は虚空で奏でられるヴァイオリンなのだから。(・・・)意地の悪い人間は、エミーのなかに、ロリータの姉妹を認め、さらぬヴィーンの妖術師(フロイトのこと)の弟子たちは、罪悪の共有と進歩主義的(プログレシヴィノエ)教育から成り立っている彼らのグロテスクな世界にあって、これを読みながら忍び笑いをすることだろう。

(『断頭台への招待』、富士川義之訳、集英社、1977、p.221)

 ナボコフフロイトへの悪口がしつこすぎて、後年のインタビュー(「ナボコフ・ラストインタビュー」『ユリイカ 特集ナボコフあるいは亡命の二十世紀』)ではこんなこと聞かれちゃってる。

ロバート・ロビンソン フロイトの学説がお嫌いのようですが、お話をうかがっていますと、裏切られた者の怒りがこもっているようにも聞こえます。したたかな奇術師にスリーカード・トリックでまんまといっぱい食わされた人ならさもあらんというような。ひょっとしたら、以前はフロイトの熱烈なファンでいらしたとか。

ウラジミール・ナボコフ これはまたずいぶんとおかしなことを思いつくものだな! 正直いって、あのウィーン野郎の雄叫びにはうんざりだよ。そりゃあ私だって、かつてはフロイトを追って思考の小暗い小路をたどってみたことはある。だが、酔っぱらって傘の先でドアの鍵を開けようと必死になっているといわんばかりの学説は、もう二度とごめんだ。

(『ユリイカ 特集ナボコフあるいは亡命の二十世紀』、1991、p.76)

 ところで、キライな四人のドクターのうち、フロイトについてはいつも言ってるから、まあ、分かる、『ドクトル・ジバゴ』も否定的な評価を『ストロング・オピニオンズ』のインタビュー22でしている。けれど、シュバイツィアー博士は、なぜ? あと、Dr. カストロってフィデル・カストロのことなのか? 彼は、Dr. なのか? 日本語と英語の wikipedia をちょこっとみたけどよく分からなかった。もし、フィデル・カストロがドクター付きで呼ばれる理由、もしくは他のカストロ博士に心当たりがある方がいたらご教授ください! 

 このインタビューで話題になってる新作は、『アーダ、あるいは情熱-ある家族の年代記』で間違いないだろうけど、現在、若島正による新訳が進行中(『アーダ』翻訳をめぐって - Togetter)とのこと。年内に訳了するかもしれないようなので、これは楽しみ。(最後にちらっと言及されているラッセルへの悪口が気になる! ぜひ確認しておこう。)

 ナボコフが”現実”について語るのは、『ストロング・オピニオンズ』ではここだけではなく、また、『ナボコフの文学講義』でも似たような見解を披露している。それについては、前にブログ記事(『ナボコフの文学講義』と"Strong Opinions"からナボコフの現実に関する意見 - わが忘れなば)にしたことがある。

 ルイス・キャロルについては、ナボコフは『不思議の国のアリス』をロシア語に訳している。下のリンクを参照。

Льюис Кэрролл. Аня в стране чудес(”Алиса в Стране чудес”というのがロシア語のタイトルのようです。)


 ナボコフ、最後にお得意のドストエフスキーへのイヤミを披露しているけれども、ナボコフドストエフスキー嫌いについては、最近、秋草俊一郎「ナボコフがつけなかった注釈」という論文(http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/15494/1/SLA0230004.pdf)を読んだけど、なかなか単純でない関係があるみたい・・(この論文、面白かった。結構、ナボコフ観を、変えてしまう・・・ )

 ちなみに、ナボコフは『二重人格』が一番好きなそうな。

VN ドストエフスキーでは、『二重人格』が一番ましかな、恥ずかしげもなく、露骨にゴーゴリの『鼻』のまねだけどな。
(『ロリータ』の注釈をつくった、ナボコフの教え子でもあるアルフレッド・アペルJrによるインタビュー。)

(今後、書き加えたりするつもりです。)

ナボコフ家の人々の共感覚についてや「現実とは主観的なものだ」という意見、『ロリータ』創作余談などがおもしろかった、ナボコフのBBCインタビュー――”Strong Opinions”から

 ウラジミール・ナボコフのインタビューや編集者への手紙、雑誌に載せた記事を収めた本、"Strong Opinions"(1973)についてはこれまでも本ブログで何回か面白そうなところを取り上げてきた。たとえば、ここ”考えることは天才的、書くものは並はずれた作家のもの、喋ると子供みたい”-V. ナボコフ, "Strong Opinions" の感想 - わが忘れなばとかここナボコフによるサルトル『嘔吐』(英訳)書評の感想-(V. ナボコフ, "Strong Opinions" から "SARTRE'S FIRST TRY") - わが忘れなばとか。

 最近また読みなおしてみてもおもしろかったので、二つ目に収録されている BBC によるインタビュー(1962)を紹介してみたい。ナボコフはここで、質問に答えながら、自分の認識論みたいなもの、(といってよいのかな? 『ナボコフの文学講義』にも出て来る現実="reality"とはきわめて主観的なものだという考え)やナボコフの二大アイコンであるチェスと蝶について、また、ナボコフ家の人々(ナボコフ、妻ヴェーラ、一人息子のドミートリ)が持っているという文字から色を感じる能力についてなど語っている。

 こんな感じ。

(訳はまあ、ぼくがしたものだからいろいろ間違いはいっぱいありましょう。。ご指摘いただければ、速やかに反映します。自分でも気付き次第直していきます。あと、原文はネットで読めるようですね。Nabokov's interview. (02) BBC Television [1962]

ロシアに帰国なさるおつもりはありますか?

 ぼくは絶対に戻るつもりはないよ、簡単な理由でぼくにとって必要なロシアはつねにぼくと共にあるからだ。それは文学、言語、そしてぼく自身の子供時代だ。ぼくは決して戻らない。決して降伏しない。それにどうしたって、警察国家のグロテスクな幻影をぼくの人生から払いのけることはないだろう。ロシアでぼくの作品が知られているとは思えない―ああ、たぶんかなりの数の読者はいるだろうね、でも忘れないでほしい。ロシアでは人びとは何を読んで何を考えるべきかを強制されている上にこの四十年間でとてつもなく野蛮になってしまったことを。ぼくは、アメリカでは他のどの国にいるよりも幸福を感じる。ぼくが自分の最良の読者を見出し、ぼくと最も考えの近い人々と出会ったのはアメリカでだよ。アメリカはぼくにとって知的な意味での故郷だ。ことばの真の意味における第二の故郷だ。


あなたは鱗翅類の専門家なのですか?

 そう、ぼくは鱗翅類の分類・変種・進化・構造・分布・習慣に興味をもっている。こういうとすごく大したことのように聞こえるけど、実際はぼくはある特定の蝶の専門家であるにすぎない。蝶についてのいくつかの研究をいろいろな専門の科学雑誌に寄稿してきた。――でももういちど繰り返しておきたいのは、ぼくの蝶に関する関心はもっぱら科学的なものだということだ。


あなたのお書きになるものとなんらかの関係はあるのでしょうか?

 大きな意味でならある、なぜならぼくは芸術作品においてはこの二つのもの、詩の正確さと純粋科学の興奮のある種の融合が存在すると考えているからだ。


新作『青白い炎』で、登場人物の一人が現実とは真の芸術にとって主題でも目的でもない、芸術はそれ自体の固有の現実を創りだすのだ、と言っています。現実とはなんなのですか? 

 現実とはまさに主観的な代物だ。ぼくはそれを情報の段階的な蓄積と特殊化とでも定義することしかできない。例えば、ユリを例にしてみよう、あるいはほかのどんな自然物でも構わないが、ユリは普通の人よりも博物学者にとってより現実的だ。しかし植物学者にとってはもっと現実的だ。更にもう一段高い現実がユリを専門としている植物学者によって到達される。いってみれば、どんどん、どんどん現実に近づいていくことができる。しかし決して十分ということはない、なぜなら現実とは無限の階梯であり、知覚の段階であり、ニセの底だからだ。それゆえ、到達することも触れることもできない。ある事物についてはいくらでも知ることができるが決して全てを知ることはできない。それはありえない。だからぼくたちは多かれ少なかれお化けめいたものに囲まれて生きることになる――例えば、この機械がそうだ。これはぼくにとっては完全にお化けみたいなものだ。これについては何一つ分からない、そう全くの神秘だ――ちょうどバイロン卿にとってそうであったように。


あなたは現実は非常に主観的なものだとおっしゃいましたが、あなたの本を読んでいると、あなたは(読者を)文学的に欺くことに皮肉な喜びを感じているように見えます。

 詰めチェスにおける偽手、手品師の行う奇術だね。ぼくは小さい頃よく手品をしたんだよ。簡単な手品が大好きだったんだ。水をワインに変えるとか、そんなものが。だけどぼくのような人はたくさんいると思うんだ、なぜなら全ての芸術は詐術なのだし、自然もまたそうなのだから。君は詩の歴史がどういうふうに始まったか知っているかい? ぼくはいつもこう思っている。穴居人の少年が生い茂った草原を走って洞窟に戻ってきて「狼だ、狼だ」と叫ぶのだが、狼はいないんだ。猿人に近い彼の両親は、真実について厳格なので、彼を鞭で打ちすえたが、間違いなく、詩は生まれたのだ。ホラ話(tall story)が、草原(tall grass)から生まれたんだ。


あなたはチェスや手品といったゲームの詐術についてお話になりましたが、あなた自身そういったものがお好きなのですか? 

 ぼくはチェスが好きだ。でも、チェスにおいて詐術はこのゲームの一部分でしかない。悦ばしい可能性、幻想、先を見通す思考、もちろんまちがっている場合もある、の結合の一部だ。ぼくは素晴らしい結合はいつでも詐術的な要素を含んでいるものだと思うね。


あなたは子供の頃のロシアの手品について言及されましたが、あなたのご本の中でもっと強烈な文章は失われた子供時代の思い出に関するものだったと思っている人もいます。記憶とはあなたにとってどのような重要性をもつものなのでしょう? 

 記憶とは、芸術家が使う数々の道具のうちの一つだ。そして、ある種の記憶は、たぶん感情的な記憶ではなく知的な記憶がそうなのだが、非常にもろいもので作者によって本の中に埋め込まれたり、登場人物たちに貸し与えてしまうと現実味を失ってしまいがちなんだ。


それはいったん作品に描くと思い出が色あせるという意味でしょうか? 

 ときにはね、だけどこれはある種の知的な記憶についてだけのことだ。しかし、たとえば、半世紀前のある夏の日に捕虫網をもって階段を駆け降りたぼくが感じた生家の客間に飾り付けられた花々の鮮やかさ。この種のことは完全に永遠不滅だ。決して変化することはない。何回でも登場人物たちに貸すことができる。こういった記憶はつねにぼくと共にある。赤い砂、白い庭のベンチ、黒いもみの木たち、全てが永久保存だ。これは全て愛に関わることだと思う。記憶への愛情が強いほど、それは強く奇妙なものになっていくんだ。ぼくが古い記憶、子供時代の記憶へ後の時代の記憶よりも熱い愛情を抱いているのは当然のことだと思う。だからぼくの頭の中では、イングランドでのケンブリッジやニュー・イングランドでのケンブリッジの記憶はやや薄れてしまっている。


あなたのような強烈な記憶力は創作の欲求に宿ったとお考えでしょうか? 

いや、そうは思わない。


同じような出来事がときには少しだけ形を変えて、何度も何も起きていますね。 

それは僕の小説の登場人物しだいだ。


長年アメリカで生活されていますが、いまだに御自身をロシア人だと感じていますか? 

 ぼくはまさにロシア人だと感じている。そしてぼくのロシア語で書いた作品―いくつもの長編小説に、詩、そして短編小説は、一種のロシアへの捧げものだと思っている。たぶんそれらはロシアでの子供時代が消失してしまったことによるショックが引き起こした大小の波なんだ。そして、最近ぼくは彼女への捧げものをプーシキンについての英語での仕事で行った。


なぜプーシキンについてそんなに熱烈な関心をもつのですか? 

 まずは翻訳、文学的な翻訳から始まった。ぼくは、それがとても困難な仕事だと思ったが、困難であれぼあるほど楽しいものにも思えた。だからプーシキンについてはあまりこだわってはいない――もちろんぼくはプーシキンに深い愛着を抱いている。かれは、ロシア最大の詩人だ、このことに何の疑いもない。――しかし、ここで再び何かをするための正しい道を探りだした興奮とプーシキンのリアリティへと近づくことの結合が起きた。実際のところぼくはロシア語に関わることに非常な関心をもっているし、丁度三十年前に書いた小説『賜物』の翻訳の手直しが終わったところだ。これはぼくのロシア時代の小説のなかで最も長い、たぶん一番上出来な、そしてもっともノスタルジックなものだ。そこには、二十年代におけるある若いロシア人亡命者のベルリンにおける冒険と文学とロマンスが語られている。だが、彼はぼく自身ではないよ。僕はよく気を付けてぼく自身が彼と重ならないようにしている。ただ、作品の背景だけがいくらか伝記的なところがあるね。あともうひとつこの小説に関してうれしいことがあるんだ。ぼくが書いた最良のロシア語の詩が、この小説に主人公の作品として出て来るんだ。


あなたが書いたものですか? 

 もちろんぼくが書いたものだよ。今ロシア語で暗誦しよう。説明するよ。二人の人物が出て来る。少年と少女だ。二人は日没を受ける橋の上に立っている。ツバメがかすめて飛んで行った。少年は少女を向いてこう言った。「教えてくれよ。きみはいつでもあのツバメを思い出せるか? 他のツバメじゃない今かすめていったあのツバメだよ」すると少女は言う。「もちろん、できるわ」そして二人は泣き出すんだ。

Odnahdy my pod-vecher oba
Stoyali na starom moustu
Skazhi mne, sprosil ya, do groba
Zapomnish'von lastochku tu?
I ty otvechala: eshchyo by!

I kak my zaplakali oba
Kak vskriknula zhizn' na letu!
Do zavtra, naveki, do groba,
Odnazhdy na starom mostu ...


あなたは何語で思考されているのですか? 

 思考はどんな言語でもしていない。イメージで考えているんだ。ぼくは人が言語で思考しているとは信じていない。考えるときに唇を動かしている人なんていないだろ。読んだり、考えたりするときに唇を動かしながらじゃないとできない無学な奴もいるけども。でも、ぼくはイメージで考えているんだ。そして、時によって、脳波の泡立ちの中からロシア語や英語のフレーズが形になるんだ。ただそれだけだ。


あなたはロシア語で執筆をはじめやがて英語に切り替えたのですね? 

 そうだよ。非常に難しい切り替えだった。ぼくの個人的な悲劇―他の誰の関心になるものでもなるべきでもないが―は、ぼくにとっての自然なことばを捨てなくてはならなかったことだ。ぼくの生まれながらの語彙を豊かで無限なロシア語を二流の雑種の英語に。


あなたは英語でもロシア語でも何冊も本をお書きになりましたが、その中で『ロリータ』だけが有名になりました。『ロリータ』の作者とみなされることにいら立つことはありませんか? 

 いや、そんなことは言わないよ、『ロリータ』は、ぼくにとって特別なお気に入りだからね。これは一番難解な本だ―この本ではぼくの生活からはとても遠く離れたテーマを扱っている。そこでぼくの現実創造の才能を使う喜びを味あわせてもらえたんだ。


この本が大成功して驚きになりましたか? 

 この本が出版されたこと自体に驚いたよ。


実際のところ、『ロリータ』を出版すべきではないのではないかと迷うことはありましたか? 

 いや、ない。結局のところ本を書いたということは近い将来の出版を望んでいたということを意味するよ。でもこの本が出版されて本当に嬉しかったよ。


『ロリータ』はどのように誕生したのですか? 

 彼女が生まれたのはだいぶ昔だ。間違いなく1939年のパリだ。『ロリータ』の最初の小さなうずきがぼくに訪れたのは'39 年かたぶん'40年の頭のパリにおいてだ。そのときぼくは非常に苦しい肋間神経痛のすさまじい発作で寝込んでいた。思い出せる限りでは、霊感の最初の震えは、奇妙にもある新聞記事によって引き起こされた。パリ動物園の類人猿につてのもので、"Paris Soir"に出ていたと思う。数月間科学者どもに訓練された類人猿がついに最初の木炭画を仕上げるのだが、そのスケッチは、新聞に再現されたところによると、この哀れな生き物の檻の格子を描いたものなんだ。

ハンバート・ハンバートという中年の誘拐者にはなんらかのモデルがいるのですか?

 いや、いない。彼はぼくが作った人間だ。あるオブセッションを抱えた男。ぼくの小説の登場人物たちにはそれぞれオブセッションを抱えたものが多いと思うが。しかし、彼は実在の人物ではない。彼が実在するのはぼくが本に書いたからだ。この本を書いている間、新聞のあっちこっちで中年の紳士が小さい女の子を追いかけます話をいくつも読んだものだ。なかなか面白い偶然だったがただそれだけだ。


ロリータにはモデルがいますか?

 いや、ロリータにはどんなモデルもないよ。彼女はぼくの頭の中で生まれた。決して実在したことはない。実際は、ぼくは小さい女の子のことなんてよく知らない。この主題を考えたときそういう知り合いは一人もいなかった。それ以降は会うこともあったが、しかし、ロリータはぼくの想像力の産物だ。


あなたはなぜ『ロリータ』を書いたのですか? 

 それは面白かったからだよ。ほかの本だってどんな理由で書くというんだい? それが悦びだから、それが困難だからだ。ぼくには特別の目的なんかないし、道徳的なメッセージもない。展開しようという一般論も持っていない。ぼくは、ただパズルと素敵な解答を作るだけだ。


どんなふうに書かれるのですか? どんな方法を使うのですか? 

 いまはインデックス・カードが一番いいと分かった。ぼくは第一章を書いてから順番に二章・三章と最後の章まで進んでいくわけではない。ぼくはただ絵の空白を埋めていくだけだ、ぼくの頭の中では極めて明瞭なジクソー・パズルのね。


あなたが他の点で通常の意識と違うのは、非常に色彩に魅力を感じている事ですね。

 色。ぼくは画家に生まれついたんだ、と思う、―本当だよ! ―14 歳までは毎日絵を書くことに一日の大半を費やしていたからね。そのころは、画家になるつもりだった。でも、画家になるだけの才能はなかったんだと思う。でも、色彩に対する感覚、色彩に対する愛、これを失ったことはない。また、ぼくには文字の色を感じるという変わった才能があるんだ。色を聞くというんだ。たぶん、千人に一人くらいいるんじゃないかな。でも、心理学者たちの言うところによるとこどもにはみんなこの能力があるのにそんなことは―A は黒、B は茶色―無意味だと聞かされて育つのでその能力を失ってしまうのだそうだ。


あなたのイニシャルの VN はどんな色なのですか? 

 V はある種の青白さ、透き通ったピンクだ。これは専門的には"quartz pink"というようだ。この色がぼくが V と結びつける色に最も近い色だ。そして N は灰色がかった黄色だ。ところが面白いことがあるんだ。ぼくの妻にもこの文字に色をみるとう才能があるのだが、彼女の見る色は完全に違うものなんだ。また、ある日我々夫婦が発見したんだが、息子が、そのときは小さなな子供だったが―たぶん10歳か11歳だったと思うが―また文字に色をみるんだ。すごく自然にこう言ったもんだ「ああ、これはこの色じゃないよ、これはこの色だ」などなど。そして私たちは息子に色をリストにするように言って、それである文字は息子にとっては紫で、ぼくにとってはピンク、そして妻にとっては青だということを発見したんだ。この文字は M だよ。そしてピンクと青の組み合わせは彼のばあいユリになるんだよ。まるで遺伝子が水彩絵の具で染まった様じゃないかい。

 
誰に向けてどんな読者のために書かれていますか? 

 芸術家は、読者のことなんか考えるべきでないというのがぼくの考えだ。芸術家の最良の観客はいつもひげをそる時にか鏡の中にいるあいつだよ。芸術家の想像する観客というのは部屋いっぱいにいる自分と同じ顔をした連中だよ。


あなたのご本の中では、仮面や変装にたいへんな関心がはらわれていますね。まるであなたが自分自身を何かから隠そうとしているようです。

 いやいや。ぼくはいつでもそこにいると思っているよ。難しいことはない。もちろん批評家どもの中にはフィクションの批評をするのに出て来る"I"をいちいち作者のことだと考える奴らがいる。最近でも、ニューヨーク・ブックレビューのある匿名の『青白い炎』の批評で、ぼくの作った人物の意見をいちいちぼくのものだと勘違いした奴がいた。もっとも、一部の登場人物にぼく自身の意見を語らせていることもあるが。『青白い炎』のジョン・シェイドがそうだ。彼はまさに僕の意見を語っている。この本の中の彼の詩で彼の述べている事は、ぼくの意見だ。彼はこう言っている、―引用してみよう、覚えていればの話だが、たぶんできるだろう。「ぼくの嫌いなものは、ジャズ、抽象主義派のがらくた、進歩的な学校、スーパーマーケットの音楽、スイミング・プール、冷酷な奴、退屈な奴、フロイトマルクス、ニセモノの思想家、詐欺、サメ。」こうだよ。


ジョン・シェイドも彼の創造主も明らかに社交的な人たちではないようですね。

 ぼくはどんなクラブにもグループにも所属していない。釣りも、料理も、ダンスも、本の宣伝も、サインも、宣言への共同署名も、カキを食べることも、酔っぱらうことも、教会に行くことも、精神分析にかかることも、デモに参加することもしない。


時々あなたの小説、―例えば『マルゴ』などですが―には残酷さまで達する倒錯的な傾向があるようにわたしには思えます。

 知らないよ。そうかもしれないね。ぼくの登場人物たちのなかには、確かに、野蛮な連中もいる。しかし、そんなことは実にどうでもいい。そいつらはぼくの内的な生活とは何の関係もない。実際、ぼくは残酷さを嫌悪する穏やかな中年の紳士だ。

(余力あれば、後で感想などを追記します)

アラン・ウッド、碧海純一訳『バートランド・ラッセル―情熱の懐疑家』(1978、木鐸社)感想(2)

 『バートランド・ラッセル―情熱の懐疑家』の感想続き。

 ウッドが、ラッセルの発想法や研究・執筆態度について述べている章「天才のしごと」で興味深い指摘があった。ラッセルは、最初に書いた原稿ですでに完璧な文章になっていて、ほとんど全く推敲というものを必要としなかったらしい。

すぐれた著作というものは丹念な苦吟・推敲の結果であると考えていた私に、例外がありうるということをはじめて教えてくれたのはラッセルであった。というのは、かれの原稿や手紙は、いくらページを繰ってみても、不思議なほど、ほとんだ人間わざと思えないほどきちんと書きつづられ、一字の抹消や、訂正もないからである。ラッセルは、ひとたび想がまとまって書きはじめると、あたかもすでに書いてあるものを筆写するかのように筆がうごくのだ、とみずから説明している。かれによれば、同じ抹消するなら紙の上でやるよりも頭の中でやるほうが簡単だから、何事にもよらずまず頭の中で全部書いてみるのだという。話すときも、かれはひとつの文章をはじめるときにはかならずその結末をはっきり頭の中で考えているのである。かれのばあい、夢の中でさえも、あらゆる対話は構文上完璧である。
(ウッド著、pp.69-70)

 また、ラッセルは「聴覚的人間」で、目で見たイメージよりも耳で聞くイメージを使ってものを考えていたそうだ。

 ラッセルのばあい、重要と思われる点がひとつある。かれは目よりもむしろ耳で、つまり、視覚像よりもむしろ聴覚像を通じて、しごとをする。かれはひとに本を朗読してもらうのが好きである。ラッセル自身も、自分は、何か読めと言われたとき、ひとりの心の中で朗読してみないとよくわからず、自分の記憶は、紙の上の活字の格好よりは、むしろ、話しことばの発音にたよってはたらくのだ、と言っている。かれは、ベルグソンに対する批判の一つの点として、ベルグソンが「視覚人」であることを指摘し(もっとも、ベルグソンはこれを否定した)、また、視覚像だけにたよってものごとを考える人は抽象物について考えるのに困難を感ずるだろう、とも言っている。たとえば、論理学で用いる諸概念や、四次元の世界などは、視覚像ではあらわせない。
(ウッド著、pp.67-68)

 そのせいかどうかは分からないが、ラッセルは「詩と音楽については鋭敏な観賞力を示すかれも、美術についてはさほどではない」そうだ。

 これを読んで、ラッセルを宿敵視していたある作家が、全く対照的とも言うべき創作態度をインタビューで披露していたことを思い出した。「ロシアで生まれ、イギリスで教育を受けた、アメリカの作家」ウラジミール・ナボコフは、インタビューと書簡や雑誌記事を集めた本 "Strong Opinions"(1973) で次のようにラッセルについての敵愾心をむき出しにしている。

「ロンドンタイムズ」(1962 年、5 月 30 日)

エジンバラ国際フェスティバルのプログラムを見て、作家会議の招待者一覧にぼくの名前が記載されているのを発見しました。同じリストに載っている作家のなかには、ぼくが尊敬する人たちもいましたが、ぼくがどんなフェスティバルや会議にでも同席する意思のない作家の名前が載っていました―イリヤ・エレンブルグバートランド・ラッセル、J・P・サルトルです。言うまでもないことですが、その会議で議論されることになっている「作家の問題と小説の未来」とやらには、ぼくは全くの無関心です。
 ぼくとしては、このことをぼくの名前が載ったプログラムが出る前にもっとそっとフェスティバルの委員会にお伝えしておきたかったのですが。
("Strong Opinions"、p.212)

 この会議については、こんな本が出ていた。

Amazon.co.jp: The Novel Today: Edinburgh International Festival 1962: Programme and Notes, International Writer's Conference: Andrew Hook: 洋書

 プログラムや招待作家一覧も web 上で見られるみたい。これですね。

 ここでは、ナボコフの名前はもう削られているみたい。しかし、サルトルの名前もないぞ? ナボコフが尊敬している作家は、このなかでは、メアリー・マッカーシーとかアラン・ロブ・グリエとかか。

 ラッセルがナボコフのことをどう思っていたかはよく知らないが、ナボコフがラッセルを敵視するのは多分、保守派であるナボコフには、ラッセルの政治的な意見が気に食わないとかそんなところなのだろう。

 ナボコフ翻訳を多く手掛ける英米文学者の若島正の tweet でもこんな記述が。

『アーダ』を読んでいて、どうもバートランド・ラッセルをけなしているらしい個所を発見。なんでラッセルなん?と思ってふと気がつく。ベトナム戦争ホー・チ・ミンの肩を持ったのがきっとナボコフの癪にさわったんだな。ナボコフの小説にも妙に生臭いところがあるという実例。

Twitter / propara: 『アーダ』を読んでいて、どうもバートランド・ラッセルをけなし ...

 ところで、ナボコフが、サルトルを攻撃した記事は"Strong Opinions"に他にも載っていて前にブログ記事にしたことがあった。

ナボコフによるサルトル『嘔吐』(英訳)書評の感想-(V. ナボコフ, "Strong Opinions" から "SARTRE'S FIRST TRY") - わが忘れなば

 ナボコフは、ラッセルとは対照的に、1962年のインタビューでは、自分が文章をいかに推敲するか、頭の中のイメージを文章として表現するのがいかに難しいかを語っている。

”考えることは天才的、書くものは並はずれた作家のもの、喋ると子供みたい”-V. ナボコフ, "Strong Opinions" の感想 - わが忘れなば(<―こっちの記事に詳しく書いてます! )

  • 「えー」とか「あー」が非常に多いですね。お歳のせいでしょうか? 

V.N. 違うよ。話が下手なのは昔からだ。僕の語彙は、精神の奥深くに潜んでいてそれを引き揚げて物理的な状態に定着させることができるのは紙の上だけなんだ。得意即妙の応答なんて僕には奇跡に見えるよ。これまで出版した本も一語一語何度も書き直したんだ。僕の場合、鉛筆の方が消しゴムより長持ちするんだ。
("Strong Opinions"、p.4)

 しかも、ナボコフは音楽に対してはぜんぜん感受性のない人物で、あるインタビューでは、「ぼくが社会に望むことはたった三つだ。死刑の禁止、拷問の禁止、音楽の禁止(コンサートホールでやる分には許すが)」とか答えていたり、『ナボコフの文学講義』(2013、河出文庫)で音楽は「文学や絵画よりも芸術の価値尺度上より原始的で、より動物的な形式に属するものである」なんて書いたりしている。

 ナボコフが、「聴覚的人間」ラッセルに対して「視覚的人間」であったかどうかは、「視覚的人間」という概念自体まあ適当なところもあるので、よく分からないが、ナボコフの小説にあらわれるイメージ喚起的な描写や 1962 年に行われた次の BBC のインタビューから判断して、そんなふうに言ってみてもいいのではないか。

 色。ぼくは画家に生まれついたんだ、と思う、―本当だよ! ―14 歳までは毎日絵を書くことに一日の大半を費やしていたからね。そのころは、画家になるつもりだった。でも、画家になるだけの才能はなかったんだと思う。でも、色彩に対する感覚、色彩に対する愛、これを失ったことはない。また、ぼくには文字の色を感じるという変わった才能があるんだ。色を聞くというんだ。たぶん、千人に一人くらいいるんじゃないかな。でも、心理学者たちの言うところによるとこどもにはみんなこの能力があるのにそんなことは―A は黒、B は茶色―無意味だと聞かされて育つのでその能力を失ってしまうのだそうだ。
("Strong Opinions"、p.17)

 でも、ラッセルとナボコフ、政治上の意見の相違の前に体質的にも合わなそうだ二人だったんだな。(ラッセルがナボコフについて何か言ったのかどうか知らないけど。ご存知の方がいたら御教授ください! )

 しかし、アラン・ウッドの記述を読むと意外なところで共通点めいたものもでてきそう。先に挙げたインタビューのなかでナボコフの「共感覚」に関するやり取りがあった。

 いわゆる共感覚というものをナボコフが持っていたらしいことは有名で、次の本にも、息子のドミートリー・ナボコフが一文を寄せている。(そこだけ、立ち読みしました。。)

共感覚―もっとも奇妙な知覚世界

共感覚―もっとも奇妙な知覚世界

 アラン・ウッドは、ラッセルについて音についての共感覚だったのでは? (ともとれる)という推測をしている。

ことによるとラッセルには、敏感な耳と微妙な調子をもつ話し声をもっているために、音をきいて、その中に高さとか、音色とか、音量などの余分の「次元」を感ずる能力があるのかもしれない。
(ウッド著、p.68)

 まあ、これは、ウッドの推測にすぎないようだけど、共感覚かどうかは日記(あるとして)や書簡を丹念に調べれば分かることもあるんじゃないかと思う。(もう、分かってるのかも!? )

 共感覚かどうかってことにも、共感覚じたいにも、実は正直、あんまり関心はないのだけれど、ラッセルとナボコフが政治的な意見だけでなく、創作態度や思考法まで対立している風なのは少しおもしろかった。

 ところで、ナボコフはケンブリッジ大学の出身だから、ラッセルやラッセルの友人の哲学者たちとニアミスしててもいいはず。でも、"Strong Opinions"でうかがいしれるナボコフのケンブリッジ大学の哲学者への態度は次のようにそっけないものだ。

  • ゼンブラの言語とウィットゲンシュタインの「私的言語」は、関連があるように思うのですが? 大学で哲学科との交流は? 

V.N. 全くない。彼の仕事については何も知らない。名前を知ったのも 50 年代にはいてからだよ。ケンブリッジではサッカーをしてロシア語で詩を書いていた。
("Strong Opinions"、p.70)

『ナボコフの文学講義』と"Strong Opinions"からナボコフの現実に関する意見

 『ナボコフの文学講義 下』(野島秀勝訳、河出文庫、2012)のフランツ・カフカ「変身」講義に、客観的な「現実」というものが主観的な現実を平均して抽出した産物でしかないと主張する、こんな見解が書いてあった。

 「外套」、「ジキル博士とハイド氏」、それと「変身」、この三つはすべて一般に幻想的作品と呼ばれている。私見によれば、傑出した芸術作品はいかなるものであれ、独特な個人の独特な世界を反映している限り、幻想なのである。しかし、これら三つの物語を幻想と呼ぶとき、その意味はこれらの物語が主題において、一般に現実と呼ばれているものから離れているということだけだ。したがって、いわゆる幻想的作品がいわゆる現実からどのように、どの程度に離れているかを見出すために、現実(原文傍点、引用者注)とはなにか、それを調べてみようと思う。
 タイプの違う三人の男が同じ一つの風景のなかを歩いているとする。一番目の男は、当然与えられてしかるべき休暇をもらってやってきた都会人である。二番目の男は、専門の植物学者。三番目の男は、土地の農夫である。都会人である一番目の男は、いわゆる現実的、常識的、実務的なタイプで、木を木(原文傍店、引用者注)として見、地図を見て自分が歩いている道が、事務所の友人がすすめてくれた立派な料理屋があるニュートンに通じる立派な新道であることを、知っている。植物学者はあたりを見まわし、自分の周囲をまさに植物学の見地から、特定の樹木、草、花、羊歯類といった正確に生物学的に分類された単位という見地から、眺めている。彼にとって、これ(原文傍点、引用者注)こそ現実なのであり、彼にとっては(樫と楡の区別もつかぬ)無神経な旅行者の世界が、幻想的、茫漠とした、夢多き、空想の世界なのである。最後に、土地の農夫は、そこで生まれ育ったので、彼の世界は強く情緒的なものであるという点で前二者とはまったく異なる。彼はあらゆる小道、木の一本一本、小道に落ちる木の影一つ一つを、すべて自分の毎日の仕事、自分の少年時代の温かいつながりのなかで知っている。ほかの二人――平凡な旅行者と植物分類学者――が、この一定の時と一定の場所でまったく知りえようもない無数のささやかな事物やものの姿形を知っている。われらの農夫には、周囲の植物と世界の植物学的概念との関係が理解されるときはないだろう。ひるがえって植物学者には、そこに生まれた者にとって、いわば個人的な思いでの培養液のなかに浮かんでいるあの納屋、あの古い畠、ポプラの木の木陰のあの古い家がいかに大事なものであるか、そのことが理解されることはないだろう。
 かくして、ここに三つの異なった世界――三人の男、それぞれに違った現実(原文傍点、引用者注)を持つ普通の人間がいる。(中略)いずれの場合にも、三人の世界はたがいに全く異なっている、木、道、花、納屋、親指、雨(原文傍点、引用者注)といったこの上なく客観的な言葉にも、それぞれのなかに全く異なった主観的な含蓄、内包がひそんでいるのだから。実際、この主観的な人生はたいへん強いので、いわゆる客観的な存在など空ろなひび割れた殻にしてしまう。客観的現実に戻る道があるとすれば、次のようなものだろう――つまり、これら個々別々の世界をとって、それを完全に混ぜ合わせ、その混合物から一滴すくいとって、それを客観的現実(原文傍点、引用者注)と呼ぶことだ。(中略)
 かくして、現実(原文傍点、引用者注)というとき、われわれは実はこれらすべてのことを――一滴の中に――何百万という個々の現実が混じった混合物の平均的標本を考えているのである。特殊の幻想的作品である「外套」「ジキル博士とハイド氏」「変身」のせかいのような背景に対置して、わたしが現実(原文傍点、引用者注)という言葉を使うのは、このような(人間現実の)意味においてなのである。
 
(pp.143-146)

ナボコフの文学講義 下 (河出文庫)

ナボコフの文学講義 下 (河出文庫)

 この意見とちょっと似た意見を、まえにどこかで読んだな、と思ったら、ナボコフのインタビュー集"Strong Opinions"の中の一編だった(BBC、1962、二つ目のインタビュー)。そこの部分を訳してみた。

 あなたの新しい小説、『青白い炎』では、登場人物の一人が、現実("the reality")は真の芸術にとって主体でも客体でもない、真の芸術はそれ自体の現実を創るのだと言っています。現実はなんでしょうか?

 現実とはまさに主観的な代物だ。ぼくはそれを情報の段階的な蓄積と特殊化とでも定義することしかできない。例えば、ユリを例にしてみよう、あるいはほかのどんな自然物でも構わないが、ユリは普通の人よりも博物学者にとってより現実的だ。しかし植物学者にとってはもっと現実的だ。更にもう一段高い現実がユリを専門としている植物学者によって到達される。いってみれば、どんどん、どんどん現実に近づいていくことができる。しかし決して十分ということはない、なぜなら現実とは無限の階梯であり、知覚の段階であり、ニセの底だからだ。それゆえ、到達することも触れることもできない。ある事物についてはいくらでも知ることができるが決して全てを知ることはできない。それはありえない。だからぼくたちは多かれ少なかれお化けめいたものに囲まれて生きることになる――例えば、この機械がそうだ。これはぼくにとっては完全にお化けみたいなものだ。これについては何一つ分からない、そう全くの神秘だ――ちょうどバイロン卿にとってそうであったように。
(pp.10-11)

Strong Opinions (Penguin Classics)

Strong Opinions (Penguin Classics)

 『文学講義』は 1980 年の死後出版なので、Strong Opinions(1973)より活字になったのは後だが、実際にナボコフが大学で講義していたのは、1941年ごろから『ロリータ』で商業的大成功を収める 1958 年までの間、しかも、講義用のノートを執筆したのは 1940 年だというから、書かれたのは『文学講義』の見解のほうがはるかに先だろう。

 両者とも現実というものが主観に依存したものであると語っている(知識の量によって、真の現実との”差”を定量しようとしているかにも聞こえる Strong Opinions の意見よりもそれぞれのアプローチの多様性を強調する『文学講義』のほうが、ぼくには好ましいけれども)。そして、前者では、一般に客観的「現実」といわれるものは個々人の現実を標本平均したものに過ぎないといい、後者では、真の現実は永遠に到達できない無限の知覚の集積の果てにあると語っている。

 絶対に現実へは到達できないという諦念とそれでもそれぞれの人が無限に近付いていくことができるという希望の両方を抱かせる魅力的な見解と思うけど、なぜ別人の現実に対して「これら個々別々の世界をとって、それを完全に混ぜ合わせ」ることができるのだろうか、という疑問と到達できないにせよ、真の現実というものが存在することはナボコフにとって自明だったのだろうかという疑問を抱いた。

『ナボコフの文学講義』からカフカ「変身」講義の感想

 むかし、TBSブリタニカから出ていたナボコフの『ヨーロッパ文学講義』が、『ナボコフの文学講義』として河出文庫から上下巻で復刊された。原題は"Lecture on Literature"なので、今回の訳題の方が原題に忠実なタイトルだ。ナボコフが"Strong Opinions"で語っている大学での講義録を死後編集して本にまとめたものだ。

1940 年、アメリカで大学人としてのキャリアをはじめる前に、運のいいことに、僕はロシア文学について100回分の講義-約2,000ページを苦労して書いたんだ。その後、ジェーン・オースティンからジェイムズ・ジョイスまでの偉大な作家たちについての100回文の講義を別に書いた。これらのおかげで、僕はウェルシーとコーネルでの20年間の大学生活を幸せに過ごしたよ。教壇で僕は、ちらちら目を上げたり下げたりしていたけど、目敏い学生たちも僕が読んだいるんであって、話してるんじゃないとは全く気付いてなかったよ。
( "Strong Opinions" から 1962,6,5 のインタビュー)

 この調子で『ロシア文学講義』や『ドン・キホーテ講義』も復刊されるといいな。

ナボコフの文学講義 上 (河出文庫)

ナボコフの文学講義 上 (河出文庫)


ナボコフの文学講義 下 (河出文庫)

ナボコフの文学講義 下 (河出文庫)

 さて、『ヨーロッパ文学講義』で取り上げているのは次の七作品。

 残念ながら、ぼくは、このうちの二作品しか読み切っていない。(全部少しだけ手をつけていて読みきれてないのがお恥ずかしい。)出来れば読んでから、ナボコフの講義に接したいと思ったので(きちんと予習しない学生にナボコフ先生は厳しそうだ)、とりあえず読了作品の一つカフカの「変身」が入った下巻を買って読んでみた。

 中学生の時に、はじめて「変身」を読んだときは、小説を「お話」としてしか受け取れなかった。中学生ぐらいの時は、まだ世界が不定型で不安に満ちていたので、どんなことにも”確からしさ”が感じられなかった。狭い場所、例えば、トイレなどに入ると、その間に外の世界がどうなっているのか不安だった。ドアを開けた後に、まだ、外の世界がそのまま残っているのか、残っているとして本当に以前の世界と連続した同じものなのか? あるいは、僕が見ていないときも、ちゃんと存在しているのか? 自分自身についても不安でしょうがなかった。自分が自分であるというのは、どうして保証されているのか? なんでこのぼくの視点が宿っている人物が、ぼくなのか? なぜそうなのか? いつからか? いつまでもなのか? そうであるという保証はあるのか? 記憶の一貫性がその保証なのか? でも、記憶は完全なものではないし、もしかしたら「そういう記憶を持っているということ」自体が錯覚かもしれない。ぼくは、一瞬一瞬別人で、ただ記憶の一貫性(のように思えるもの)があるからそれに気づかないだけなのではないか? と思ったりした。

 そういう心境だったので、主人公グレゴール・ザムザが朝起きたら毒虫に「変身」しているという物語は、まさにぼくの感じている不安に近いものに思えた。朝起きた後の自分が自分だということに、確信を持てないという不安をそのまま描いた作品として「変身」をとらえていた。

 高校生ぐらいになって、「変身」を読み返したころは、もうそういう不安感はあまり感じていなかった。疑問が解消したわけではない。日常的ないろいろ(人間関係、将来のこと、悩みや希望)に圧殺されて、そういうことを感じる余地がなくなっていた。歯が痛くて、足が折れている痛みがごまかされているような感じだ。小説を読んでも、もうただ「お話」としては受取れなかった。逆に、なんでも「たとえ」のように感じて、解釈が必要になってしまった。グレゴール・ザムザは、鬱病にかかった人のように映った。虫になったというのは、彼が人間関係を正常に結べなくなってしまったということと自分自身に価値を見出せなくなってしまったことを象徴しているように思えた。無気力になったグレゴールは、一日中寝ていて部屋から出てこない。家族が心配して、話しかけてもまともに返事をしない。はじめのうちは、彼を心配していた家族もだんだん疎ましく思うようになる。父親が彼を殴打し、肉体的にも精神的にも追い詰められたグレゴールは、自殺(あるいは衰弱死)してしまう。そういうことを象徴的に描いた作品に思えた。ただ、実際に鬱病の男の破滅をリアリスティクに描いた小説など、とても読む気になりはしなかっただろう。

 ナボコフは、小説を「お話」として読むことも、「たとえ話」として性急に解釈することもしない。ナボコフが真っ先に退けるの解釈は、マックス・ブロートの宗教的な読み方とフロイト流の精神分析的な読みだ。

文学者というより聖者としてカフカを考えてこそ、彼の著作ははじめて理解しうるというマックス・ブロートの意見をすっかり排しておきたい。カフカはなによりもまず芸術家だった。たとえ芸術家は誰でも一種の聖者であるといいうるとしても(わたし自身、はっきりとそう感じているものだが)、カフカの天才の中にいかなる宗教的な意味合いをもよみこむことは出来ないと思うのだ。

もう一つ、わたしが排したいと思うのはフロイト流の読み方である。(中略)彼らにいわせれば、南京虫は誠に適切にカフカの父親にたいする無力感を特色づけているということになる。ここでわたしに興味のあるのは南京虫(バッグ)であって、大法螺(ハンバッグ)ではない。そんな馬鹿々々しい話は願いさげだ。

 ナボコフの読み方は、作品の構造をとらえようという次のような読み方だ。

わたしたちにできることは、その物語を分解して、部分がどのようにぴったりと組み合わさっているか、作品の様式の部分がいかに互いに呼応しあっているかを見出すことだけだ。が、定義づけることも、念頭から追い出してしまうこともできないこの感動に答えて、うちふるえるなんらかの細胞、遺伝子、胚種を、身内にもっていなければならない。美と哀れを知る心‐これが芸術の定義としては、わたしたちがゆきつけるぎりぎりにものだ。

 ナボコフの指摘する点で、ぼくが気になったことを挙げると次のようなものがある。

  1. ザムザ家、特に妹の残酷さの指摘。
  2. グレゴールが優しい気持ちしか家族に抱いていないこと。
  3. 三、という数字が特別な意味を持っていること。(ザムザ家の三人、彼らの書く三通の手紙、三人の召使い、三人の下宿人、グレゴールの部屋のドアの数、三章に分かれた小説の構成)
  4. ドアの開け閉めの主題
  5. 家族の浮沈とグレゴールの哀れな境遇の対比。
  6. 虫になったグレゴールが音楽に反応するのは、彼の芸術的感覚を反映するのでなく、理性の退化を反映しているという指摘。
  7. グレゴールが変身したのはゴキブリではなく(ゴキブリは平たいが、ザムザは丸々している)、翅のある昆虫だという指摘。(〈-ヨーロッパのゴキブリは翅が退化しているそうです。)

 最後の指摘についてナボコフはこんなことを言っている。

これはわたしが発見したたいへん精緻な観察だ、一生大事に銘記しておきたまえ。自分には羽根があるということにきづかぬグレゴールたち、ジョーやジェインたちが世の中にいるものである。

 割と無理な解釈(「夥しい数の小さな足」を六本の足とみなす)をしてまで、ナボコフが昆虫だと主張するのはこれが言いたかったからだろう。この講義を受けた(読んだ)記念に、グレゴールに「薄く小さな羽根が隠され」「よたよたながら何マイルも何マイルも」飛ぶことができたことを一生覚えておこう。

 ナボコフの音楽嫌いは、"Strong Opinions"でも繰り返し述べられているので、音楽が「文学や絵画よりも芸術の価値尺度上より原始的で、より動物的な形式に属するものである。」という評価には、ナボコフ自分の趣味に引き付けすぎだよ、と笑ってしまった。同じく音楽が苦手な三島由紀夫もそこまでは言ってないね(『小説家の休暇』)。

 しかし、この評価には結構納得できるものがある。今回読み返して気づいたが、グレゴールの「変身」は、小説中でも進行しているのだ。朝の場面ではまだ人間の言葉をしゃべれるのに、家具を片づける場面では、もう喋れない。妹のヴァイオリンに反応したのは、人間的な感性の残滓というより虫化の進行と考えるべきだろう。

 そして、家族の残酷さの指摘が、ナボコフの意見の中で最も印象に残った。

グレゴールの家族は彼の寄生虫で、彼を搾取し、内側から彼をむさぼり食らっている。甲虫になったグレゴールが感じたかゆみを人間関係の面から見ればこういうことだ。裏切り、残酷、不潔さから何とか身を守ろうとする哀切な衝動こそ、彼の背甲、甲虫の殻をつくった当の因子なのである。しかし最初固く安全と見えた甲羅も、ついには彼の病んだ人間の肉と魂と同じように、傷つきやすいものであることが分かる。三匹の寄生虫‐父、母、妹‐のうちでだれがいちばん残酷であるか? はじめは父親のように思える。だが、彼が最悪ではないのだ。実はもっとも残酷なのは、グレゴールがだれよりも愛している妹なのである。

 ナボコフの強烈な言葉(「寄生虫」とか)には、彼の家族への憎しみとグレゴールへの同情が感じられるが、これも結構納得できるものだ。グレゴールは、虫になってしまったことが不幸だったのではなく、この家族に囲まれて脱出できなかったことが不幸だったのだろう。

 グレゴールが家族に恨みや怒りを感じることがなく、ただただ彼らに優しい気持ちだけを抱いているのも、彼にはもう怒りを感じるだけのエネルギーが残っていなかったのだろう。

 ナボコフの読み(「細部を愛撫せよ」)は、象徴や神話的な意味をあてはめてゆくものや、社会的な意味を読み取ったりする読みとは全く違うもので、上手くはまれば非常に納得できるものだ。読者にできるのは、「その物語を分解して、部分がどのようにぴったりと組み合わさっているか、作品の様式の部分がいかに互いに呼応しあっているかを見出すことだけだ」という言い方から来る、まるでジグソー・パズルを解くような印象の言葉とは裏腹に、ナボコフの実際の作品の読み方は、非常にナボコフの個性が出た、温かさを感じさせるものだ。(と言ったらナボコフ先生はあきれるだろうか?)